「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

関門の汐の流れ

2005年05月28日 | 歌びとたち
 
 今は「門司港レトロ」と銘打って大正初期の優れた建築が観光客をよんでいます。
 私の想い出の門司は、夏休みを故郷で過ごした従兄弟が旅順へ帰るのを見送りに行った日の港周辺の賑わいや、父に手を引かれて門司駅(今の門司港駅)で降り、連絡船に乗り換えて、山陽本線始発駅の下関から再び汽車に乗り厳島神社に連れて行ってもらったことです。
 海底トンネルや関門橋ができる以前の鉄道による九州からの交通手段でした。二階作りの連絡船の木枠の窓から海峡を行き来する船を飽きることなく眺めたことと、石炭をたく匂いを旅愁のように懐かしみます。

 この港から多くの人が旅立ってゆき、またヨーロッパなどから異国の香りを乗せた船が着くモダンな港町でした。このことが多くの文人たちに詩歌を残させたのだと思います。
 虚子は「春潮といへば必ず門司を思ふ」と詠んでいます。司馬遼太郎も『街道をゆく』で「私は日本の景色の中で馬関の急流をもっとも好む」と書いています。

 旧三井倶楽部にはアインシュタインが泊まったという部屋もあり、レンガ造りの壁に沿って桟橋通りを歩くと、現在と過去が交差し、タイムスリップを味わいます。
夏潮の今退く平家亡ぶ時も  高浜虚子

大阪商船
 
旧門司税関