自分の自我、自分の利害だけに心を労するのでなく、他人のことにも思いを傾け、他人の要求にも関心を向けるための内的の活力と豊かな心を持った人は、高貴な魂の持ち主である。
高貴な魂の人は、自分を過大に評価することなどなく、学ぶことを知っており、謙虚である。
高貴な魂は、目的達成に努めるが、相手方を憎んだりはしない。むしろ、相手を尊敬し、その価値と尊厳を認める。
高貴な魂の持ち主は、その周囲に自由な人々を求める。そして、自分の計画・企画をはっきりと提示し、異議や苦情があればそれに謙虚に耳を傾ける。他の人びとを刺激し、説得し、導きながら、コンセンサスをもって関係を保ってゆく。自分の周囲に、信頼の空気をつくりだす。策略や奸計(かんけい)を案ずる人はいない。万事のルールが明確で、彼が真っ先にそれを守るからである。態度の悪い人物のことはとがめ、立派な振る舞いの人についてはこれを報奨することも心得ている。これらのことをきちんとおこなうには、内面の均衡、内心の調和としてあらわれる訓練と規律が必要とされる
高貴な魂は、逆境や不遇に抵抗できる精神的な勇気、執念をも、誘惑に屈しない力をも、その心に抱き寄せる。
高貴な魂の人びとは、存在するし、しかも社会のすべてのレベルに見られるのである。くもりのない目で世界を見るならば、それを確認することができる。我々の生活が快適でいられるのも、彼らのおかげである。
学校で学んだことを一切忘れてしまった時に,なお残っているもの、それこそ教育だ。
-アインシュタイン
書籍なき家は,主人なき家のごとし
-M.キケロ
もし君が大きな才能の持ち主なら、勤勉は才能をさらに大きくするだろう。
レイノルズ
勤勉は幸福の母である。神は勤勉に全てのものを与える。勤勉であることは幸せになるための原点である。勤勉であればいつか必ず報われる時がある。
ベンジャミン・フランクリン
思いやりは誠実や人間関係の基本である。
人間だけでなく、
動物、魚、鳥、木、
全ての生き物への愛があるということである。
どんなに抵抗があろうとも、
思いやりのある行為には、奥深い真実がある。
それこそが、この世界に、そして互いに、
与えなければならないものだからだ
ラム・ダス
司馬遼太郎
明治時代はふしぎなほど新教の時代ですね。
江戸期を継承してきた明治の気質と
プロテスタントの精神とがよく適ったということですね。
勤勉と自律、あるいは自助、それに倹約
これがプロテスタントの特徴であるとしますと、
明治もそうでした
「切散八俣遠呂智(きりはなつやまたのおろち)
負袋爲従者率往(ふくろをしよいともびととなりていきき)」
「八俣遠呂智(八岐大蛇)のような生き方を遠ざけ、
袋を背負い、従者となり、人生を歩いていこう」
阿部國治
木養う所あれば、
すなわち根本固くして枝葉茂り、
棟梁の材成る。
木は手入れをきちんとしてやれば、
根がしっかり張り枝葉も茂ってくる。
そして家の屋根を支える程の立派な材木に成る。
★人も才能を引き出し、
磨いてやれば国を支える人材となる。
僕は生まれながらの傍観者である。
子供に混じって遊んだ初めから、
大人になって社交上尊卑種々の集会に
出て行くようになった後まで、
どんな感興のわき上がった時も、
僕はそのうずまきに身を投じて、
心から楽しんだことがない。
僕は人生の活劇の舞台にいたことはあっても、
役らしい役をしたことがない。
森鴎外
*なんかよく分かる
本当に何かを知っていくためには、
苦悩を重ねる必要がある。
人はなぜ自分の命を懸けてまで山に登るのか。
自分にできるかできないか分からないことに対する挑戦、
自らを奮い立たせる勇気、そして苦しみ。
息も絶え絶えになりながら山を登り切り、
自分の限界を超えて頂上に達した時の喜び。
その喜びがあるから山に登るのだと思う。
そうした苦悩の上に立って、
当たり前のことを心から幸せに思える人は幸せだと思うんです。
当たり前のことを単に当たり前だと言って済ませている人は、
まだ子供で未熟です。
本当に大切なものは、失った時にしか気づかない。
それを失う前に気づくのが大人だろうと思うんです。
外尾悦郎
不挟長 不挟貴 不挟兄弟而友
長を挟(サシハサ)まず、貴を挟まず、兄弟を挟まずして友とす
「孟子」より
友付き合いでは、
年齢の長幼とか身分の高下、
立派な兄弟のあるなしなど
は問題ではない。
自分の力量でもないことで自分が偉いような気になっているものは友にするに値しない。
運命に任すという
平静なる感覚、
不可避に対する
静かなる服従、
危険災禍に直面しての
ストイック的なる沈着、
生を賎しみ死を親しむ心、
仏教は武士道に対して
これらを寄与した
新渡戸稲造
★ストイックに・・・なかなか難しい
いまの欲望を煽るビジネスが全盛なときには