「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

関門の汐の流れ その2

2005年05月29日 | 旅の足あと
 「門司関」として、大宰府と都を往来す人と船の関所が設けられたのは646年(大化2年)です。今、和布刈神社へ向かう道筋の甲宗八幡神社を過ぎてすぐの、和布刈神社一の鳥居左横に、「門司関址」の碑が建っています。地元に住む人でも見落としている方が多いのではないでしょうか。

 任地にはるばるの旅を続けてきた人、また逆に任終えてやっと都に帰る人、その胸に去来する思いは,早鞆の瀬戸を眼前にして格別のものがあったにちがいありません。
 都人にとっては所詮、筑紫は「天ざかる鄙」であり、「遠のみかど」でしかないのですから。

 平安後期の歌人、源 俊頼は、大宰府での任を終え京への途次、門司関で歌を残しています。
   行き過ぐる心は門司の関屋よりとどめぬさへぞ書きみだりける
今、NHKの大河ドラマは「宮本武蔵」から「義経」へと関門を舞台に展開しています。
 壇ノ浦での平氏一門の滅びの哀史は、「諸行無常」の想いを今も渦潮に乗せて奏で続けています。