2枚だけ持っている熊谷守一の絵のうち、「水滴」と題されたこの1枚(シルク)は、私の好きな絵です。
家人や、来訪者はいろいろと評しますが、好きなものは好きなのですから、仕方がありません。私には童謡のメロディが聞こえてくる絵です。
1日中雨を眺めて、あるいは蟻を見つめていて飽きることのなかった守一が捉えた水滴は、庭先の水溜りに落ちてくる雨あしでしょうか。
浅い水溜りに沸き起こるメロディーを楽しみながら描いています。
ここまでくるとイラストに近く抽象化されていて、しかも迷いのない確かな線と形です。それでいてどこかユーモラスでさえあり、ほのぼのとしたものがあります。
文化勲章受賞内定を辞退し(1967年)、72年には勲三等の叙勲内示も、「お国のために何もしたことがないから」と辞退した守一らしい、肩の力が抜けた絵と思います。それが子供の描いた絵に通う素朴さを感じさせるのでしょう。
こんな境地での絵は、俗物の典型である私には、死ぬまで描けそうにありません。たとえ守一と同じ97歳までの高齢を生きたとしてもこの境地には到達できないでしょう。守一は、生きる姿勢も、そのスタンスも桁外れの人ですから。
この季節の私のささやかな贅沢は、守一の「水滴」を自分の部屋にかけて、存問を交わすことで,充分に満ち足りています。
オンマウスで2枚です。
家人や、来訪者はいろいろと評しますが、好きなものは好きなのですから、仕方がありません。私には童謡のメロディが聞こえてくる絵です。
1日中雨を眺めて、あるいは蟻を見つめていて飽きることのなかった守一が捉えた水滴は、庭先の水溜りに落ちてくる雨あしでしょうか。
浅い水溜りに沸き起こるメロディーを楽しみながら描いています。
ここまでくるとイラストに近く抽象化されていて、しかも迷いのない確かな線と形です。それでいてどこかユーモラスでさえあり、ほのぼのとしたものがあります。
文化勲章受賞内定を辞退し(1967年)、72年には勲三等の叙勲内示も、「お国のために何もしたことがないから」と辞退した守一らしい、肩の力が抜けた絵と思います。それが子供の描いた絵に通う素朴さを感じさせるのでしょう。
こんな境地での絵は、俗物の典型である私には、死ぬまで描けそうにありません。たとえ守一と同じ97歳までの高齢を生きたとしてもこの境地には到達できないでしょう。守一は、生きる姿勢も、そのスタンスも桁外れの人ですから。
この季節の私のささやかな贅沢は、守一の「水滴」を自分の部屋にかけて、存問を交わすことで,充分に満ち足りています。
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オンマウスで2枚です。
作られるものではなく、どうやら「究極のそぎおとし」はおのずから生まれてくるもののようです。方法は「経験です。」と語っています。どうやら穴のあくほど見つめる気の遠くなるような時間にあるようです。到底辛抱のできるものではありません。
「地面に頬杖をつきながら、蟻の歩き方を幾年も見ていてわかったんですが、蟻は左の二番目の足から歩き出すんです」守一の絵も言葉も、ごく「ふつう」ながら、希少な”ふつう”です。
平板に見える塗りつぶしも微妙さと確かさを持っています。真似てできるものでない事だけは理解しました。
春は ウソと櫻でしたね。兎に角じっと見て下絵はなかったと。心に描いていたのですね。
究極のそぎ落とし、単純化して、真理だけを残したような。 媚びや飾りを排斥しても、なお迫る魅力、とりつかれます。 かなわぬと知りながら目指したいところです。
お宝というほど大仰なものではありませんが、大事なものの一つです。私にとっては気軽にとはいえない買い物でした。でも、宝飾や、流行の衣服にはほぼ関心がないのですから。
毎年、架け替えて充足し、楽しめるなら、充分価値のあるものでしょう。
わが弟はじめ、ゴルフが生甲斐で、そこに充足した時間を感じるという暮らしもあるようですが。ほんとうに、人それぞれですね。
metaboさんこんばんは。やはり、解る人にはわかるものですよね。おっしゃるとおり、「うまく」描こうという視点はないスタイルが晩年の絵には顕著です。
「へたも絵のうち」を読み返していますが、観察すること、物をひたすら見ていることが気持ちがいいと楽しんでいます。どこか良寛を思い出させる生活です。羨ましい境地です。
”なんでこんな物を後生大事に・・”なんてお友達のコメントには”批評は人の自由”と許し
自分の世界に没入されておられるご様子。
お宝の一つに間違いないでしょうか?
心の癒しになるものは人によりイロイロと言いますが、本稿読了後、再認識した次第。