興業殖産の世話をしても、
今日の商人では到底日本の商工業を改良進歩させることは成し能はぬ。
在官の人に対する時には唯平身低頭、
学問もなければ気力もなく、
新規の工夫とか、物事の改善とかいふことなど毛頭思ひも寄らぬ有様、
自分は慨嘆の余り、
全力を奮って商工業の発達を謀らうといふ志望を起した。
事業を起すに当っては最初が大切。
假令着手が少しばかり遅れても關はぬから、
十分綿密に調査もしたり稽へもしたりした上で、
これなら間違ひは無からうといふ処で漸く着手し、
丹精して事に当りさへすれば、
大抵の事業は成し遂げ得られる。
身を磊落に持つ慣習の為に、
孔夫子の遺訓そのままに行って参ったとは広言しかね、
及ばぬ所ばかりで慙愧に感ずる次第である。
既に70余歳に相成った今日でも、
若し心の欲するままに行ふやうにすれば、
依然規矩を超えて乱れる事になる。
私は如何なる事業を起し関係するに当っても利益を本位にするやうな事は無い。
国家に必要なる事業・義に於て起すべき事業ならば之を起し、
その株も持ち、実際に臨んでは利益を挙げるやうにして其事業を経営してゆくべきものだと思うて居る。
斯の株は昂騰るだらうからなぞと稽へて株を持った事は未だ嘗て無い。
士魂商才
釈迦さまは
「人生は苦である。四苦八苦の苦しみである」
と説かれていますね。
しかし最晩年に人生を省みられたのか、
「この世界は美しい。人間の命は甘美なものだ」
と語られたといいます。
21 世紀という現代において、地球世界のグローバル化はますます進んでおります。
交通や通信の手段の視点からすれば、地球はますます小さくなり、
しかもその地球は人間の現代文明によって汚染されている。
こうした状況からすれば、21世紀にふさわしい新たな世界観が構築され、
新たな人間観とともに、それらが個々人に反映した人生観が求められてしかるべきではないでしょうか。
その意味において私が申し上げたいのは、最初に触れました華厳の教え、
一人ひとりが輝ける華となって、この世界を飾っていこうではないかということであります。
「少年のときには良き態度を学び、
青年のときには感情を制御することを学び、
中年のときには正義を学び、
老年に至っては良き助言者になることを学ぶ。
そして悔いなく死ぬ。」
人生学ぶことの大切さを語っているのですけれども、
これは、アレキサンダー大王が東方遠征でインドまで来たおり、
現在のアフガニスタンに何万人というギリシャの戦士たちが残されました。
そのギリシャ人がバクトリア王国という国を建て、
その一つの都市国家を建設した将軍の墓廟の壁を飾っていた言葉です。
これは発掘で分かったのですが、そのギリシャ語の碑文を見ますと、
はるか遠く、ギリシャ本土のデルフォイ(アテネの西方)まで出掛けていって、
そこのアポロ神殿の壁面を飾っていた神の言葉、神託を写し取ってきたというのですね。
ギリシャ人というのは大変な人たちですね。
「幼くしては食欲に悩み、
長じては性欲に悩み、
老いては物欲に悩む。これ人なり。」
これはお祈りの言葉です。
内村鑑三という明治時代の大変偉い人が打ち立てました無教会派キリスト教の信者が、
食前の祈りに述べた言葉だそうであります。