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新渡戸稲造ー武士道の山 

2019年05月29日 | 思想哲学
 武士道は斜面緩かなる山なり。されど、此処彼処ここかしこに往々急峻なる地隙、または峻坂なきにしも非あらず。
 この山は、これに住む人の種類に従って、ほぼ五帯に区分するを得べし。
 その麓に蝟族する輩は、慄悍なる精神と、不紀律なる体力とを有して、獣力に誇り、軽微なる憤怒にもこれを試みんと欲する粗野漢、匹夫の徒なり。彼らはいわゆる「野猪武者」にして、戦時には軍隊の卒伍を成し、平時には社会の乱子たり。
 更に歩を転ずれば、ここに他種の人の住するを見る。山麓叢林の住民よりも進歩したる一階級の民なり。彼らは獣力に荒すさまず。野猪の族と異りて、放肆ほうしなる残虐また悪戯を楽しみとせずといえども、なおその限られたる勢力を行わんことを喜びとなし、傲岸ごうがん尊大にして、子分に対しての親分たるを好む。その最も快とするところは、自己の威信あるを感ずること、即ち人より服従せらるる事なり。最も彼れを憤懣せしむるものは、その権力の侵害せらるること、即ち抑圧を蒙ることなり。彼らは戦場に在りては勇敢なる下士となり、平時には最も厭いとうべき俗吏となる。
 この類の住地よりも高くして更に一帯あり。その住民は、野獣的にもあらず、また傲慢にもあらず。多少の学術を愛し、書を読み――多くは経済法律の初歩を学びて、しかして喋々ちょうちょう大問題を論ず。その眼界は法律政治の外に出いでず。その文学は小説と三文詩歌とに限られ、科学は新聞紙上にて読むものの以外に少しも留意せず。彼らの態度は、「野猪」の粗野と、彼らの直下にある者の厳峻とを脱して、その仲間の者には便安に、上級者に対しては窮屈に、下級者に対しては威張る。彼らは真髄武士道の新参者と称すべく、その数や多大なり。彼らの中よりして軍隊の将校を出し、また政府の事務を掌つかさどるの公吏を出す。
 更に高き処ところに一地区あり、ここには武士中高等なる階級の者繁栄し、軍隊の将軍と、日常生活に於ける思想行為の指導者とを有す。下に在る者には愛せられて、常に威厳を保ち、上に在る者には丁重にして、決して自信を失わず。されど彼らの紳士的態度の皮下には、柔和なるよりも寧ろ多くの厳格なるものを有し、彼らの親切には、同情よりも寧ろ多くの自覚的謙譲あり。彼らの至高なる精神的態度は、愛情よりも寧ろ多くの憐愍れんびんを示す。彼らは汝に語るに親切聡明なる事物を以てし、汝はその意を解し、その語を記憶す。されど彼らの声は汝らの裏うちに生きて存留せず。彼らの汝を見るや、汝はその眼光の透徹なるに驚く。されど彼らの眼の鮮光は、彼らの汝を去ると共に消ゆ。
 汝は峻険崎嶇きくたる山径を攀よじ、至高の地帯に登りて、武士の最高なる者を見んとする乎。此処ここに在りては、汝を迎うるに、頗すこぶる柔和なる民族の毫も軍人的ならず、その容貌態度殆ど婦人に類するものあり。汝は彼らを見て武夫なるや否やを疑わんとす。汝は一見以て彼らを凡人視することもあらん。彼らは尊大ならず。汝は容易に彼らに近づくを得べく、彼らの親したしみ易やすきが故に、狎なれ易しとなさん。されど汝は近づかざらんとするも能わざるが故に、彼らに接し来ることなるを知らん。彼らは貴賤、大小、老幼、賢愚と等しく交わり、その態度は嫺雅かんが優美なりというもおろか、愛情はその目より輝き、その唇に震う。彼らの来るや、爽然たる薫風吹き渡り、彼らの去るや、吾人が心裡の暖気なお存す。学を衒てらわずして教え、恩を加えずして保護し、説かずして化し、助けずして補い、施さずして救い、薬餌を与えずして癒いやし、論破せずして信服せしむ。彼らは小児の如く戯れかつ笑う。彼らの戯は無邪気というも中々に、罪を辱かしむるものなり。彼らの笑は微かなりといえども、萎なえたる霊魂を蘇生せしむ。彼らの小児らしきは、罪ある良心をして、純潔を羨望せしむ。彼ら泣かば、その涙は人の重荷を洗い去る。そもそもこれらの武夫の住する地帯は即ち基督の徒と共なり。(三十九年二月台南にて)
〔一九〇七年八月一五日『随想録』〕
 
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新渡戸稲造 知・仁・勇

2019年05月28日 | 思想哲学

 

 

 

 

「忠義」より~

「シナでは、儒教が親に対する服従を以って、人間第一の義務となしたのに対し日本では、忠が第一に置かれた

 

●「武士の教育及び訓練」より~

「武士の教育に於いて守るべき第一の点は、品性を建つるにあり。思慮、知識、弁論等、知的才能は重んぜられなかった。武士道の骨組みを支えた鼎足は、知・仁・勇であると称せられた

 

●「克己」より~

「克己の理想とする処は、心を平らかならしむるにあり

 

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新渡戸稲造 誠

2019年04月13日 | 思想哲学

「誠」より~

「信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である。

『武士の一言』と言えば、その言の真実性に対する十分なる保障であった。

『武士に二言はなし』二言、即ち二枚舌をば、

死によって償いたる多くの物語が伝わっている」

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新渡戸稲造 礼

2019年04月12日 | 思想哲学

「礼」より~

作法の慇懃鄭重(いんぎんていちょう)は、日本人の著しき特性にして、

他人の感情に対する同情的思い遣(や)りの外に表れた者である。

それは又、正当なる事物に対する正当なる尊敬を、

従って、社会的地位に対する正当なる尊敬を意味する」

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新渡戸稲造 仁

2019年04月11日 | 思想哲学

「仁、即惻隠(そくいん)の心」より~

「弱者、劣者、敗者に対する仁は、

特に武士に適しき徳として賞賛せられた

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新渡戸稲造 勇

2019年04月10日 | 思想哲学

「勇、敢爲堅忍の精神」より~

「勇気は義の為に行われるのでなければ、

徳の中に数えられるに殆ど値しない。

孔子曰く『義を見てなさざるは勇なきなり』と」

 

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新渡戸稲造 義

2019年04月09日 | 思想哲学

「義」より~

「義は武士の掟の中で最も厳格なる教訓である。

武士にとりて卑劣なる行動、曲がりたる振舞程

忌むべきものはない

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新渡戸稲造 知行合一

2019年04月08日 | 思想哲学

「武士道の渕源」より~

「武士道は『論語読みの論語知らず』的種類の知識を軽んじ、

知識それ自体を求むべきで無く叡知獲得の手段として求むべき

とし実践窮行、知行合一を重視した」

 

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般若心経の結論

2019年04月05日 | 思想哲学

 

般若心経の結論

1.眼に見え五感に触れるもの全ての実体は
  「空」すなわち魂の世界にある

2.表面的な存在へのこだわりと執着を捨てて
  「空」なる魂の世界に入って行こう

3.「空」の世界では、体も心も一切の迷いもない
  迷いがもたらす苦もなく、苦を逃れる必要もない

4.「空」の世界のエネルギーに一体化して
  この上ない安心と充実の境地に入ろう

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仏教のさとり

2019年04月03日 | 思想哲学

 

「さとり」を平たくいえば次のようになる。

 現実の存在は、さまざまな理由(縁)で存在している。それは縁がなければ本当はなにも存在しないということである。

いまの存在も、これが縁となって次の存在に変わっていく。それはどんどん変わっていく。すると、本当の存在などどこにもないことになる。生生流転、人、ものすべては流転し変化していく、そこに真理がある。あるいはその変化を主宰する真理=阿頼耶識がある。

それが真実である、このことを理解するのが「さとり」だ

また、この「さとり」は、不可称、不可説、不可思議である。しかし、それは筆舌につくしがたい素晴らしいものである。

ただし、この「さとり」に到着するのにはさまざまなもの凄い修行が必要である。人間は次々と生まれ変わり、何万年、何億年という時間をかけなければならない。

通常では到達できない。

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この世界は美しい。人間の命は甘美なも のだ

2018年10月19日 | 思想哲学

釈迦さまは

「人生は苦である。四苦八苦の苦しみである」

と説かれていますね。

しかし最晩年に人生を省みられたのか、

「この世界は美しい。人間の命は甘美なものだ」

と語られたといいます。

21 世紀という現代において、地球世界のグローバル化はますます進んでおります。

交通や通信の手段の視点からすれば、地球はますます小さくなり、

しかもその地球は人間の現代文明によって汚染されている。

こうした状況からすれば、21世紀にふさわしい新たな世界観が構築され、

新たな人間観とともに、それらが個々人に反映した人生観が求められてしかるべきではないでしょうか。

その意味において私が申し上げたいのは、最初に触れました華厳の教え、

一人ひとりが輝ける華となって、この世界を飾っていこうではないかということであります。

 

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少年のときには良き態度を学び

2018年10月18日 | 思想哲学

「少年のときには良き態度を学び、

青年のときには感情を制御することを学び、

中年のときには正義を学び、

老年に至っては良き助言者になることを学ぶ。

そして悔いなく死ぬ。」

人生学ぶことの大切さを語っているのですけれども、

これは、アレキサンダー大王が東方遠征でインドまで来たおり、

現在のアフガニスタンに何万人というギリシャの戦士たちが残されました。

そのギリシャ人がバクトリア王国という国を建て、

その一つの都市国家を建設した将軍の墓廟の壁を飾っていた言葉です。

これは発掘で分かったのですが、そのギリシャ語の碑文を見ますと、

はるか遠く、ギリシャ本土のデルフォイ(アテネの西方)まで出掛けていって、

そこのアポロ神殿の壁面を飾っていた神の言葉、神託を写し取ってきたというのですね。

ギリシャ人というのは大変な人たちですね。

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幼くしては食欲に悩み

2018年10月17日 | 思想哲学

「幼くしては食欲に悩み、

長じては性欲に悩み、

老いては物欲に悩む。これ人なり。」

これはお祈りの言葉です。

内村鑑三という明治時代の大変偉い人が打ち立てました無教会派キリスト教の信者が、

食前の祈りに述べた言葉だそうであります。

 

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本性がそのまま顕在化している

2018年10月16日 | 思想哲学

仏教は人々の争いの原因となる本性に目覚めなさいよと教えてきたのだが、

その教えが、もはや忘れ去られてしまって、本性がそのまま顕在化している。

そうした心の状態に権利主義が乗っかって、ますます他者に責めを求める気風がはびこる。

自分が9分9厘悪いと自覚していても、一分でも相手に非があれば、それを全面的に主張する。

極端な言い方かもしれませんが、それが今の世の中に現象であろうかと思います。

 

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仏教は他者に原因を求めず、 自らの心の内を見つめる

2018年10月15日 | 思想哲学

自己と他者という関係においては、仏教は他者に原因を求めず、

自らの心の内を見つめるということを説いているのですね。

常に焦点を自分自身の心の内面に当てて行こうとする態度であります。

したがって、対立する自他においては、責めを、責任を他者に求めるという考え方はしていない

そこには宗教としての仏教の立場があると言えます。

仏教には、キリスト教やイスラム、ユダヤ教など、

旧約聖書系の宗教に見られるような「唯一なる絶対他者」、

他のすべての神々を排除した神の観念は存在しないのであります。

 

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