○◎ Great and Grand Japanese_Explorer ◎○
探検家になるために必要な資質は、臆病者であることです =植村直己=
= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =
☠ 自分が主役になるよりは常にメンバーを影でサポートするような立場でいたい ☠
◇◆ 公子さんのこと・・・・・ =2/4= ◇◆
公子さんは例年、加藤さんと連れ立って、正月を京都で過ごしていた。74年も、という話をしていたら、植村が話に入ってきて、その折にぜひ自分の田舎の日高町に来てくれないか、という。公子さんはいちおう植村家への手みやげを用意して、京都に行った。
京都に着いて2日目の朝、公子さんのもとに、母方のおばあさんが亡くなった、という電話があった。京都で植村と会う約束があった、同じ日のことである。その晩、京都の宿で加藤さんもいれて長々と話し合ったけれど、結論は出ず。公子さんはおばあさんの葬式に出るために東京に戻った。
植村も怒ったようすだったから、この話は終ったかな、と公子さんは思っていた。しかし、正月が過ぎると、植村はマツバガニをおみやげに公子さんを訪ねてきた。その後、日曜日などに、野崎家に夕食を食べにくるようになった。
2月に、植村の長兄修さんと次兄が連れ立って、野崎家に結納をもってきた。公子さんの母親も納得して、話がそこで本決まりになった。というところまでは、まずはよくある展開といっていいだろう。その後がおかしい。こともあろうに植村は、結納の翌日、ネパールに旅立ったのである。「公ちゃんあとは全部まかせるから」といって。明大炉辺会(山岳部OBの会)のヒマラヤ偵察隊員として、ダウラギリの偵察に赴いたのだ。
そして5月、予定より1週間遅れて帰国。あわただしく日取りを決め、5月18日、近所の氷川神社で式を挙げた。仲人は明大山岳部の大先輩、大塚博美氏(後に日本山岳会会長)だった。結婚までの経緯を長々とたどったのは、これがいかにも植村流だからである。
ひとりで思いをめぐらし、自分では清水の舞台から飛び降りて、プロポーズしたつもりでいる。あたりまえに考えれば、彼の強烈な思いは、相手に半分もつたわらない、となっても仕方がない。公子さんはそれまでの長くはないつきあいのなかで、そのような植村流をちゃんと察していたに違いない。
ダウラギリに飛び出していって、カトマンズとかさらに山の近くから、何度か公子さん宛てに手紙を書いている。手紙はすべて(かほとんど)が、『植村直己 妻への手紙』(文春新書、2002年刊)に収録されている。
その3月28日付の一通から。《このヒマラヤ山中にも、心はいつも東京にあり、我々の5月の式のことが心配であり、便りせずにいられません。私の今の予定では4月末頃、または5月始めには東京へ帰ることができます。私の5月の希望としては、公ちゃんの希望の日程で式をあげてもらえば結こうです。(中略)式その他の件、公ちゃんの判断で総てきめて下さい。たいへんかってな言い方で申し訳けございませんが宜しくお願い致します。(後略)》
結納の翌日飛び出して行って、あとはどうぞよろしく、というのはもちろん身勝手でもある。しかしいっぽうで、早くも公子さんに頼りきっている、ともいえるのである。植村にとっては、頼りきる相手として公子さんがいた。公子さんがそういう自分を受け入れてくれると確信した。これはその後もずっと変わることがなかった。
この少し前、3月17日付の手紙に、「公ちゃんとの出合は私の人生を総てかえ」た、と書いている。「俺のような悪人につかまってしまったと、一生を棒にふってしまったとあきらめて下さい」とも書いている。言葉の飾りでいっているのではない、植村の真からの思いだろう。頼りにされるほうとしては、いわくいいがたい大変な人生を送ることを強いられるだろうが、それはひとまずおく。
植村が遭難した年の6月、私は文藝春秋6月臨時増刊号「植村直己・夢と冒険」の編集を担当した。そのとき、公子さんがこんなものがあります、といって見せてくれた24葉の山のスケッチがあった。植村が公子さん宛てに、毎日のように書き送った「山の絵本」ともいうべき絵と文章である(これも『植村直己 妻への手紙』に収録されている)。
最初の3月31日は、「テルタンにて」とあって、次のような文章(イラスト参照)。現地で入手した和紙に、ペン書のスケッチと詩のような文。ヒマラヤの清澄な空気が伝わってくるような手紙である。植村の心の柔らかい部分が、1枚1枚から溢れ出てくるように見えて、私は驚嘆した。
『植村直己 妻への手紙』(文春新書)は、植村がいなくなってからずいぶん時を経て編まれた1冊である。そこで公子さんは心やさしい、短い文章をあとがきのように書いている。冒頭の1行に、《これは、私ひとりだけの「北極圏一万二千キロ」、そして、植村直己物語です。》とあるように、一万二千キロの旅のときの手紙が圧倒的に多い。
=補講・資料=
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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