【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

今日(狂)の狂言 : 08月19日(月曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-08-19 05:10:19 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 中京商業が準決勝で5時間近くも甲子園で粘りながらやっと1点差で勝利(1933年)。この結果同校はこの年の甲子園で栄えある日本一となるが、81年後には同じ中京と名のつく高校が硬式と軟式の違いとは言え同様に準優勝で3日連続も粘った挙句日本一の座を手にした。 ◆ 在日米軍が戦車7台・飛行機3機などを投入し、東宝砧撮影所に空と陸から攻撃(1948年=第3次東宝争議)、しかし全力を挙げて見逃す失態を犯したため6年後にゴジラが首都圏を破壊することに。 ◆ 中日球場での名古屋対巨人の試合中、観客の捨てたタバコの吸い殻が紙屑に引火し火災が発生。瞬く間に火は燃え広がり球場は全焼、4人の死者を出す大惨事に(1951年)。

◎ ◎ 第3回 K2登頂は“第六感”に導かれて/ G・カルテンブルンナー ◎ ◎

- - - ナショジオ・インタビュー G・カルテンブルンナー / 文=西野淑子/写真=的野弘路 - - -

  ==== 8000m峰14座、全てを無酸素で登頂した史上初の女性登山家がゲルリンデ・カルテンブルンナー。46歳。「シンデレラ・ブルドーザー」と称され、今も山を深く愛し、登りたい山に自然体でチャレンジし続けている。(インタビュー・文=西野淑子/写真=的野弘路) =====

――「8000m峰14座すべてに登頂する」と思ったきっかけはいつですか?

 9峰目に登頂した、2006年のカンチェンジュンガ(8586m)のときだと思います。このときは天候が非常に悪く、登ったルートも技術的難易度が高いもので、とくに山頂直下で難しいクライミングを強いられました。それでも登頂し、ベースキャンプに戻ってくることができたのです。とても厳しい登山で、疲労困憊でした。

 でも、本当に幸せな気持ちに満ちあふれていたんですよね。そのとき、こんなに困難な挑戦をやり遂げた私には、K2(8611m)も、エベレスト(8850m)も登れるはずだ、14ある8000m峰すべてを登りたいという思いがわき上がってきたのです。

――その後も8000m峰の登頂を続け、2010年はエベレストに、そして2011年のK2で14座登頂を成し遂げましたね。その時の様子はナショジオ本誌の 2012年4月号でもお伝えしています。

 K2の山頂に立ったときはもう、嬉しくて、登ってくるパートナーたちを待ちながら喜びをかみしめていました。雲ひとつない青空が広がり、眼下に山々が広がっていて……。K2に登頂できたこと、そして山頂からのすばらしい眺めが、宇宙からの大きな贈り物に思えました。

――登頂した8000m峰14座の中で、最も印象深いのは……やはりK2ですか?

 そうですね。私にとってK2はとても美しく、そしてとても困難な山でした。それまでも、一度で登れなかった山はあります。ローツェ(8516m)やカンチェンジュンガは2回目の挑戦で登頂できましたが、K2は3回登頂を試みて到達できず、2011年が4回目の挑戦でした。  

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  ――3回目の挑戦のときは、一緒に登っていた親しい友人であるフレドリック・エリクソンさんが滑落事故で亡くなっています。

  ごく親しい友人を山で亡くすのは初めてのことで、このときは本当に落ち込みました。もうK2には戻れないかもしれないと、初めて思いましたし、深い悲しみから気持ちが回復するのに何カ月もかかりました。でもインドネシアでクライミングをしたりして過ごすうちに、K2への情熱が戻ってきました。もう一度K2に向かいたい……と強く思ったのです。

 ――4回目のトライは、過去3回と違うルートから登ったと聞きました。

  3回目まではパキスタン側から南側斜面のルートを登りましたが、4回目は中国側から登りました。中国側からのルートはベースキャンプからのアプローチが長く、パキスタン側のルートに比べると技術的な難易度も高いです。急峻で、8000m以上でクライミングの技術が必要な場面が現れます。また、登っている人がほとんどいないルートでもありました。

 ――より困難なルートへ。それは何か理由があったのですか? 

 家族や友人からは「なんで難しいほうのルートに行くんだ?」と驚かれました。しかし、第六感というか……、中国側からのルートのほうがよいのではないかという直感、ひらめきがあったのです。このとき登ろうと計画した北稜は、技術的には困難ではあったものの、南側のルートに比べて雪崩のリスクが低いということもありました。

――そして2011年8月。思うように回復しない天候、8000mを越えて胸までの深い雪をかき分けての苦しい登り、過酷な高所での一夜を乗り越えて、ゲルリンデさんはK2の頂に立ちました。

  悪天候でメインテントが壊れたり、モチベーションが下がるような出来事もたくさんありましたが、仲間たちとお互いを信じ合い、気持ちを立て直して山頂への挑戦を続けることができました。途中で引き返し、ベースキャンプから無線で的確なアドバイスを出し続けてくれた当時の夫、ラルフの存在も大きかったですね。登頂したのは私だけの力ではありません。すばらしい仲間たち、たくさんの人のサポートなしには成り立たなかったのです。

 ――悪条件が重なったとき、ゲルリンデさんはどのように気持ちを立て直すのでしょうか?

  嵐に遭ってとても寒いとか、危険であるとか、そのような悪条件は、高所登山ではある程度想定できることです。山に入る前にさまざまなリスクを想定して気持ちの準備をしておくことで、動揺せず、気持ちを穏やかに保つことを意識しています。毎朝のメディテーション(瞑想)の時間も私には大切です。

 ――メディテーション、具体的にはどんなことを?

 20〜30分間、ただ座って静かに、何も考えずに時間を過ごします。テントの外がひどい嵐でも、心を穏やかにして平常心を保ち、山に向かうために心を整えていくのです。高所にいるときだけでなく、毎日行っています。今朝もしてきましたよ。

 困難な挑戦を乗り越えて14座すべての頂に立ったゲルリンデさん。次は、ゲルリンデさんの登山に影響を与えた人たちの話を聞かせてください。  

・・・・・・・・明日  (第4回 私が酸素を必要としない理由 ) )に続く・・・・・

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