「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

古代ロマンへの旅  チブサン古墳

2008年08月11日 | 旅の足あと
 ここ菊池川流域は、装飾古墳が最も多く、福岡県南部と併せて、全国の約半数が集中していることで知られています。(註1)

 装飾古墳初期の図柄は、直線と弧線を組み合わせた直弧文や、円文、三角文、同心円といった幾何学的文様が多く、6世紀に入ると物語性を持った図柄が登場していますが、チブサン(註2)は、三角文で知られ、菊池川流域の代表的存在です。レプリカや印刷物では何度も目にしていますが、古墳の中で直接見ることができるというので興奮しました。
 博物館で案内を請うと、古墳の鍵を持った係りの方が車で先導してくださいました。
 ハウス栽培のドームが並ぶ畑道の中を進むとまもなく山裾に前方後円らしき古墳が現れました。 
 入り口手前にレプリカが展示されています。古墳のくびれ部分に立てられていたという”石人“は、岩戸山古墳の石人と似ています。今は九州国立博物館に保存展示されているということでした。
 懐中電灯で、石室内を照らしてくださって、2名ずつ順に見学しました。狭い石室入口をくぐるのに、ふとっている体を呪わしく思ったことです。保存状態もよく、顔料の赤も黒も白も鮮やかです。千五、六百年前の古代人の描いた絵の力強さに圧倒されます。
 三角文にこめられた辟邪の祈(災いを避け、死者の平安を祈る)をまざまざと感じました。
 帰りに通り道ですからと、オブサン古墳に寄ることを提案されました。ここは、石室内部は、入り口の点灯のスイッチを押して直接見ることが出来ます。奥壁にかすかに緑色らしき色を感じますが文様はないようです。それよりも、西南の役の折に付けられたという弾痕のくぼみの方が目を惹きます。
 石室の閉塞石には線刻がかすかに残っています。こちらは、少し離れた場所に屋根つきで むき出し状態で展示されていました。
 オブサン古墳一帯は公園に整備されていて石棺や、石造の埴輪のレプリカがさりげなく配置されています。
チブサン、オブサンの名前から連想する被葬者は女性でしょうか。遠く阿蘇の山なみを望み、豊かに流れる菊池川を前に眠っていたのはどのような人だったのでしょう。
 以上全部で一人100円の見学料に感心したことです。上のチブサン古墳石屋形内面の絵葉書は博物館の入館料210円を支払った時、パンフレットと一緒にいただいたものです。

註1 全国で約650基確認されている装飾古墳のうち、熊本県に190基近くが分布。特に菊池川流域に100基以上が集中している。   山鹿市立博物館のパンフレットによる。

註2 チブサン古墳は国指定史跡。装飾古墳の代表的なものの一つ。石屋形内部の幾何学模様が乳房に見える所から、オブサン(産さん)と共に安産の神様として信仰されてきた。直径22m、高さ5m。周囲に馬蹄形の周溝をめぐらす横穴式石室。古墳時代後期の築造と推測されている。 案内板による。

チブサン古墳とオブサン古墳
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チブサン古墳の入り口
横から見たチブサン古墳
案内板
案内板
石人のレプリカ
オブサン古墳の閉塞石
オブサン古墳の円墳の彼方に菊池平野、そして阿蘇の山
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