知力を高めるためには、記憶力を高める努力が重要である。
幸いに記憶力は60歳を過ぎても強くなる。私も50代の終わり頃から、意識的に努力して記憶力を高めることができた。
「脳の細胞は1日10万個ずつ減っていく」という学説を信じないで、「脳も細胞も肉体の一部だから、鍛え方によっては強くなるはずだ」と考えて努力したのが良かった。
昔は暗記できるものとはとても思えなかったラテン語の歌詞を、10番まで簡単に覚えられるようになったし、漢詩の七言律詩も楽に暗記できるようになった。
知力を高めるためには、記憶力を高める努力が重要である。
幸いに記憶力は60歳を過ぎても強くなる。私も50代の終わり頃から、意識的に努力して記憶力を高めることができた。
「脳の細胞は1日10万個ずつ減っていく」という学説を信じないで、「脳も細胞も肉体の一部だから、鍛え方によっては強くなるはずだ」と考えて努力したのが良かった。
昔は暗記できるものとはとても思えなかったラテン語の歌詞を、10番まで簡単に覚えられるようになったし、漢詩の七言律詩も楽に暗記できるようになった。
パスカルのような大天才の自然科学者でさえも結局は、
宗教を必要とせざるを得なくなるという点に興味を惹かれるのだ。
人生の先が何となく見えてきて、心が落ち着かなくなる。
このような時、何かを信じたいし、
何かにすがりたいと思うのが人間だ。
そんなシニアの世代に、信じることへと至る思考のプロセスや
神と人間との関わり方を、
パスカル自身の言葉で語ってくれる本が『パンセ』だと思う。
私は、九十五歳まで生きようとこれまで提唱してきた。
この提案は、知的生活を送るためには何といっても
「フィジカル・ベーシス」(肉体的基盤)が必要だと思うからだ。
どんなに意気込んでも、寝込んでしまっては何もできはなしない。
若い頃なら病床の生活が知的にプラスになりうる。
しかし老いてからは若い時の何倍も"フィジカル・ベーシス"が重要になる。
壮年期には、みんな一生懸命に働いている。仕事の場では常に学ぶことがある。だから壮年期によく仕事をしてきた人は、学び続けてきたという自覚がある。
ところが、これが案外錯覚なのである。
荘の時、壮年時代というのは、その人の人生の中で最も働き盛りで、仕事も充実している時なのだが、だからこそ、ごまかされやすい。仕事に打ち込んでいる時には、真剣になって仕事についての勉強もし、新しい情報にもどんどん接する。そして、勉強すればする程仕事も面白くなっていく。だから、「学んでいる」と思い込んでしまうのだ。だが、こうして一生懸命に働いて定年を迎え、ではこれから何をやっていこうか、と考えた時、ハタと、何も学んでいなかったことに気づく。やることが何も思いつかない。仕事中に学んだことが、その会社や地位を離れた途端に、何の役にも立たないことに気づく。こういうことが多いのだ。これでは、荘にして学んだことにはならない。忙しく仕事をしているから、学んでいるように誤解しているだけで、決して学んではいない。仕事上の勉強を、自分自身の勉強と勘違いしただけなのだ。
「荘ニシテ学ベバ、則ち老イテ衰ヘズ」というのは、
必ずしもそういう学び方のことをいっているのではない。
必ずしも仕事上での「学ぶ」を意味しているわけではない。
まずこのことに注意する必要がある。
老人になったこと、爺や婆になったことを
本当に喜ぶためには二つの条件が必要だと私は思っている
一つは若い時に苦労して働き、
一家を支える責任を負ってきたという過去があること
もう一つは「家」の制度に信頼感が持てること
経済状態があまりにかけ離れていると、
友人関係を続けていくのは難しくなるものだと思う。
教養の差が大きいと、友達としてはつきあえなくなるということ。
教養を押し殺して付き合うほど面倒で面白くないものはない。
だからそういったことを感じさせない人をやはり友人としては持ちたいものだ。
仕事の後に晩酌でお酒を楽しむなどよりも、
自分の時間を『内発的興味』に応える
勉強や時間や訓練に当てる方がずっといい。
そうすれば、今日は一杯などという
ささやかな享楽よりも、
もっと充実感のある、
知的な刺激に富む余生を迎える素地が
できてくるであろう
早くその準備を始めることが必要である
朝寝坊したいと思うくらいに何かに集中することが、
定年後も大切になるということなのだ。
ある意味で、定年後にもやりたいことのある者は
朝寝坊したいと思うような人であり、
定年後にやることのなくなった人は、
早起きして朝の散歩しかやることがない人になりやすい、
と言えるかもしれない。
とは言っても、昼まで寝ているなどというのはまったくの問題外だ。
自分のバイオリズムに従い、生理的な時間を有効に活用することだ。
知らない世界へ行けば、もちろん楽しいことが多いだろうが、
それだけではなく、何かとトラブルが生じたりする。
それを二人で何とか解決したりすれば、
その記憶は、楽しかった時以上に残るものだ。
楽しいことばかりのノッペラボウな人生は、
その時は良いかもしれないが、後々の記憶としては薄れがちだ。
デコボコがあるから、良い記憶として残る。
そうした苦労は「人生の手ごたえ」といえるものだ。
なにも求めず、なにも追及せず、頑張ることもせずに生きよう、
知識もいらないし、技術もいらない、と考えるとしたら、
そのような人間は人間としての意味があまりないと思う。
なにも求めず生きるとしたら、その時点で自分を捨てたのと同じだろう。
精神の向上意欲は捨てない覚悟が必要だろう。
だからわたしは笑われようとけなされようが、最後まで何かを求め、
最後まで頑張って生きていこうと思う。どうせ死ぬと考えた時点で、
その人の人生は終わりだと思うからだ。
私のドイツ時代の恩師のシュナイダー先生も、「ふるさと」に惹かれたことがあった。シュナイダー先生はミュンスター大学に長年勤められて、そこの学部長もなさった方なのだが、学部長時代に奥様が癌に罹ってしまった。悲嘆した先生は、奥様が亡くなったら気持ちの張りもなくなり、一人ぼっちの生活には耐えられないだろうと考え、郷里の田舎に帰る決心をされた。そしてある時、奥様の病床でその決意を打ち明けたのだという。すると奥様はシュナイダー先生に、
「田舎などに帰っては絶対にいけません。そこで静かに生活するなどということは単なる夢です。あなたが思い描いている田舎では、もうあなたの世話ができる親も死んでしまっていますし、身内の人もいない。知っている人だっていなくなっている。あなたはこのミュンスター大学に長年奉職して、この大学街で多くの知人・友人に恵まれているではありませんか。学生たちも慕って訪ねてきてくれる。だから、私がいなくなったからといって、この町を離れるなんて絶対にしてはいけません。この町でこれからも生活してください」
とその死の床で戒めた。先生はこの奥様の遺言を守り、余生をずっとミュンスターの町で暮らされたのである。
個人的な富や財産を悪だとして排除すると、
民衆の段階に下りる富や自由までなくなることになる
自由は、個人の富の蓄積とそれを自由に使える社会に生まれてくるもの
ならば、もっと自由を欲しければ、もっと個人財産権が守られるようにすること
大切なことは、良きものを嫉妬心によって、悪しきものにしてしまわないこと
「リーダーというものは、
勝つか負けるかわからないようなどん底の状態に置かれても、
朗らかでいられる奴」
(旧ドイツ陸軍参謀総長ゼークト大将)
カリカリ、イライラする上司と一緒に仕事をする程、嫌なことはない。
人の上に立つ人間ほど、朗らかで、大らかで、寛容でなければならない