「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

祈りの日

2005年01月17日 | 塵界茫々
 今日は阪神、淡路の悲劇の日から10年目の追悼の日、生かされてあることを感謝し、亡き人へ鎮魂の祈りを捧げます。あの日から時間が止まったままの方もあると思います。
昨日から続く冷たい雨の一日、身を固くしながら、去年の冬の暖かさを思い返しています。いま、さむ空に手を伸ばす木々の梢は、勢いを見せる梅も,桜も、つい先ごろ葉を落とした紅葉までも、,けなげに芽ぐんでそれぞれの季節の準備をしています。あと少し、あと少しと思ってしまいます。
  漱石の 腸に春滴るや粥の味
      塩辛を壷に探るや春浅し   
ともに、身も心も春を探る思いが切実で、「春滴る」はねたましいほどの感覚です。酒の肴を探るとき、探せばある、というほどの春も一緒に探し当てて、そのもどかしさを楽しむ風情が好きです。被災地のかたがたが、希望の芽を探り当てられますように切に祈ります。

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2 コメント

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希望の芽 (R.H)
2005-01-18 17:16:40
彼の地には、現在103歳の母を介護しながら働いている友人がいます。昔の淡い恋の相手は、あの当時も住んでいたのだろうか。友人の淡々とした着実な生活に希望の芽を感じつつ、いにしえの恋人の安否を絶望的な想いで振り返らざるを得ない。明るい方向に目を向けるときと、暗い闇の中を探るとき。木々の冬芽の中に希望のふくらみを求めます。

思い出をいとおしんで (bon!)
2005-01-18 19:11:42
美しいコメント,胸にじんときます。春を待つ冬芽は、人に希望の何たるかを教えてくれるようです。ゆかしい生き方を尊敬します。