【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

今日(狂)の狂言 : 08月13日(火曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-08-13 05:10:35 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ リヒャルト・ワーグナーが自分でおっ建てた豪華な劇場でリサイタルを開催(1876年=第1回バイロイト音楽祭開幕)、だが派手にやった割に大赤字となりワーグナー自身も精神的なダメージを被る破目に。 ◆ 東ドイツが西側に無断で大規模土木工事に着工、手始めに予定地を有刺鉄線で封鎖する(1961年=ベルリンの壁の建設を開始)。 ◆ 日の丸と君が代が正式に日本の国旗と国歌になる(1999年)。強制はしないという建前だが、実際のところはお察し下さい。

◎ ◎ 第2回 何事もなく終わった山はひとつもない(2/2) ◎ ◎

- - - ナショジオ・インタビュー 竹内洋岳 / 文=西野淑子/写真=田中良知) - - -

  ====日本人初の14座完登者となったのが、プロ登山家の竹内洋岳さん。さまざまな困難を乗り越えて成し遂げた偉業を振り返りつつ、山にかける思いを聞いた。(インタビュー・文=西野淑子/写真=田中良知) =====

 ――今はインターネットでもっといろいろ調べることができるんですよね?

  今私たちが登っている山は、すでに登られていて、情報がある程度あります。今でも未踏の地はたくさんありますが、山の形状など必要な情報をインターネットで調べることができます。そう考えると、私たちのマカルー東稜の登山は、インターネットのない時代にされた、最後の「探検的」な登山だったと思います。登山じたいも大変だったし、登山をするまでも大変でした。でも楽しかったですねえ。

 ――ところで、ダウラギリを14座目にした理由、何か思い入れがあったのですか?

  そういうわけではないです。でも実はダウラギリは子供の頃から行きたかった山なんです。

 ――ではダウラギリが8000m峰に向かうきっかけに?

  いや、そういうわけではないんですよね。中学生か高校生の頃に見た写真で、狭い谷の中に、朽ち果てた小さなピンク色の飛行機があって。山を登るようになって、その写真の飛行機が、1960年にスイス・オーストリア隊がダウラギリを初登頂したときにアプローチに使った飛行機「イエティ号」であることが分かったんです。荷揚げした後に残念ながら墜落してしまい、機体が放置され、長い年月を経て朽ち果てています。いつかその飛行機を見に行こう!と思っていたのです。  

――今回、イエティ号を見ることはできましたか?

  ええ。ベースキャンプから歩いて探しにいって見つけましたよ。ただ今は氷河の具合で当時の場所から落ちてしまっていて、トレッキングルートからかなり離れたところにありました。写真で見たときから時間がたち、今はもうジュラルミンの塊でしかなく、かろうじて機体にピンクと黄色のペイントが残っている程度でしたが、そこに行けたことがうれしかったですね。見に行くには長い行程を、しかもベースキャンプから遠回りして帰らなければならず、同行者からは早く下山したほうがいいと言われたのですが。

 ――反対を押し切って見に行ったのですね。

  今回は登山が非常に厳しくて、ベースキャンプに戻ってきたときは疲れ切ってまともに歩けないくらいでした。8000m峰の冷たく乾いた空気で気管もやられてしまって咳が止まらず、水を飲んでも吐いてしまうほど。ベースキャンプの撤収も急がなくてはなりませんでした。でも一晩寝たら少しよくなったので「探しにいくぞ!」と。探すのに同行してくれたパートナーの中島ケンロウさんに荷物を全部持ってもらって、ゲホゲホ咳をしながら探しにいきました。見つけたときは思わず声をあげてしまいましたよ。実はダウラギリに登ったことよりうれしかったかもしれません。

 ――14座それぞれに思いの詰まった竹内さんの登山。次は、何度も山行をともにした大切なパートナーの話を聞かせてください。

第3回 8000m峰登山中にダンスパーティ!?(1/2)

 ――竹内さんは14座のうち、多くの山をドイツ人登山家のラルフ・ドゥイモビッツさん、女性初の無酸素14サミッターのゲルリンデ(ガリンダ)・カルテンブルンナーさん夫妻と登っていますね。

  はい、ラルフは私にとってお兄さんみたいな、ガリンダは同い年だけどお姉さんみたいな存在です。ラルフと出会ったのは2001年のナンガ・パルバットです。ラルフの会社がアレンジした国際公募隊に応募しました。

 ――以前から国際公募登山に興味はあったのですか?

  社会情勢、経済情勢の変化などもあり、日本の海外登山の主流だった大規模な登山隊は少なくなっていました。ヒマラヤに行くなら、別の方法を考えなくてはならない。その選択肢として国際公募登山のことは多少意識していました。ひとりで行くことになるとは思っていませんでしたが(笑)。

 ――海外の人と登るのは初めてでしたよね? ひとりで躊躇しなかったのですか?

  日本人の友人から一緒に行こうと誘われたのです。英語が堪能な友人が行くからくっついて行けばいいや、と。ところが彼女が直前に行けなくなってしまったんです。日本人は私ひとりでしたが、スペイン、オーストラリア、ラトビアなど、いろいろな国の人がいました。このような国際公募隊での登山はヨーロッパでは当たり前に行われていますが、日本で参加している人はあまり見かけないですね。  

・・・・・・・・明日に続く・・・・・ 

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