今朝の朝刊の一面には、硬骨の演劇人、“木下順二さん死去”の文字が記されていました。
漢字博士の白川さんの死を惜しむコメントを入れられた香HILLさんへの返事に、「何故か年の終わりが近くなると、偉大な仕事を遺された方の訃報が決まってあります。」と、書いたばかりでした。
山本安英の演ずる“つう”は、能の舞台に通う幽玄の雰囲気をかもして、舞台装置も極度に省略され、抽象化されて美しく、照明も優雅でした。
全国1037回の公演を重ね、オペラでも上演されています。
「民話劇の無垢な魂をうたい、戦争責任と人間のモラルを厳しく問い、天空から人の営みと運命を見つめる壮大な叙事詩劇に到達した、戦後新劇の良心だった。」
朝日新聞のこの記事が簡潔に、不足なく彼の業績を纏め上げています。
私たち世代にとっては、青春の日の思い出の一齣と重なり、未熟な思考に指針をもたらすよき代弁者でもあった忘れがたい人です。
最後まで妥協とは無縁の、硬骨の生涯を貫いて、今年4月、「審判」上演の際の、「過去というものが、きれいさっぱりと清算できるものでない以上、清算への努力は怠りたくない」という言葉を残されています。
あらゆる名誉ある賞、勲章の類を固辞し、芸術院会員にとの選出も辞退されたその生き方に、今、あらためて頭を下げ、心よりご冥福を祈ります。
今年も巨きな星が子午線のかなたに翔び去りました。
五高・東京帝大・英文科とご縁があったのでしょうかね。
同じ世代の丸山真男が政治思想史で戦後日本の精神的支柱だったが、木下氏は演劇で・・。
同氏が晩年書かれた"シェイクスピアの世界”岩波を
昔、何気なく買ってしまったが、斜め読みで頓挫。
演劇の立場からシェイクスピアのセリフがもつエネルギーに触れていましたね。
そう言えば、リア王・マクベス・ハムレットには名セリフが満載。
道化師「リアの影法師だい」
昔お気に入りの台詞でした。
今は、「貧乏というものは不思議な魔力を持つものだな。卑しいものを貴いものに変えてしまう。」がお気に入りです。
シェイクスピアは、徒然草と並んで、私に人生を教えてくれ続けています。
おかげさまで、病人の回復も至極順調のようです。
今までの、何気ない出来事に一喜一憂する日々です。
そういえば、「たとえ一刻一刻が死の苦しみでも、直ちに死ぬよりは生を選びます。」と、生への執着の強さを述べるくだりもありました。
団伊玖磨作曲のオペラ「夕鶴」はTVで。「かにむかし」など民話も忘れられません。節目ふしめに学んできました。 だいじな方が またひとり。胸の中に一等星のごとく輝いています。
蛙庵も少しずつ改善しています。
演劇まみれといえば、ご同様で、若い日の情熱の対象でした。舞台にも何度か立っています。そして能楽への傾斜と続いていきました。
このブログを読んでくださっている方の中にも、その頃の仲間がいらっしゃいます。
木下順二、大きな影響を受けた方でした。「愛情はふる星のごとく」懐かしい本を思い出しました。多分、粗末な紙に印刷された本を、どこかに残していると思います。
寒くなるようです。ご無理なさいませんように。