◆ 1572年のフランス(サン・バルテルミの虐殺)や1929年のエルサレム(嘆きの壁事件)などこの日は神の名の下に異教徒を幾らでも血祭りに挙げても赦される日らしい。 ◆ ソビエト連邦共産党(1991年=ミッチィが党の解散を宣言)と冥王星(2006年)がリストラされた日。 ◆ アメリカに不法占拠された松江市が、右も左もない連中によって攻撃を受ける(1945年)が、ポンペイが消えて無くなった(79年)事件に比べれば屁のような事件で1ヶ月遅れで報道された。
◎ ◎ 第1回 レンズの向こうのまだ見ぬヒマラヤ / Webナショジオ・インタビュー 野口健 ◎ ◎
- - -Webナショジオ Webナショジオ・インタビュー 野口健 /
インタビュー・文=高橋盛男/写真=藤谷清美- - -
==1999年、七大陸最高峰の世界最年少登頂記録(当時)を樹立した登山家であり、近年では清掃登山やシェルパ基金の設立、ネパールでの学校建設、戦没者の遺骨収集などに取り組んでいる野口健、再びカメラを手にしたことで、新たな世界が切り開かれたという。==
――写真についてうかがおうと思います。ヒマラヤ、アフリカ、日本の写真が収められた写真集『野口健が見た世界』のまえがきを読むと、登山家になる前はカメラマンになるのが夢だったとか。
小学校低学年のころからですね。テレビドラマの『池中玄太80キロ』が好きでよく見ていました。西田敏行さんが演じる主人公、池中玄太が報道カメラマンでした。その影響でカメラマンに憧れたんです。 ただ、あとで思うとカメラマンという職業よりも、主人公のがむしゃらな生き方に憧れたのかもしれません。
中学1年になって写真部に入ろうと決めて、父にねだって一眼レフカメラのニコンFM2を買ってもらい、それからは高校まで写真部に所属していました。高校卒業後は写真を撮る機会から遠ざかっていたのですが。
――今、ここへきて写真の世界に戻られたのは、何か心境の変化があったのですか。
2~3年前、親友のミュージシャン、レミオロメンの藤巻亮太さんと八ヶ岳に登ったんです。彼は写真が趣味で、山にいる間とても楽しそうに写真を撮っているんですね。 その姿を見て、懐かしく感じました。僕にもそんな時代があったなと。 で、もう一度やってみようかと思って、カメラを持ってヒマラヤへ行きました。すると、そこに今まで僕が見たこともなかったヒマラヤがあったんです。すごい衝撃を受けました。
――もう50回以上もヒマラヤへ行っている野口さんに、まだ見ぬヒマラヤがあったのですか。
見ているようで、実はヒマラヤの自然をちゃんと見てはいなかったんですよ。僕は、登山の目的は頂上へ登ること。だから、そこでの行動は、A点からB点への移動することだけなんです。できるだけ早く出発して、できるだけ早くキャンプ地に着いて、あとは体を横たえて休むだけ。山小屋やテントの外に出て、空を眺めるなんてことはないんですよ、ものすごく寒いから。
ところが、写真を撮るとなると、外でじっと景色を眺めて、シャッターチャンスを待たなければならない。ときには何時間もね。そういう時間は、登山家としての僕にはありえなかったわけです。
――そうして撮った写真は、どこかで発表しなかったのですか?
ホームページやツイッター、フェイスブックなどのSNSにアップしていました。たくさんコメントがつくんですよ。それも、今までに味わったことのない楽しみでしたね。そのうちリクエストも来るようにもなりました。
――どういうリクエストですか?
あの山を撮ってくれとか、こんな風景が見たいとか。「今度は何を撮ろうかな」なんてポロッと書き込むと、ドッとリクエストがくる。 そんななかに「風を撮ってください」というのもありました。
風か、おもしろそうだなというので、1カ月くらいかけてトライしました。風は目に見えないから、風によって起きる現象を撮るわけですが、それまで被写体として風を意識したことがなかったんです。 で、風を見ているとおもしろい。風の動きをどう表現するかですよね。
ずっと景色を見ていると、夕方、太陽が沈む直前に気流が荒れて、雲がさまざまに形を変える。日没間際、空の色が刻々と変わっていく景色も美しいとわかってきますから、何日も同じ場所に通って、カメラを構えて。それをまたホームページやSNSにアップすると、リクエストが来るという感じですね。 その反応が、僕にとってとても新鮮でした。それまでは本を書いたり、講演会で話すなどして、自分の活動や考えについて表現してきたけれど、ネット上でそういうやりとりをしているうちに写真で伝えるという方法があると気づいたんです。
――ヒマラヤとのつきあい方も、ずいぶん変わってくるでしょうね。
正直言うと、50回以上もヒマラヤに行っていると、慣れちゃうんです。最初のころは感動が大きかったけれど、このごろはそれもずっと薄れてしまっていて、行くのが億劫になっていたんですよ。現地でいろいろなプロジェクトを進めているので、行かなければならないのですが。
自分のなかにワクワクするものがあれば、億劫な気持ちを超えられるのですが、それがないと、肉体的な苦痛しか残らない。過酷で、行くだけでもつらい場所ですから。
――カメラを持つことでワクワクを取り戻した?
そうなんです。写真を撮ることで、僕にとってのヒマラヤは、再び真新しいチャレンジの対象になりました。
――引き続き、写真についてうかがっていきます。
・・・・・・明日 ( 第2回 隣り合わせの「死」を見つめる ) に続く・・・・・
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