【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

今日(狂)の狂言 : 08月18日(日曜日) & 旅と文化の足跡が野帳 

2024-08-18 05:10:27 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 1928年 - 三井財閥の大番頭・中上川彦次郎の娘・あきがにテノール歌手・藤原義江を追って2児を残してミラノへ出発。 そして、翌年のこの日 谷崎潤一郎と妻・千代子が離婚し谷崎の友人・佐藤春夫が千代子と再婚することを3人連名で発表。 ◆ 尋常じゃないくらいのドシャ降りでバス2台が巻き込まれてしまい、飛騨川に100人以上もの乗客ごと押し流すことに(1968年)。結果的にダムを〆切って川底まで浚う手間にまでなったとか。 ◆ インスタントラーメンで安藤さんとこに煮え湯を飲まされたマルちゃんが、赤狐と緑狸を使い魔として召喚しうどんとそばでリベンジを図る(1978年)。

◎ ◎ 第2回 生きている以上、リスクはいつどこにでもある/ G・カルテンブルンナー ◎ ◎

- - - ナショジオ・インタビュー G・カルテンブルンナー / 文=西野淑子/写真=的野弘路 - - -

  ==== 8000m峰14座、全てを無酸素で登頂した史上初の女性登山家がゲルリンデ・カルテンブルンナー。46歳。「シンデレラ・ブルドーザー」と称され、今も山を深く愛し、登りたい山に自然体でチャレンジし続けている。(インタビュー・文=西野淑子/写真=的野弘路) =====

 ――人生2度目の8000m峰登山は1998年、ネパールと中国チベット自治区の境にそびえる標高8201mのチョー・オユー。このときは1回で登頂を成し遂げましたね。

 とても寒かったですが、山頂からは見たことのない絶景が広がっていました。エベレストが間近に眺められ、幸福感で満たされたんです。すばらしい登山ができたことに興奮し、下山をしながら「次はどこの山を登ろうかしら」と考えていました(笑)。

 ――登頂したばかりなのに、もう次の山のことを?

 ええ。チョー・オユーの山頂からは、中国チベット自治区にある、8000m峰のひとつであるシシャパンマ(8027m)も見ることができたのです。美しい山姿を見たとき、ああ、次はシシャパンマに登りたいな……と思いました。  

  ――チョー・オユーはどのようなメンバーで登ったのですか?

  親しい仲間たちと登りました。このときに限らず、それまでも、その後も、私の登山はいつも友人、親しい仲間と行っていますね。公募隊や旅行会社の主催するツアー登山で登ったことはないのです。

 ――仲間と登るゲルリンデさんのようなスタイルは、8000m峰登山では普通なのでしょうか。

  いいえ、一般的には公募隊での登山や、ツアー登山で8000m峰を登る人のほうが多いと思いますよ。どんなスタイルで登っても、その人たちの自由です。  しかし、私たちはすべて自分たちで準備をし、山に向かいます。同じ目的を持って準備を進め、行動し、気持ちを通じ合わせていく。そういうスタイルの登山を私は好むのです。

 ――チョー・オユーの登頂から、毎年のように8000m峰への挑戦を続けていきますね。2000年にシシャパンマ中央峰(8008m)、2001年には同じくヒマラヤ山脈にあるマカルー(8485m)、2002年にはマナスル(8163m)へ。

  困難を乗り越えて登り、山頂に立ったときに得られる、8000m峰ならではの美しい景色や達成感。登れば登るほど、どんどん山への気持ちが強くなっていきましたね。

――そして2003年、ゲルリンデさんはプロの登山家に。

 チョー・オユーを登頂した頃から、大好きな登山を職業にできたら……と思っていましたが、転機は2003年のナンガ・パルバット(8126m)への挑戦でした。  オーストリアの登山家、ヘルマン・ブールがナンガ・パルバットを初登頂してから50年という節目の年に、私はオーストリア女性として初の登頂者となったんです。非常に話題となり、講演に呼ばれる機会が増え、スポンサーも付き始める中、プロになるなら今だと思い、看護師の仕事を辞め、登山家に転身したのです。

――晴れて念願のプロ登山家となり、以後も8000m峰への挑戦を続けていきますが、命の危険を感じたことはありますか?

  あります。2007年のダウラギリⅠ峰(8167m)で大きな雪崩に遭ったことですね。テントごと30m流された後、絶壁の手前でかろうじて止まったんです。でも近くにテントを張っていた別の登山家は、この雪崩に巻き込まれて亡くなって……私が助かったのは、とてもラッキーなことでした。

 ――恐ろしい体験を経て、もう山に登りたくないとは思わなかったのですか?

  それは思いません。生きている以上、リスクはいつ、誰にでも、どこにでもあるものです。今回はそれが山で、雪崩だったというだけのことですから。  雪崩に遭って一度オーストリアに戻った当初は気分が優れなかったのですが、山に登り、クライミングをしているうちに、いつもの自分を取り戻していきました。その翌年に再びダウラギリⅠ峰を目指し、登頂しています。

 私は雪崩に対して今まで以上に注意深くなりました。山で起きる雪崩のことを正しく知ることができ、以後の私の登山に生かされることになったのです。決してよい経験ではないですが、私にとっては重要な経験でした。

 一歩ずつキャリアを積み、8000m峰を登り続けるゲルリンデさん。彼女の前に最後に立ちはだかったのは、「非情の山」の異名を持つ、世界第2位の高峰、K2でした。  

・・・・・・・・明日 ( 第3回 K2登頂は“第六感”に導かれて )に続く・・・・・

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森のなかえ

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