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The Blueswalk の Blues&Jazz的日々

ブルースとジャズのレコード・CD批評
ときたまロックとクラシックも
 
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アヴァンギャルド PART Ⅷ

2010-03-11 14:14:13 | Jazz

アヴァンギャルド “コルトレーンからアイラーまで” -PART Ⅷ

《ドン・チェリー》
“俺はドン・チェリーの大ファンだ”などという方にお目にかかったことがない。それどころか、ドン・チェリーを聴いたことのないジャズ・ファンも多いのではないだろうか。
最近テレビをほとんど見ないのでまだ放送しているかどうか知らないが、トンネルズが司会する番組に『食わず嫌い王決定戦』というのがあった。男女のゲストがそれぞれ4品の料理を選び、その中に1品だけ苦手な料理があり、食後にそれを当てるという番組である。好きな人から見ればこんなにおいしい物を何故嫌いなんだろうとなってしまう訳だ。嫌いな人にとっては或るきっかけでトラウマになり、以来食べられなくなったりしたのだろう。医学的にもしくは生理的に受け付けられないのなら仕方がないが、こんなもったいないことはない。そう、ドン・チェリーはジャズにおけるその食わず嫌いの1品なのである。
ドン・チェリーは不運なミュージシャンである。それは、オーネット・コールマンと組んでフリー・ジャズを開拓していったにもかかわらず、一人コールマンだけが世間の評価を受け、チェリーはその子分ないしはその他大勢の一人としかみなされなかったからである。僕が一番信頼しているジャズ評論家の粟村政昭さんですらそのような評価をしている。少し長くなるが、粟村さんの『ジャズ・レコード・ブック』のドン・チェリーの項を引用すると、“かつてドン・チェリーはオーネット・コールマンの一卵性双生児であるかの如くに見なされた時代があった。しかし僕個人としてはとてもそんな好意的な見方をする気持ちにはなれず、「コールマンとチェリーは二卵性双生児で、出来のいい方がコールマン、大いにオチる方がドン・チェリー・・・” などと酷評されていた。
果たしてそうなんだろうか? 僕はそうは思わない。確かにコールマン時代のチェリーは多少のムラはあったにせよ、独自の奏法として後年花開くワールドワイドな音世界を持っており、騒音を撒き散らすだけのようなものではなかった。それに、コールマンと根本的に異なるのは、どんな音楽にも適応できる柔軟性(ヴァーサタイルな面)を持っていることであろう。それは、ジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズ、ほか様々なミュージシャンとのセッションに参加していることでもはっきりしている。その特徴と強みが見事に開花したのが1963年以降、ビル・ディクソン提唱の【ジャズの10月革命】に参加してから後のことであり、アーチー・シェップ達との「ニューヨーク・コンテンポラリー・ファイヴ」での活躍で注目されることとなった。さらに、一人立ちした1968年録音の『エターナル・リズム』によりフリー・ジャズ界の一方の旗頭として一躍脚光を浴びたのである。いわゆるエスニック・ミュージックと評される音楽の始まりがこのレコードであることが判る。悪く言えば、ごった煮、リズムの坩堝(カオス)みたいに聴こえるけれども、他の人では表現できない全くドン・チェリー独自の世界を醸し出している。
【モダン・ジャズ・スピリット】1963年11月15日録音
 ニューヨーク・コンテンポラリー・ファイヴ名義の作品である。アーチー・シェップ(ts)、ジョン・チカイ(as)らとの、実験的なグループであり、作品でもある。このグループは他に作品を何枚か出しているが、チェリーはこの作品のみに参加している。ここでの全面に渡ってのチェリーのトランペット・プレイは特筆すべきである。完全にオーネット・コールマンの世界から脱却した独自の音世界を表現しており、アーチー・シェップと対等、いや、それをも圧倒している。特に、チェリー作の“シザム”およびコールマン作の“ホエン・ウイル・ザ・ブルース・リーヴ”は本作のハイライトとなる演奏であり、いずれにおいてもチェリーの成熟した演奏スタイルが形成されている。
【エターナル・リズム】1968年11月11日録音
ソニー・シャーロック(g)、アルバート・マンゲルスドルフ(tb)、ヨアヒム・キューン(p)などが参加した、ベルリン・ジャズ・フェスティヴァルでのライヴ録音である。いわゆる、エスニック・ミュージックとかオーガニック・リズムとか呼ばれた、ドン・チェリー・ミュージックの完成作品とされていれる。ガムランとか様々な楽器を駆使して、ワールド・ミュージックの世界へ誘ってくれる。妖しさと幻想(ファンタジー)の不思議な夢世界が現れては消え、消えては現れるという感じであっという間に40分の演奏が過ぎてしまう。ジョン・コルトレーンの最後期の音楽がキリスト教的なスピリチュアルな世界とすれば、こちらはイスラム教的な中近東アラブの世界ともいえるだろう。
【ムー】1969年8月22日録音
ジャケットには『ミュー』と題されているが、“伝説の失われたムー大陸”の「ムー」が正しい読み方である。エド・ブラックウェル(ds)とのデュオで延々とインプロヴィゼーションを繰り広げる。名作『エターナル・リズム』とコンセプトはさほど変化はないが、ここでは2人だけの演奏のため、ドン・チェリーのトランペットやフルートのすばらしさを聴くには絶好のレコードである。こっちのほうがなじみのあるジャズの音楽として安心して聴けるし、それに加えて、エド・ブラックウェルの叩き出す多彩なリズムがチェリーの奏でるメロディーにつかず離れずの絶妙なバランスとタイミングを保っている。アヴァンギャルドではあるが、オーネット・コールマンみたいに突然変異で発生したような音ではなく、れっきとしたバップに根ざした音であることもわかるだろう。僕は、個人的にはこちらのほうが『エターナル・リズム』より好きである。13年後に再びこの2人は『エル・コラソン』(邦題“ベムシャ・スウィング”)というアルバムを出している。エドの病気明けによる多少の衰えはあるものの、相も変らぬ2人のコラボは楽しさ溢れたものとなっている。
【ライヴ・アット・アンカラ】1969年11月23日録音
こちらは現地(トルコ)の民族音楽のエッセンスを取り入れ、エスニック色がますます強調されている。短い曲が多く演奏されているが、全体としては連続した組曲と捕らえてもいい。無名の現地?のリズム陣はこれまでのメンバーと比べても全く違和感なくドン・チェリーの世界観を現出しており、これは、チェリーの方がその土地の音楽に同化しつつ、自己表現をしていると言ったほうが適切なのだろう。アコースティックな演奏なのであるが、たまにエレキ・ギターのハウリングを思わせるアンプリファイド・トランペットでの効果音などを使ったりし、激しさと平穏さが同居したようなメリハリの利いたリズムに乗った多彩なメロディ溢れる構成で、自然とチェリーの世界に引きずり込んでいく。
 ドン・チェリーの料理(音楽)を好きになるには、作品を眺めているだけでなく、一度『エターナル・リズム』の世界に入り込んで、すべてを委ねてみることである。そして余すところなく飲み込んでしまうに限る。そこで、まずかったのであれば、それはそれで仕方がない。縁がなかったものとあきらめよう。もし、何か今まで食べたことのない味が興味をそそられたらしめたもの。ジャズ・フアンたるもの、決して、聴かず嫌いで終わらぬようにして欲しいものである。


アヴァンギャルド PART Ⅶ

2010-03-11 14:08:27 | Jazz

アヴァンギャルド “コルトレーンからアイラーまで” -PART Ⅶ

《オーネット・コールマン》
1959年にアルバム『ジャズ来たるべきもの』が発表されたとき、ジャズ界に衝撃が走ったそうである。つまり、今までになかった“ジャズ”の出現であった。元来、ジャズは即興を核にした音楽であるから、それまでフリーフォームな演奏も多かったはずであるが、この作品とそれ以前のジャズとの違いは何であったのか非常に興味のあるところだ。
僕は、オーネット・コールマンの「音」には他のフリージャズにはないもうひとつの異質なファクターがあると思っている。それを説明するのは非常に難しい(理論ではなく感覚の問題であるから)のであるが、一言でわかりやすく言うと【音痴の演奏】ということである。音痴というのは、「次はこのような音が出るはずであろうところに半音か4半音上下した音が出る」というような意味である。この調子はずれの音があるため、さらに違和感(人によっては不快感)を増幅させるようである。多分、本人が意識せずに出ているのではないだろうか。だから、他とは次元が違う音空間を思わせるのである。
また、巷でよく耳にする「ハーモロディック理論」が特異な存在をさらに異端化させてもいる。言葉だけが独り歩きしている観があるが、つまるところ、メロディーとハーモニーとリズムをそれぞれ等価として扱う、メンバーが思い思いに音を出していても音楽はすでに成り立っているということらしいが、ジャズとはそのような音楽であり、ことさら理論化するほどの説得力は無いような気がする。各楽器の演奏者がクラシックの交響曲などで云うところの「対位法」をやるといったイメージをすれば一番わかりやすい。
しかし、オーネット・コールマンの音楽は、決して過激ではないし、難しくもない。メロディもやさしいし、現代でも多くのジャズ演奏家が彼の曲を好んで取り上げていることでも良く分かる。大西順子などもオーネット・コールマン・ファンであったようだ。今回は、1962年にタウンホール・コンサート・ライヴを最後に約3年近くの充電期間を経て、怒涛の復活をした1965年以降の作品から数点取り上げることにする。
【チャパカ組曲】1965年6月15~17日録音
当時の新人映画監督コンラッド・ルークスが自作『チャパクア』のためにオーネット・コールマンに音楽を依頼し、出来たのがこれ。ところが、あまりにも出来が良かったため、映画のBGMに使うのがもったいないと言うことで、映画には取り直ししたラヴィ・シャンカールの音楽が採用され、オーネット・コールマンのこれは独立してレコード化されたといういわくつきのものである。1965年には『クロイドン・コンサート』、『アット・ザ・ゴールデン・サークル』と彼の最高傑作とされるライヴ録音があるが、復活第一番目がこのレコードであり、以降のすべての活動のベースになっていると言う点で重要である。4つの組曲で構成されているが、特にこれと言った題材があるわけでもなく、全面的にオーネット・コールマンのインプロヴィゼーションをフューチャーしており、完全な一人称ジャズといったところである。常に冷静沈着でかつバラエティに富んでいるので飽きさせることは無い。僕は、オーネット・コールマンの最高傑作だと思うのだが・・・
【サイエンス・フィクション】1971年9月9日録音
1970年以降はヨーロッパを中心として、コンサート活動を精力的に行った時期であるが、スタジオ録音も『ブロークン・シャドウズ』、『サイエンス・フィクション』と問題作品を発表している。このCDは上記『ブロークン・・』と『サイエンス・・』に未発表を加えたコンプリート・セッション版である。オーネット・コールマンの全体像を掴むには格好の編集版である。が、ヴォーカルあり、ワードあり、ロック調ありの構成は、散漫な印象を受けるだろう。僕はBGMとしてよく聴いているのだが。
後年発表された『パリ・コンサート』は1971年暮のライヴ録音である。スタジオとライヴの違いはあるが、こちらのほうが1965年ごろのライヴ録音が好きな人にとってはたまらないだろう。『アット・ザ・ゴールデン・サークル』もいいが、僕は『パリ・コンサート』のほうを上と見る。
【ダンシング・イン・ユア・ヘッド】1976年12月録音
奇抜なジャケット・デザイン(さかさまに見ても人の顔の絵本を小さいころ見た記憶がありますよね)と共に、印象的なメロディで延々と続けられるリズミカルな「テーマ・フロム・ア・シンフォニー」演奏は本当に楽しい。エレクトリックなロック・リズムに乗って、オーネット・コールマンがフュージョンしている感じ。マイルス・デイビスのフュージョンが深刻で暗いイメージがあるのに対し、オーネット・コールマンのは爽快で楽しい。かといって、そこいらの薄っぺらいフュージョンとは一線を画しているのは、メロディの多様性な訳で、そこにオーネット・コールマンの真骨頂が見い出されるのではないだろうか。「ミッドナイト・サンライズ」は一転して、エスニックな中近東のイメージを醸し出し、このあたりはドン・チェリーに繋がる要素を持っている。この曲は1973年の録音のようだ。
【ヴァージン・ビューティ】1987年1月録音
このころから、“プライム・タイム”というグループ名で活動をしている。パット・メセニーなどとの交流を深めつつ、コマーシャリズムを意識してはいるが、本質的にオーネット・コールマンの音楽は変わらない。今では「ハーモロディック理論」の伝承第一人者がパット・メセニーであるという事実は面白い。
このレコードはアメリカのユニークなロック・グループとして有名なグレイトフル・デッドのリーダーであるジェリー・ガルシアとのコラボレーションである。だんだん、角が取れて聴きやすくなって来ているのが分かる演奏である。
“どれを聴いてもオーネット・コールマンはいつも同じ”と言えなくも無いが、こういう風に時系列に聴いてくると、それでも時代の変遷を経て現在に至っていると言うことは分かると思う。


 


6月はボサ・ノヴァで

2010-03-11 14:01:36 | Jazz
 僕はボサ・ノヴァがとりわけ好きということはないのであるが、5月から6月にかけてのさわやかな季節にはボサ・ナヴァがよく似合う。という訳で今月は2枚のボサ・ノヴァのアルバムをレポートしたい。
ファブリッツィオ・ボッソ(tp)のブルーノート・レコード第1弾がこれ『ニュー・シネマ・パラダイス』(録音は2007年)である。ハイ・ファイヴ・クインテットでの活躍で、一躍ジャズ界の寵児となった感のある、Nerologist M.D.さんや変態ベースさんのレポートで紹介があったように、その本質はネオ・ハードバップともいえるブリリアントな音色で圧倒的な存在感を示している彼である。しかし、このアルバムは、ウィズ・ストリングスのやわらかく、幅広い音を聴かせてくれている。ヴォーカルなども交え、選曲もバラエティに富んでおり、その幅広い素養の一端を見せている。隅々まで計算されつくした緻密なプロデュースの成果が顕れており、ジャズ・スタンダードとボサ・ノヴァが程よくミックスされ、厭きさせない構成となっている。しかも彼の伸びやかなトランペットの音色が多彩かつ華麗に全般にわたってフューチャーされており、一つで二つを味わえる嗜好となっている。必聴は、「ジョージア・オン・マイ・マインド」。ストリングスをバックにトランペットをストレートに吹ききるだけなのであるが、そこに醸し出される暖かい情感はなんとも云いがたいものがある。さらに後半、ピアノ・ソロに入るやバックのストリングスなしの、一転してブルージーに心を揺さ振ってくるアレンジが秀逸だ。とにかく、この人のトランペットはスピード豊かなパッセージもスローなバラードも全く破綻がない。クリフォード・ブラウンやウィントン・マルサリスに匹敵するのではないかと思う。今や、当代NO.1のトランペッターと言ってもいいだろう。
 ジャンニ・バッソ(ts)の最新盤が『リカード・ボサ・ノヴァ』(2007年録音)で、イリオ・デ・パウラ(g)との双頭バンドでのボサ・ノヴァ集である。ジャンニ・バッソといえば、イタリアのベテラン・テナー奏者で、50、60年代に「バッソ・バルダンブリーニ・クインテット」で活躍し、昨年ぐらいから当時の録音がタワー・レコードあたりで盛んに宣伝され、好評を博したようだ。残念ながら、そのときは視聴だけに終わってしまったが、当時のイタリアにおけるハード・バップな演奏をするグループとして人気があったと紹介されていたし、実際かなりハードな通好みの演奏をしていたと記憶している。イリオ・デ・パウラという人は初耳で全く知らないが、ブラジル人だけあって、派手さはないがボサ・ノヴァらしいギターを聴かせてくれる堅実なベテラン奏者といえる。ボサ・ノヴァを聴くなら、メロディ楽器とギターの組み合わせが一番のというのが僕の持論であるが、その典型の演奏をしてくれている。年齢的にみて燻し吟の枯れた味わいで落ち着いた演奏を予想したのであるが、予想に反して若々しく張りのある演奏であるというのが第一印象である。ファブリッツィオ・ボッソに比べて軽やかでリズミカルなので聴きやすい。ボサ・ノヴァ・ファンにとってはこちらが好みに合うかもしれない。タイトル曲の「リカード・ボサ・ノヴァ」が一番いい。ハンク・モブレイ版を踏襲した小気味いいリズムが快適だ。
 今日、日本ではアメリカのジャズと同等にイタリアのジャズに人気があるが、このようなベテランから新進気鋭の若手にいたるまで層の厚さがある限りまだまだこの人気は続きそうだ。
イタリアのジャズ・レーベル”NormaBlu”も要ウォッチである。

ピーターソン讃歌

2010-03-11 13:57:41 | Jazz
 僕が確か大学1年生の頃だったと思う。今から40年近くも前の話だ。当時はロック一辺倒の少年で、まだビートルズやストーンズがヒットチャートを賑わしており、それらにのめり込んでいた時期であった。そんな中で、突然ピアノ・インストルメンタルな曲がチャートに昇ってきた。曲名は「自由への讃歌」、演奏はオスカー・ピーターソン。勿論、18歳の少年はジャズなんか全く知らないから、ピーターソンさんがどんな人かも知らない。でも気に入った。心に沁みる旋律が新鮮であった。ポータブルプレイヤーなども持っていないから、レコードも買うことも出来ない。入学祝いに兄貴から買って貰ったポータブル・オープンリール・テープデッキ(イメージできるかな?)で、携帯ラジオのスピーカーの前にマイクをおいてエアチェックした。何せ、住まいが鹿児島の田舎で、放送が東京のニッポン放送や文化放送の深夜番組の音源だから今から考えると雑音だらけだっただろう。でもとにかく、よく聴いた。実際のところこの曲はジャズというより、スピリチュアル、ゴスペルに近い。ということは、この頃から既に僕にはブルース好きが潜在的にあったのかもしれない。とはいえ僕にとってのジャズ初体験はオスカー・ピーターソンだったのだ。 ロック熱も冷めて、20才代後半、ジャズを本格的に聴き始めた。でも周りはジャズ・ピアノといえばキース・ジャレットだのハービー・ハンコックだのチック・コリアだのと喧しい。評論家たちも一様にオスカー・ピーターソンを評価しない。その理由は、「芸術性がない」だ。「大衆的すぎる」だ。こんなにスウィングし、早弾きの出来るピアニストなんてどこにもいないのに。だいたい、ジャズなんてダンス音楽から発展した大衆音楽じゃないか。ダンスに誰も「芸術性」なんか求めてなんかいないじゃないか。それなのに世間はそうは思ってくれない。だから、「オスカー・ピータソンが大好きだ」なんて、とてもじゃないが言える雰囲気ではなかった。だから、密かに一人だけで愛する日々が続いた。でも、わかる人はわかっていた。この間から何回もレポートに出てきて申し訳ないが、あのブルー・シティのクロージング・テーマは「自由への讃歌」だったのだ。 現代のジャズ・ピアノの系列には大きく3つの流れがあると思っている。ひとつはアート・テイタムを元祖とするクラシカルな早弾きスウィング・ピアノ、もうひとつはバド・パウエルを元祖とする激しいバップ・ピアノ、最後がビル・エバンスを元祖とするリリカルなピアノである。現代は後者の2系列が主流であるが、オスカー・ピーターソンは勿論、アート・テイタム派の代表者であり、ピアノを弾くという技術でいうと天才派の流れである。だから余人には不可能な領域であるから跡継ぎもほとんど居ない。フィニアス・ニューボーンJr.が最後かもしれない。でも、僕はこの系統が好きである。有無を言わさずスウィングしまくる圧倒さが好きである。 2007年の暮も押し詰まった12月25日の新聞でオスカー・ピーターソンの訃報を知った。新聞には「ジャズ・ピアノの大御所」となっていた。本当に「大御所」と思っていた人が何人いたんだと腹立たしくはなったけれど、自分自身が「オスカー・ピータソンが大好きだ」と言えなかった弱みもあって、その夜は誰にも言わず一人しみじみとバーボンのグラスを傾けながら「自由への讃歌」を聴いた。だから、今だからこそ言ってしまおう『僕の一番好きなジャズ・ピアニストはオスカー・ピータソンである』と。『ピーターソンさん、貴方は僕の中で永遠に不滅です』と。

追悼 バド・シャンク

2010-03-11 13:51:55 | Jazz
 1950年代、ジャズの全盛期のころ、アメリカのジャズは大きく2つの流れに分類されていました。ひとつは、ニューヨークを中心とした東海岸のイースト・コースト・ジャズであり、もうひとつは、ロスアンジェルスを中心とした西海岸のウエスト・コースト・ジャズです。音楽的な傾向で云うと、東は一発必殺アドリブに賭けるタイプで、西はクラシカルなアンサンブルを聴かせるタイプといえます。人種的にも東が黒人中心であるのに対し、西は白人のインテリ(譜面を読めなければ緻密な編曲を演奏できなかったという背景)中心の違いがあります。 この、西海岸のジャズのスター・プレイヤーといえば、アート・ペッパーであり、チェット・ベイカーでしたが、この二人はあくまでも「顔」であり、音楽を支えていたのは、ショーティ・ロジャースとジェリー・マリガンの二人でした。二人とも器楽奏者、コンボリーダとしてだけでなく、編曲者としても、プロデューサーとしても超一流の実績を残しています。そんな中にあって、これらの4者に負けず劣らず活躍したのがバド・シャンクです。しかし、前者のアート・ペッパー、チェット・ベイカーが破滅天才型であり、後者のショーティ・ロジャース、ジェリー・マリガンが堅実多才型と色分けできるのに、バド・シャンクはどっちつかずで一演奏者に徹していたため、人気の面では非常に分が悪かったようです。しかし、前者がある意味気分屋で時に不安定な演奏したのに対し、常に安定した一級品の演奏は、重宝されました。残された膨大な数の録音をみてもバド・シャンクへの信頼感が伺えます。ただ、会社がバド・シャンクで売ろうとしたフシがないのも事実のようです。パシフィック・ジャズという会社は僕が思うに、適当に録音を録り溜めし、LP1枚分の演奏が集まったら出すというような、全くコンセプトのない、無神経でノーテンキな経営だったのではないかと疑わざるを得ないのです。とはいえ、20数年前、僕がウエスト・コースト・ジャズに入れ込んだ時期のアイドルは、4人の人気スター・プレイヤーでなく、バド・シャンクでした。アルト・サックス、テナー・サックス、フルートなど、それぞれを駆使した演奏は中庸ではあるが多彩でウエスト・コースト・ジャズになくてはならない功績を残しました。上述のようにパシフィック・ジャズという会社の販売戦略の失敗により、これぞバド・シャンクの決定的な代表作といえるのがあまりなく、リーダー・レコードの多くがタイトルと演奏内容が結びつかないという嫌いがあります。アルバムのほとんどが『バド・シャンク・カルテット』というようなタイトルなので、どのレコードにどの曲の演奏があるかがなかなか結びつかないということなのです。そのため、僕はバド・シャンクのLPにはそれぞれ独自の(勿論一般的にも有名な呼び名もありますが)名前をつけて呼ぶことにしてタイトルと演奏内容を結び付けています。例えば、写真の左上から右下へ順に、 ①イラストのシャンク ②昼と夜のシャンク ③ハリウッドのシャンク ④寝そべりのシャンク ⑤風車のシャンク ⑥波乗りのシャンク ⑦オーボエのシャンク ⑧美女とテレビのシャンク ⑨大学祭のシャンクといった具合です。 その、バド・シャンクが4月2日に、82歳の生涯を終えました。残念ですが、これも時の流れと受け入れざるを得ないのでしょう。ご冥福をお祈りします。

寺島レコード

2010-03-11 13:49:01 | Jazz
 今、寺島レコードが面白い。
昨年来、寺島師(最近の雑誌等はこのような表現が多い。ジャズ喫茶マスターから出世したようだ) 立ち上げの「寺島レコード」から、いくつかのCDが発売され、タワーレコードなどでも 一押しとしてよく展示されている。 ヴォーカルのMAYAさんと松尾明トリオの2アーチストが看板タレントで、 あと、寺島氏が選りすぐったオムニバス版がいくつか発売されている。まだ、立ち上げ間もないので、ドル箱になるアーティストが居るわけではないが、数少ないCDから見えてくるのは、寺島氏のしたたかな戦略と音へのこだわりだ。昨年末に、松尾明トリオの2作目の『ベサメ・ムーチョ』というのを買った。 なかなか好感の持てる内容であった。ピアノ・トリオであるが、 リーダーの松尾さんはドラムスなので、録音がピアノ中心にならず、3者の音がバランスよく録られており、 音質的にもヴィーナス・レコードに匹敵するパフォーマンスを得ているようだ。 さすがに、オーディオについては、自慢を豪語してやまない師の面目躍如たる出来栄えであった。ピアノの寺村容子さんは、女性らしいデリカシーで聴かせるタイプではなく、力強いタッチでぐいぐいと押し通すエネルギーを感じさせ、好感が持てる。今後、大いに期待してよさそうだ。ただ、一本調子にならないこと。オールマイティなタイプではないので、ひとつのレコードの中で曲を選択するときのプロデューサーの手腕が問われてくると思われる。1曲だけ「ジョージア・オン・マイ・マインド」にMAYAさんがヴォーカルで参加しているが、これは余計。歌い方がこの曲に合わないので、せっかく乗って来たところで興が冷めてしまう。ヴォーカルはなくして、ピアノだけでブルージーに決めたほうがもっとよかった。第3作目は『メランコリー・セレナーデ』のタイトルで今年の2月ごろに出た。今回は、トリオ プラス テナーのカルテットで、「高橋泰廣with松尾明トリオ」となっているところからテナーの高橋さんのリーダーとされているが、これがさらに内容充実ですばらしい。とにかく、シンプルな野太いテナーがずしーんと胸に響く。シンプル・イズ・ベストとはこのことだと云わんばかりの堂々とした謳いっぷりで、久しぶりの快演といったところである。とにかく、ストレートにゆったりと吹くだけで、うまいとか、技術的にどうだとか云う以前のテナー音の包容力を感じさせる何かサムシングがあるのだ。コルトレーンの『バラード』に通じるものがある。 さて、この2CDで感じるのは、ヴィーナス・レコードに対抗する音質、ジャケットデザインの挑戦の姿勢だ。音質的には、ヴィーナス・レコードが艶というか甘さを強調しているのに対し、寺島レコードは締りのよい音を目指しているようだ。ジャケットにしても、基本的には美女を取り上げているのはお互い共通としてはいるが、ヴィーナス・レコードが妖艶なエロティシズムを強調しているのに対し、寺島レコードはエロを感じさせない美の表情で中年男性を引きつけようとしている。あと2組ほどのメインとなるタレントを擁するようになったら、ヴィーナス・レコードも安穏としていられないはずだ。今後が大変楽しみな寺島レコードである。

アヴァンギャルド  PART Ⅵ

2010-03-11 13:37:10 | Jazz

アヴァンギャルド “コルトレーンからアイラーまで” -PART Ⅵ

《ファラオ・サンダース》
 晩期(1965年以降)のジョン・コルトレーンのクインテットのメンバーは、トレーン(ts,ss)、アリス・コルトレーン(p)、ジミー・ギャリソン(b)、ラシッド・アリ(ds)にファラオ・サンダース(ts)という布陣であった。ライヴを別にすると、レコード作品としては『メディテーション』以降である。ここで1つ疑問に感じるのは、トレーンが何故自分の持ち楽器であるテナーサックスのファラオ・サンダースを雇ったのかである。アルトサックスやトランペットの奏者を選ぶのが普通なのであるが、あえてテナーサックスを選んでいる。これをどう捉えるかでコルトレーン・ジャズの見方が大きく変わってくると言っても過言ではないだろう。 もうひとつ、違った例を出そう。昔、マイルス・デイビスが一時、自分のグループにアルトサックスのリー・コニッツを雇った。周りから、なんで、白人で、変な音を出すやつを雇ったのかと非難されたマイルスは、「俺はヤツの音がほしいんだ。ヤツの肌の色が赤かろうが、ヤツの血の色が緑であろうがそんなことは関係ない。今の俺の音楽に最もフィットするのでヤツ以外に誰が居るんだ?そんなヤツがいたら連れて来てみろ」と一蹴したそうである。さすがは、マイルス・デイビスである。つまり、自分の最も作りたい音楽を演奏できるメンバーを選ぶのが鉄則であり、そうでなければ良い音楽は作れないというのが当たり前ということである。 ところが、トレーンは自分と全く同じ楽器で、しかも演奏も音色もほとんど一緒のファラオ・サンダースを選んだのはなぜか? 実際、僕がよく聴くトレーンの「ライヴ・イン・ジャパン」でもどっちのソロかはほとんど判別できないほど似通っている。まさか、まじめなトレーンがそのようなことをする訳はないが、穿った見方をすれば、トレーンの演奏は長時間に及ぶことが多い、そのため、1時間もソロを続けるのは疲れるから、途中で休みたいがため全く同じ楽器、音色の奏者を雇ったのではないかと。。。 そこで、トレーンの言い分であるが「とにかく、ファラオ・サンダースがほしいんだ。彼がアルトを吹こうが、トランペットを吹こうがそんなことはどうでもいい。たまたまテナーだっただけだ。」先の、マイルス・デイビスの言葉と同じような言い方であるが、これは全く似て非なる意味を持っている。つまり、マイルスは純粋に良い音楽を作り上げるための方法としてメンバーを選んでいるのであるが、トレーンは一緒に演奏したいという精神性でメンバーを選んでいるということである。だから、マイルスの作品は常に高品質、駄作がほとんどないが、トレーンの作品は当たれば神がかり的、外れたら聴くに堪えないということになってしまうのである。 話を本題に移そう。ジョン・コルトレーンの弟子としては、アーチー・シェップとファラオ・サンダースの二人だけといっていい。シェップはトレーンの呪縛に悩まされつつも次第に自分の奏法を打ち立てて(まねをしようにも出来なかったというのが本当のところ)、今や押しも押されもせぬ独自の世界を開いていると言ってもよい。一方、サンダースは本当の意味でのジョン・コルトレーンの衣鉢を受け継いで、生涯をそれに捧げていると云える。精神的にも、奏法的にも、しかもアグレッシヴな演奏にしろ、バラード演奏にしろ全くトレーンそのものである。それでいて、トレーンにはない何かを醸し出しているという、したたかさを感じる。どちらが良いか悪いかでなく、どういうスタンスで『師』に向き合っているかの違いである。サンダースの方が、柔軟性と対応力、技術力が少し勝っていたため、トレーンの世界をそのまま引き継ぐことが出来たというだけのことである。以下、初期4作品を聴いてみよう。
【神話(ターウィッド)】1966年7月17日録音日本公演直後の録音で、ここから本当の意味でのファラオ・サンダースのひとり立ちが始まった作品といってよい。全3曲のタイトルが①エジプト、②日本、③ギリシャに因んでおり、それぞれの神話をモチーフとしているようだ。タイトルどおり、①は中東のイメージをメロディに活かし、構成力もありなかなか聴かせる演奏である。②は僕が日本人だからであろうが、あまり日本的に聴こえない。演奏時間も他の2つに比べ極端に短いし、付け足しのような感じである。③はトレーンの「オム」をはじめとした3曲のメドレーで演奏しているが、これまでの延長線上の攻撃的な演奏で一番聞き応えはある。
【カルマ】1969年2月14日録音全2曲のうち33分に及ぶ①「ザ・クリエイター・ハズ・ア・マスター・プラン」がこのレコードのほとんどであるが、最初はまるで『至上の愛』そのものである。しかし、16分を過ぎる頃から、フリー・インプロビゼーションの世界に突入していく。しかし、10人という大人数での演奏としてはリズムもきっちりキープされているので、少しも破滅的なところはない。ただ、僕の個人的な体験として、すでにコルトレーンで同様な演奏を多く聴いているので、どうしても《ファラオ・サンダース》の顔が見えてこないというもどかしさはある。
【テンビ】1970年11月25日録音1曲目がいきなりロニー・リストン・スミスのエレピのイントロで始まる、時代を反映したフュージョンぽい演奏である。バックにいろいろな効果音を交えてトロピカルな色合いが面白い。かと思えば、②では突然のフリーキーな2本のテナーの音ですさまじく高揚させた後、そのまま緊張を持続させつつ9分間のエクスタシーを終える。と、まあこんな具合で、ファラオ・サンダースの世界はコルトレーンと一体となって突き進んでいく。③「テンビ」ではさらに一転して、リズミカルで軽快なバックに澄んだソプラノサックスとヴァイオリンの音色が心地よい。これもフュージョンタイプではある。そんなこんなで、バラエティゆたかな作品である。
【ライヴ・アット・ジ・イースト】1971年11月24日録音 ①「ヒーリング・ソング」は東洋的な色濃い一定の軽快なリズムに乗って、瞑想的でありかつ躍動的でもあるという相反するメロディが延々と続く。しかし、さまざまな効果音が施されているため、飽きるようなことはない。ライヴならではの構成で聴きやすい。②「メモリーズ・オブ・J.W.コルトレーン」はタイトルからも分かるとおり、コルトレーンへ捧げた演奏で、これも東洋哲学的というか、宗教的色彩の濃いものである。インドかタイの坊さんのお経のようで、人によっては一寸気が滅入るかもしれない。③「ルムキリ」は典型的な後期コルトレーン・ミュージックそのものといった感じである。 1980年代後半以降、ご存知の通りバラードアルバムが好評を博し、両刀使いで息の長い活動をしているのは、アーチー・シェップともども賞賛に値するものと言えよう。ジョン・コルトレーンの嫌いの人にとっては、ファラオ・サンダースも同系なので、聴く機会もないと思うが、両者とも二面性を持っているので一方のバラードアルバムから聴いてみるのも良いかもしれない。


アヴァンギャルド  PART Ⅴ

2010-03-11 11:27:45 | Jazz

アヴァンギャルド  “コルトレーンからアイラーまで” -PART Ⅴ

《ラサーン・ローランド・カーク》
 魁偉な形相、怪異な演奏方法、誰が名づけたか、曰く『グロテスク・ジャズ』。だから、その演奏を聴いたことのない人は、まずこのレッテルで敬遠してしまうこと必然であろう。悪気が有ってこの言葉が出たと思いたくはないが、それが一人歩きし、いわゆるキャッチ・フレーズになってしまうのはこのローランド・カークの例を挙げるまでもなく怖いことではある。フアンである僕としては大変腹立たしく、苦々しい思いで今日に至っている。でも、多くの大衆に迎合し大人気を得るよりは、ひっそりとしかし知る人ぞ知るアーティストを僕は好む。そう、中身(音楽の質)が大事なのだ。そういった意味で、過去がそうであったし、そしてこれからもローランド・カークが持て囃されることなく“通”好みのまま、しかしジャズ史に燦然と輝く軌跡を残したミュージシャンであることを歓迎する。
 さて、本日の主役 ラサーン・ローランド・カーク、盲目で一遍に3本のサックスを同時に吹いたり、鼻でフルートを吹きながら歌ったり、鈴やベルなどいろんな鳴り物を身につけており、顔も怖い人というイメージがあるのではないだろうか。確かにそれは否定できないが、じゃあ、どんな音楽を演奏しているのか知悉している人はジャズフアン多しといえども、ほんの少数でしかないのも事実である。ここで、結論を言っておくと、ローランド・カークはアヴァンギャルドではないということ。だから、本テーマで取り上げることに躊躇したのであるが、しかし、多くのジャズ・ファンにローランド・カーク=フリー・ジャズと見られていることから、その是非を正すべく取り上げた次第である。また、ローランド・カークの演奏はエキセントリックである。それは、盲目である黒人がその世界で自分を主張するにはそういった方法しかない(昔、会報でブルースのレポートをしたときもそのような主張をさせてもらっている)からである。レイ・チャールズだって、スティーヴィー・ワンダーだって多かれ少なかれそういった面があるではないか。かたや、ソウル界の大御所だのスーパー・スターだのと持ち上げるくせ、ことさら、ローランド・カークのみに変なレッテルをつけることに非常に憤慨するのである。
 3本のサックスを同時に吹くと書いたが、実際はテナー・サックスに加えマンゼロ、ストリッチという楽器らしい。マンゼロはサックスの先っぽで朝顔がすこし曲がり出た感じの楽器で、ストリッチはソプラノサックスと思ったらいいのではないだろうか。それをまとめて咥えてメロディを奏でるのである。手は2本、楽器は3本、それを同時にハモるのである。実に爽快ではないか。さらに、鼻で吹くフルートと同時にわめき叫ぶヴォーカル、いくつ脳があっても足りない。昔、僕の好きなイギリスのブルース・ロック・グループ「テン・イヤーズ・アフター」にアルヴィン・リーというリード・ギタリストがいて、こいつは西部一の速弾きギタリストと言われながら同時にヴォーカルやスキャットをやっており、こいつには脳が2つあると感心していたものだが、ローランド・カークはすくなくとも3つ以上持っていそうだ。そして、極めつけは『循環呼吸(サーキュラー・ブリージング)』である。ご存知の通りサックスは吹奏楽器であるから、途中で息をするために音が途切れるのが普通なのだが、それを途切れることなく延々と吹奏するのである。多分、鼻で息を吸うと同時に口で吐き出すことを続けることで途切れなく音を出し続けるのであろう。それが、5分や10分間容赦なく吐き出し続けるのだから恐れ入る。まったく、この人ほど人間離れした人はいない。ジャーナリストの誰かがどうやって息をするのかたずねたら、「耳の穴でするのさ」と答えたのがまことしやかに伝えられたというのが面白い。
 ローランド・カークの音楽性、それは、ブルースをベースにしたピュアーなジャズである。表面的にはいろんな音楽を寄せ集めた坩堝のような演奏であるが、本質はそうなのである。デビュー作から遺作まで、どこを切ってもすべて同じローランド・カーク飴である。その演奏は最初から完成していたのか、全く成長していないのかわからない。だから、ある人にとってはすべての作品が傑作であり、ある人にとってはすべての作品が聞くに堪えない代物なのである。そこは、見た目ではない、ジャズという演奏結果の音で好き嫌いを判断してもらうしかない。
とにもかくにも、以下の4作品を聴いてもらおう。
【ウイ・フリー・キングス】1961年8月17日録音
先にも書いたように、どこを切ってもローランド・カーク飴、怪人カーク面相だから、ほとんどデビューに近いこのレコードでもカークの本領全開である。しかし、特筆すべきは、この時期チャールス・ミンガスのグループでかの有名な『オー・ヤー』のレコーディングに参加していることである。エリック・ドルフィーの項でも述べたように、チャーリー・ミンガスは他人に厳しく、よっぽど気に入らないと共演者として呼んでくれない。そういう意味でテナー奏者としては折り紙付きであり、特にノーズ・フルート(鼻で吹くフルート)は独壇場(というか、他に誰もいない?)である。こんな楽しいジャズはデューク・エリントン以来ではないだろうか。イケメンならもっと売れただろうに!?
【ドミノ】1962年5月16日録音
 コールポーター、ロジャース~ハート、ガーシュインがあったかと思えば、J.Jジョンソン、ブラウン~ローチが出て来て、自身のオリジナルでモンク&ミンガスに捧げるという、全く持ってハチャメチャな選曲であるが、首尾一貫、徹頭徹尾ローランド・カークの世界を表現しているという点では、セロニアス・モンクに匹敵するワン・アンド・オンリーな巨人である。まさしく、これがジャズであるともいえるし、ジャズからはみ出した独自のユニークな空間を創出しているとも言えよう。
ローランド・カークの作品では最も人気があるといわれている本作品である。すっきりとまとまった演奏であることは認めるが、基本的には他のスタジオ作品に対し、格別に優秀であるということもないと思う。
【カーク・イン・コペンハーゲン】1963年4月9日録音
 ローランド・カークの演奏を満喫するにはライヴに限るようだ。その破天荒なキャラクターをスタジオでレコードに納めるには限界がある。聴衆があって、その聴衆と一緒に謳い上げていくお祭り騒ぎが最も似合っている。循環呼吸も10分、20分やってもかまわないのだからライヴならではの迫力が出る。ブルースからバラード、スピリチュアルさらにはフォーク、ポップスと相変わらずのごった煮であるが、これこそローランド・カークの音楽であり、誰も追随できない、ワン・アンド・オンリーの世界である。
【溢れ出る涙】1967年11月27日録音
 1曲目からニューオリンズ・ジャズの香り漂うオリジナル・ブルースだ。ピアノもブルージーで申し分なし。この曲だけで、このレコードはローランド・カークの最高傑作として間違いなし。次は軽快でユーモアたっぷりのスウインギーなナンバー、かと思いきや、次はセロニアス・モンクを彷彿とさせる斬新なメロディラインでハードに循環呼吸を駆使する。これでもうローランド・カークの世界に引きずりこまれること必至である。4曲目は口で吹く(普通なら当たり前か)フルート、これがまた絶品である。もともと、スピード感あふれるフルートには定評があるが、このようなスローなフルートもうまい。エリック・ドルフィーと双璧のテクニシャンである。。

 もともと、ローランド・カークについては、「過小評価の人々」というテーマで書きたいと思っていたのだが、このテーマでは数回レポートしたきりで途切れてしまって、今日に至ってしまった。
ジャズ、それは型にはまらない音楽である。それなのに、型にはまらない演奏を過小評価していて何がジャズ・ファンだ!!特に、日本のジャズ・ファンに物申すというわけである。


アヴァンギャルド  PART Ⅳ

2010-03-11 11:10:05 | Jazz

アヴァンギャルド  “コルトレーンからアイラーまで” -PART Ⅳ

《アーチー・シェップ》 

ジョン・コルトレーン、セシル・テイラー、アーチー・シェップ、アルバート・アイラーはインパルス・レコードの顔として、そしてまたアヴァンギャルド・ジャズの旗手として1960年代後期のフリー・ジャズ界を席巻していった。その中で、アーチー・シェップはジョン・コルトレーンの薫陶よろしきを得てフリー・ジャズ界の怒れる獅子として君臨し、ロフト・ジャズの精神的支柱でもあった。コルトレーン亡き後、アーチー・シェップの存在感はまさに圧倒的であった。21世紀の今では180度転換のバラード吹き(勿論、スピリチュアル・バラードは当時の彼の持ち味であったけれど、今はハッピー・バラード)として、その昔は想像も出来なかった紳士、淑女のジャズ・ファンから持て囃されるまでになってしまった。時の移ろいは儚いというか、複雑な思いをさせられる。これは、若き日、学生運動により革命を目指して奮闘した青年が40年後、会社の重役として金満家となり定年を迎えんとする団塊の世代の人々に似ていないか。良い悪いではなく、「歴史」は時代の流れの積み重ねであり、「現在」というのはその変貌の結果である。革命家が実権を握ったら保守的独裁者となり、永遠の革新的闘志を持ち続け得ないことと同じように仕方のないことである。とは言え、アーチー・シェップ、いろいろ変遷はあるけれども、浮き沈みの激しいジャズ界にあって50年間に渡ってコンスタントに作品を出し続けているバイタリティと不屈の精神には敬服の念を抱かずにはおれない。 シェップの革新的音楽のピークは1970年ごろまでである。1972年の「アッティカ・ブルース」あたりになるとヴォーカルを入れたり、時代の流行に合わせてファンキー・ソウル風になったりで、一貫性がなくなり、アヴァンギャルド性は失われて行く。が、作品単位での出来栄えとしては、かなりバラエティに富んでいるし、ソウル・ファンに受け入れられる内容なので僕は今でもよく聴いている。77年の『バラード・フォー・トレーン』以降、上述のようにバラード・プレイヤーとして、新境地を開拓して、昔の革命児の時代を知らない多くのファンを獲得していった。特に95年の以降のヴィーナス・レコードから出したバラード3部作『トゥルー・バラード』、『ブルー・バラード』、『トゥルー・ブルー』は、ベン・ウェブスターをもっと野太くねちねちとしたような音色で、ゆったり泰然自若とした大人の魅力で好評を得たようである。僕の感触としては、昔日の強烈な想いがあるのであまり手放しで評価するというわけにはゆかない。まあ、人それぞれの好みであるからこれ以上論評するのは差し控えよう。以下に取り上げる初期作品とは別人として聴くべきかもしれない。さて、アヴァンギャルドなアーチー・シェップの本質を知るには、上述のとおり、初期(つまり1970年ぐらいまで)を真っ先に聴くべきであろう。レコード・デビューがセシル・テイラーのグループであるから、この人は最初からアヴァンギャルドな気質の持ち主であったといってよく、その後(63年ごろ)のニューヨーク・コンテンポラリー・ファイヴの中心人物として活躍し始めて、ジャズ界にポスト・コルトレーンの一番手(対抗はファラオ・サンダースか?)として認められていった。
【フォア・フォー・トレーン】1964年8月10日録音 全5曲中4曲はコルトレーンの有名曲であるが、シェップは音質的にはゴツゴツした、コルトレーンとはまったく対照的(このレコードではコルトレーンは演奏していない)なため、違った意味で楽しめる。但し、このレコードからはアヴァンギャルドで攻撃的なシェップは聴けない。コルトレーンの手のひらの上で這いずり回っている図式が見え、未だコルトレーンの呪縛から開放されていないシェップがここにある。自己を確立するには次作の『ファイヤー・ミュージック』(65年録音)まで、もう少し時間がかかるようだ。
【ザ・マジック・オブ・ジュ・ジュ】1967年4月26日録音 完全無欠のシェップの世界を構築した作品である。かなりアブストラクトでシェップの咆哮するテナーが全開しておりすばらしい。タイトル曲は一聴、コルトレーンのような感じではあるが、もう少し原始的というか自然発生的なテナーである。パルスのようなアフリカン・ドラムをバックに18分以上をワンパターンのようでありながらまったく飽きさせずに最後まで闘争心剥き出しの演奏を聴かせる。そして、ラストの「ソリー・バウト・ザット」ではソウルフルで、スウィンギーな別の顔のシェップが聴かれる。どちらも正真正銘のアーチー・シェップである。レコード全体としてなんとバラエティに富んだ構成であることか!シェップの最高作であることは間違いない。
【ワン・フォー・ザ・トレーン】1967年10月21日録音 ドイツのドナウエッシンゲンでのライヴで、“師”であるジョン・コルトレーン死の3ヶ月後の演奏である。1曲44分のすべてをコルトレーンに捧げた演奏となっている。コルトレーンの「マイ・フェイヴァリット・シングス」のライヴ版を思い浮かべるようなジミー・ギャリソンの重厚なベース・ソロで始まり、シェップのテナーがすさまじく壮烈な音塊となって襲いかかってくる。B面はゆったりとしたテナー・ソロで始まるが、段々と熱がこもって行き、全員によるコレクテイヴ・インプロヴィゼーションに突入して行く。後半は『いそしぎ』のメロディを引用しているが、この辺は後年のバラード奏者への変身の予兆と見るべきか。多くの評論家がこの演奏をシェップの最高傑作としている。ただ、このような演奏はすでにジョン・コルトレーンがやっていることで、目新しいことでもないので、僕自身は2番手に挙げる。パッションという点では前作を上回るし、傑作には変わりがない。
【ザ・ウエイ・アヘッド】1968年1月29日録音 1曲目の「ダム・イフ・アイ・ノウ」のブルース・フィーリングのすばらしさは筆舌に尽くしがたい。まさに、“魂の叫びが心を揺さぶる”とはこのような演奏を言うのであろう。(ちなみに、100号記念のブルーシティでのエピソードで紹介したのがこの演奏である) 個人的な好みでいうと最も愛着を感じるレコードであり、演奏内容は心臓にグサリとナイフが突き刺さるほどの強烈極りないものである。いずれにしても、アーチー・シェップの演奏は音質的にはスマートではなく、これでもかこれでもかという押しの強さがあるので、聴く人もそれなりの覚悟で対処する必要がある。間違っても、BGMにはなり得ないのでご注意を! 当時このようなアヴァンギャルドなスタイルを『ニュー・ジャズ』と呼んでおり、セシル・テイラーを若頭とし、アーチー・シェップ、アルバート・アイラーがその両翼を担っていた。その中で、シェップにおけるアヴァンギャルドな演奏は本作品が最後であったように思う。こうしてみると、息の長い人でも、そのピークというのは意外と短い期間なんだと改めて気付かされる。あと、巷で有名な『ファイヤー・ミュージック』、『ニュー・シング・アット・ニューポート』(いずれも65年作)は手持ちでないので聴いたことがない。買い求めようとしても売っていない。どこかにあれば欲しいのだが・・・


日本の古いジャズを聴く

2007-10-27 11:30:58 | Jazz

《日本の古いジャズを聴く》

 瀬川昌久監修『日本ジャズ原論』。 まるで、ハードカバーの分厚い芸術理論書か論文を思わせる名称であるが、しかし、これはれっきとしたジャズCDのタイトルである。中身はタイトルで想像されるごとく日本ジャズ黎明期の録音を3つのカテゴリに分けて収めたものである。ひとつは、【創生期ジャズ】として日本初めてのジャズ録音とされる「ニットー・ジャズ・バンド」の“ワラー・ワラー”と「松竹ジャズ・バンド」の“印度の唄”の2曲。前者(1925年)はディキシーランド・ジャズ風で、原初的である。いかにも、アメリカ直輸入という感じ。後者は、もっと洗練されており、いわゆるスウィング・ジャズの典型となっている。まあ、両者とも記憶でなく記録に残る演奏としての価値は認められるのであろう。僕のような素人が今日聴いてどうこう評価できるようなものではなさそうだ。ふたつめは【戦後のジャズ歌手第1号】として、三宅光子(マーサ三宅)のデビュー録音(1954年)4曲である。瑞々しい可憐な乙女のマーサ三宅を想像させるが、ジャズというよりはアメリカのポピュラーミュージック(または映画音楽)の日本語版というようなものである。勝手な解釈だが、当時はアメリカの音楽はすべてジャズと呼ばれていたのではないかという気がする。そういう意味で日本独自の歌謡曲(といってもアメリカの音楽の影響をもろに受けていると思うのだが)との区別はあまりないようである。三つめは【戦後ジャズ・ブームの立役者】として、ビッグ・フォー(ジョージ川口(ds)、松本英彦(ts)、中村八大(p)、小野満(b))の1954年(ラジオ実況)録音。4曲立て続けに“フライング・ホーム”が続くが、これは12分あまりの演奏をSP盤2枚4面で出されたものとか。フェードイン/フェードアウトなしのぶった切りだから戸惑ってしまうが、今日でもまったく古さを感じない素晴らしいモダンジャズの演奏である。どうせ、CD化したんだから1本につないでくれよと文句のひとつも言いたくなってくる。オーバーラップ部分はあるから自分でつなぐしかないか。他全10曲、胸の透く快演ぞろいである。うーむ、目から鱗だ。

『あの頃のジャズ』The Jazz Age in Japan)。これは戦後日本ジャズを築いた名演奏家たちが30年後の1973年に再録音し、60年後の今日改めて回顧するという志向で再発行されたものである。当初は『JAZZ ON FRAME 燃えるジャズ』として、LP3枚組みで出されたものとか。終戦直後に活躍したメンバー全員が録音に加わってはいないようであるが、1973年当時の再結成で臨んでいる。それぞれのバンドに特徴があり、構成も異なるので、戦後のジャズを俯瞰するにはもってこいのCDである。録音も比較的新しいので音もよく、楽しく聞ける。 “あの頃のジャズ”の体験者には懐かしい思い出だろうし、“この頃のジャズ”しか知らないひとには日本ジャズの歴史的な流れを知る上で貴重な音源であろう。収録バンドは以下のとおり。南里文雄(tp)、森亨(tb)、世良譲(p)with園田憲一とディキシー・キングスレイモンド・コンデとゲイ・セプテットグラマシー・シックスC.B.ナイン与田輝雄とシックス・レモンズ渡辺晋とシックス・ジョーズジョージ川口とビッグ・フォー鈴木章治とリズム・エース河辺公一とヒット・キット・オーケストラ北村英治とキャッツ・バード森寿男とブルー・コーツ原信夫とシャープス&フラッツスウィング・ジャーナル・オールスターズ

 1954年頃といえば終戦から既に8年経っているわけで、日本もようやく復興の手がかりを掴んで、経済面、文化面でも多様なつぼみが膨らみ始めた頃である。僕の乏しい知識から推測すると、ジャズにおいても、前述の2つのCDに見られるように、アメリカの進駐軍からのお下がり(いい意味でタイムリーなアメリカ直輸入ジャズ)でなく、自前のものを模索あるいは実験的な創作が始まった時期であるようだ。そんな中で、ジャズ・マン達は演奏の場を探し求めていた。場末のキャバレーやなどを借りて、いわば、日本版「ミントンズ・プレイハウス」で夜な夜なセッションに明け暮れていたことが想像される。そんな時期のある断片の記録がこの『幻の“モカンボ”セッション‘54』(1954年7月27~28日)である。なんと言っても、当時の新進気鋭の若者達で、現在の大御所たる人たちが数多く参加していること、日本のモダンジャズの立役者とされている守安祥太郎を全面的にフューチャーしているところにこれらの演奏が日本ジャズの歴史に燦然と輝くものと評価される所以がある。ある意味、日本における「ハードバップの夜明け」のようなものである。中身はといえば、1曲目の“アイ・ウォント・トゥ・ビー・ハッピー”を聴けばすぐに誰もが納得するであろう。守安のセッション風なピアノイントロで始まったかと思った途端、宮沢昭のテナーが猛烈なスピードで飛び出していく。その後の守安のピアノソロも華麗で、火の打ち所なしの、文句なし。こんな感じで最後の演奏まで続くのだから、彼らの若さ、バイタリティには恐れ入る。いつまで聴いても飽きがこないね。“血沸き肉踊る”とはこんな気分を言うのだろう。こんな表現は嫌なのだが、いまどきの若者にはハングリー精神がないとよく言われる。しかし、これらの演奏を聴けば頷かざるを得ない。

『“モカンボ”セッション』と同じような意味でこの『銀巴里セッション』も数ある日本ジャズのレコードの中で非常に重要である。1963年6月、なにやら曰くありげな「新世紀音楽研究所」という名前の集団が、“ミントンズ・プレイハウス”を求めて、元々“シャンソン喫茶”として知られていた銀巴里において、深夜から明け方にかけてジャズ・セッションを行った。それだけなら、何ら問題ではなかったのであるが、ことはそう単純ではなかった。つまり、当夜の主人公である高柳昌行もご多分に漏れず、アーティストの悪癖とも言えるドラッグにまみれており、それとの決別を誓って最後の演奏会とすべき夜であり、逆に富樫雅彦においてはその社会復帰への記念すべき最初の夜であったのである。当夜の演奏者を記そう。高柳昌行(g)、菊地雅章(p)、山下洋輔(p)、日野皓正(tp)、富樫雅彦(ds) 他・・・現在の日本のトップ・プレイヤー達、とてつもないメンバーである。当夜に至る背景からして、緊迫感漂う雰囲気であろうことは容易に察することができよう。奇跡とはまさにこんなときに起こるのだということを具現した一夜の記録なのである。 演奏内容についてはくどくど言うのがおこがましい。ただ一言、1曲目の18分に近い「グリーン・スリーブス」は高柳にとっても、日本ジャズにとっても最高のパフォーマンスのひとつである。


過小評価の人たちVOL.02

2007-10-27 11:05:27 | Jazz

《小芋の煮っころがし》

ブッカー・アーヴィン

 などと言うと本人が怒るかもしれないが、僕にはブッカー・アーヴィン(ts)についてはそうとしか例えられない。1960年にデビュー作 「The Book Cook」(ベツレヘム) を出したときから、1968年の遺作 「The In Between」 (ブルーノート) まで10作に満たないぐらいのリーダー作品を聴くと、小粒ながら常に全力投球、140キロそこそこのスピードながら直球しか投げないような愚直な人物像が浮かび上がってくる。テキサス・ホンカーの部類に色分けされるのはそういうところから来るのかもしれない。 ということで、過小評価の人々の第2回目として、このブッカー・アーヴィンをレポートしたい。後にブック・シリーズとして有名な諸作の第一弾が上記の処女作 ①「The Book Cook」(ベツレヘム) である。この後、1年の間に②「Cookin’」(サヴォイ)、 ③「That’s It !」(キャンディド) など、彼の代表作とされる作品を矢継ぎ早に発表しており、すでにレコードデビュー時から自分のスタイルを持っていた。処女作でズート・シムズ(ts)と競演しているのでその音を聞き比べると一聴瞭然、すぐそれとわかる個性的なトーンをもっている。少し高めのキーで、テナーをそんな風に吹いていいの?といいたくなるようなとてもユニークな奏法は、最大の武器でもあり、また過小評価の原因でもあったろう。ズート・シムズの遊び心たっぷりの悠然とした音に比べ、明瞭で小気味いい。まったく、彼の演奏には“遊び”やら“洒落”などというものは存在しない、ただ前進のみという感じであるが、ずっと聴いてても疲れることはない。これらの中で僕は 「That’s It !」 が最高傑作と見ている。1曲目の“Mojo” から最後の”Boo”まで、アーシーでありながら躍動感あふれるテナーはまったく素晴らしいの一言に尽きる。また、聴く耳を持った人にはよく重宝がられたようで、あの“他人に厳しく、自己中心主義”のチャールス・ミンガスのグループでエリック・ドルフィーとともに4年間活躍していることからもそれが伺える。また、ホレス・パーランやブッカー・リトルとのコラボレーションは一途でありながらも、融通性のある彼の特質が発揮されたものと評価できる。メイン・ディッシュにはなれなくても、全体の色を添え、あればうれしい存在、ちょっぴり締まった“小芋の煮っころがし”そういう存在なのである。顔立ちも小芋と例えるに似合いの田舎人的相好である。 1963年から④「The Space Book」(プレステッジ)、⑤「The Song Book」(プレステッジ)など、彼の代名詞ともいえるブック・シリーズを出していくわけである。このころになると、余裕のあるトーンで、これまでの突貫小僧的小結相撲から懐深い大関相撲を取るようになっている。そういう意味で人気度(といってもビッグ・ネームには程遠いが)はこのころのほうが高いだろう。しかし、本質は変わらない。やはり、小芋は小芋のままがいい、大芋になったら味も素っ気もなくなるから。さらに、1964年から2年ほどは活動の場をヨーロッパ中心に移している。このころの録音はあまり残っていないと思われるが、彼の死後発表された追悼盤 ⑥「Lament For Booker Ervin」(エンヤ) は一聴の価値がある。1965年ベルリン・ジャズ・フェスティバルでのライブ録音で、”Blues For You” は27分を超えるブローイングが聴ける。生来のテキサス・ホンカーの血が沸き立った、怒涛のパフォーマンスである。さて、遺作となった1968年作⑦「The In Between」(ブルーノート) である。これをどう聴くか?! “らしからぬ“録音である。よく言えば「バラエティに富んでいる」、「色彩豊か」ではあるが・・・当時、大方のテナー・マンがロリンズやコルトレーンに影響を受けた演奏をしている中にあって、独自のスタイルを守り通したブッカー・アーヴィンを僕たちはもっと見直す時が来ているのではないだろうか。                                       それでは、また


過小評価の人たちVOL.01

2007-10-27 10:57:49 | Jazz

《過小評価の人たち》 VOL.01

ハーブ・ゲラー

  CD化されないレコードの中にも素晴らしい演奏のものが数多くあり、CD化が望まれる訳だけれど、逆に、CD化されることで、一般的になってしまい、自分でひそかに愛聴していたものが世間にさらされるようで歓迎したくないような気分になることもマニアの宿命のようである。まあ、そんなこともあるけれど、過小評価されている人々をピックアップしてみんなに再認識してもらいたいと思い、第1回目としてハーブ・ゲラー(as)取り上げることにした。 一般的には、ウエスト・コーストのアルト・サックス奏者としては、アート・ペッパーかバド・シャンクあたりが代表格とされ、人気がある。僕もそれに異論を挿むつもりはないのだけれど、本当の意味でのウエスト・コースト・ジャズにおけるアルト奏者(つまりアンサンブルを重視し、個性を裏に隠して全体としてのジャズ演奏の快適さを表現している人たち)としてはハーブ・ゲラーやレニー・ニーハウスたちを代表とすべきではないかと思うのである。また、逆説的にいえば、その没個性がゆえに、ウエスト・コースト・ジャズの衰退を招いたことも歴史が証明している。 ともあれ、1950年代中ごろのウエスト・コースト・ジャズには活気があり、その中核を担ったのがハーブ・ゲラーであることを評価したいと思う。僕が、ハーブ・ゲラーを初めて知ったのは、クリフォード・ブラウンの一連のウエスト・コーストでのセッションである。1954年8月2日から14日にかけて、ブラウンはレコード11枚分の演奏を残している。その中の①「ベスト・コースト・ジャズ」、②「クリフォード・ブラウン・オールスターズ」、③「ジャム・セッション」、④「ジャムズ2」、⑤「ダイナ・ジャムズ」でハーブ・ゲラーのアルトを聴くことができる。どのトラックにおいても、はぎれがよく、中音域を流麗にかつスピーディに吹き切っている。実に安定したトーンで破綻がない。競演者としてこれ以上望むことはないというぐらいつぼを抑えた演奏には賞賛を送りたい。それらの中の一番の演奏として、「ジャム・セッション」の“ムーヴ”を推薦する。超速射砲で撃ちまくるアルトはチャーリー・パーカーを彷彿とさせている。 リーダー作としては、同時期に録音した⑥「ハーブ・ゲラー・プレイズ」、翌55年録音の⑦「ハーブ・ゲラー・セクステット」、⑧「ゲラーズ」が挙げられる。活動としてはこの3枚ぐらいで引退?しているようで、実に貴重である。どれをとっても、ウエスト・コーストを代表するインプロヴァイザーの面目躍如たる演奏が聴かれる。「ゲラーズ」の中の“アラフォイエ”(チェロキーのコード進行での別名と思われる)でのスピード豊かなアルトはけだし圧巻である。イースト・コースト派の過激なインプロビゼーションにはない、中庸なトーンで、心を和ませる、明るく、お洒落な演奏を是非一聴されたい。 なお、奥方のロレイン・ゲラーのピアノも旦那に劣らず素晴らしいので合わせて傾聴してもらいたい。30歳で夭逝したのが惜しまれる。 僕が知っているハーブ・ゲラーの演奏は以上のようなものなので、他に代表とされるレコードがあるのかもしれない。ご存知の方は教えていただければありがたい。


アナログ探索

2007-10-27 10:54:28 | Jazz

《アナログ探索》

 ここのところ、新譜で興味をそそられるものもあまり出ないし、中古CD屋さんに行っても、これといって欲しいCDがあるわけでもなく、ちょっとジャズの世界から遠ざかりつつ(どうしてもブルースや昔のロックを買ってしまうんだね)あったんだけど、昨年の初め頃、たまたま入った中古屋さんでいつもは見向きもしないアナログ・レコード・ブースを買う気もないのに何気なくつまみ見していたら、昔から欲しいと思っていたレコードがあって、即買いしたのが止みつきの始まりであった。つまり、どういうことかというと、アナログ・レコード・コレクションがこのところの「マイ・ブーム」となってしまったということである。昨年だけで130枚ほどのアナログ版を買ってしまった。 きっかけとなったレコードはクリフォード・ブラウンの「ロー・ジニアス Vol.2」。これまで、ブラウニーのリーダー・アルバムはCDで発売されているものはすべて集めていたんだけれど、CD化されていないものもどうしても欲しいと思いつつ、中古アナログ市場を漁る気にはなれなかったのが実際のところであった。じつは、その半年ほど前、インターネットのオークションで上記レコードが出されていたんだけど、結局、落札できなくて、半分あきらめかけていたところでの偶然の発見であった。これに、気を良くして、その後ずっと、「アナログ探索」が僕の楽しみのひとつになってきた訳である。そのおかげで、①「ロー・ジニアス Vol.1」、②「ピュア・ジニアス」も手に入れることが出来た。まあ、何事も根気よく、地道にやっていれば何とかチャンスは訪れるということかな。ところが、何度も中古屋に足を運ぶうち、これらのレコードがさほどレアーなものでなく、通常ありきたりに置かれていることにも気が付いた。つまり、CD化されていないレコードが中古屋に数多く存在しているんだね。 演奏の内容について少し紹介しよう。「ロー・ジニアス」は1955年11月7日、シカゴの「ビー・ハイヴ」というジャズ・クラブでのライヴ・レコーディングである。ご存知の通り、ブラウニーはその絶頂期である1956年6月26日、僚友のリッチー・パウエル(p)とともに自動車事故で亡くなったのだが、その自動車事故のとき、激突の衝撃で車のトランクから数本のテープが放り出され、延焼を免れたものをマックス・ローチが保管しており、レコードとして出したのがこれである。彼らは、毎夜の演奏をテープに取り、それを翌日聞きながら反省会を開いていたという、その中の1本のテープから生まれた奇跡のライヴ・レコーディングである。まあ、ブラウンのまじめな性格があらわれたエピソードである。ただ、録音状態は非常に悪い。フェード・イン、フェード・アウト、それに演奏中に音が減衰したり、そのため切り繋ぎしたりで、基本的には、マニアむけではある。ただ、31分以上に渡る“アイル・リメンバー・エイプリル”など、ブラウンの演奏には鬼気迫るものがあり、ファンにとっては必携のものと云ってよい。とにかく、ブラウンのソロのすさまじさはスタジオ録音や、既発売のライブ版の比ではない。 「ピュア・ジニアス」の方は、1956年、フィラデルフィアでの録音としか判っていない。ソニー・ロリンズのテナーが入ったライヴ録音としては、「ライヴ・アット・ベイズン・ストリート」(1956/04/28,5/6録音)があるのみで、この「ピュア・ジニアス」の価値は大きいものがある。録音状態も「ロー・ジニアス」に比べて良いし、それまで発表したことのない曲「ラヴァー・マン」、「52丁目のテーマ」が入っているのも貴重である。また、ここでのマックス・ローチのサポートも悪くないね。ただ、個人的な好みから言うと、ブラウン=ローチ・クインテットのテナーはソニー・ロリンズよりも、ハロルド・ランドのほうがあっているように思うけれども。 今回、例として2つのアナログレコードを紹介したが、状態の好いレコードも多いし、案外レコ-ドのパチパチというノイズは気にならないもんだね。それにしても、CD化されていないすばらしいものがまだまだ多く中古アナログ市場に存在している。そういったものを手に入れたときの喜びは何ものにも代えがたい。ただ、中古CDに比べて若干割高になるというのはしょうがないか? それなりのリーズナブルな値段のものを漁るのもまた楽しい作業である。でも、欲しいレコードは見つけたときに必ず手に入れるという鉄則が肝心だね。


アヴァンギャルド  PARTⅢ

2007-10-27 09:50:02 | Jazz

アヴァンギャルド  “コルトレーンからアイラーまで” -PARTⅢ

《エリック・ドルフィー》

“馬がいななくような”と形容されたエリック・ドルフィーのバス・クラリネットの音を感動して聞くか、気持ち悪いと聞くかで、ドルフィー・ワールドへのめり込めるかどうかが決まるといっても過言ではないだろう。あの一種異様な音色に普通の人が敬遠するのはやむを得ない。しかし、ドルフィーの本質はそういった表面的な音色とは裏腹に、チャーリー・パーカーを源泉とする最もジャズっぽいところにある。アルト・サックス、バス・クラリネット、フルートなどマルチ・リードプレイヤーであるが、どの楽器も演奏がめちゃくちゃうまい。特に、バス・クラにおいては天下一品、ジャズ界広しと言えどもドルフィーの独壇場である。美しくもあり、荒々しくもあるドルフィーの本質を知るにはソロを聴くのが一番である。デビューはチコ・ハミルトン・バンド(映画:『真夏の夜のジャズ』で練習風景の映像が流れているので記憶のある方も多いでしょう)であるが、その頃はまだ、チャーリー・パーカーの影響が残った正統派プレイヤーであった(らしい)。ところが、初リーダー・アルバム『アウトワード・バウンド』でいきなり、アバンギャルダーに豹変している。コルトレーンやマイルスの例を出すまでもなく、ある作品を契機に変化していくのが普通であるが、この人は自己名義のレコードはデビュー作品から前衛的であり、かつ正統派の両刀使い(やさしさと凶暴さが共存しているといったほうが的を得ている)であった。自己名義でも数多くの傑作を作っているが、他人名義のレコードも傑作が多い。単なるジャズのリスナーである僕らが≪少し変な音≫と思っているドルフィーの“馬のいななき”は同業者にとっては非常に共演してほしい音だったのかもしれない。チャールス・ミンガスやジョン・コルトレーンとの長期にわたる共演を除いても、スポット的に非常に多くの人の作品に登場し、しかも駄作と思われる作品がひとつもないという安定した演奏技術は得がたいものだったのだろう。主役を食っているというのも数多くあるので、呼ぶほうもかなりの勇気が要ったとは思われるのだがそのリスクを侵してでもドルフィーの「音」を必要としたのだろう。高々、5年程度の活動でこれだけ多くの傑作を残しているのは驚嘆に値する。比肩し得るのはクリフォード・ブラウンぐらいではないだろうか。早世がかえすがえすも残念である。「たら・れば」で物事を結論付けるのは贔屓倒しという謗りは免れないことを覚悟で言わせてもらえば、あと5年長く生きていれば、さらに大傑作を生み出したのではないかと思う。さて、本日の主役 エリック・ドルフィー名義の作品を中心に見てゆこう。人によっては、ドルフィーのほとんどすべての作品がフリー・ジャズと思われており、エリック・ドルフィー=フリー・ジャズの見方が多い。しかし、僕にしてみれば、作品の好き嫌いは別にして、すべてまっとうなジャズなのである。ただ、ちょっと普通と違うとすれば急上昇、急下降のフレーズが頻繁に出てくることによる違和感をもたれる方があるかもしれないと言うぐらいである。リズムもハーモニーも純度の高いジャズである。『ラスト・デイト』の“You Don’t Know What Love Is”など、少し大げさだけど、涙なくしては聴けないほどの感動を与えてくれる。久しぶりにじっくりと聴いてみて、「初リーダー・アルバムからアヴァンギャルドに豹変した」という上記述を撤回したいと思う。つまり、表面的には前衛的に聴こえるが、本質はジャズの伝統に則り、最初からどっしりと地に足の着いた演奏であるということだ。ドルフィーの場合、駄作がないので絞るのに苦労するが、以下の5点を真っ先に基本ライブラリとしてそろえることをお勧めする。
『アウトワード・バウンド』1960年4月1日録音何か宇宙をイメージするジャケットであり、演奏内容もかなりアブストラクトな世界を思わせるが、本質はチャーリー・パーカーを基本としており、到ってオーソドックスな、じっくり聴けば聴くほど味の出る作品である。ひょっとしたら、「ラスト・デイト」に次ぐ傑作ではないだろうか。“グリーン・ドルフィン・ストリート”、“ミス・トーニ”では早くもバス・クラ全開の奔放な演奏が聴ける。また、ここでのフレディ・ハバードのミュート・トランペットはマイルス・デイビスを彷彿とさせる快演である。デビュー作品としてこんなに完成度の高いのはそうざらにあるものではない。聴いたことのない方、騙されたと思って是非聴いてみてください。
『アウト・ゼア』1960年8月15日録音これも宇宙をイメージするジャケットである。こんなジャケットを立て続けに出すと、よっぽどのファンでないと買わないだろうな。しかも演奏形態が、ドルフィーのほかはジョージ・デュヴィヴィエ(b)、ロイ・ヘインズ(ds)にロン・カーターのチェロときている。しかし、フロントが一人ということで、ドルフィー節全開で、前作に比べてかなり曲調が色彩豊かでバラエティに富んでいるので楽しいが、チェロ採用の意図はあまり伝わらない。僕の感性が未熟であるとしておこう。演奏内容は前作に引き続き好調である。
『ファー・クライ』1960年12月21日録音こちらはブッカー・リトルとのはじめてのコラボレーションで、先ほどから何度も繰り返すようだが、チャーリー・パーカーに源を置いた、チャーリー・パーカーへのトリビュート作品である。ということから、前作品よりももっとオーソドックスである。1作目のフレディ・ハバードとこちらのブッカー・リトルとを聞き比べてみるのも面白い。前者が対等のソロイストとして対極で演奏しているのに対し、後者は一心同体というか、同質の音調でユニゾンでハモルなどコンビとしてはこちらのほうが断然合っている。
『アウト・トゥ・ランチ』1964年2月25日録音唯一、アヴァンギャルド的な作品がこれだ。ただ、人選が問題ではないか。マーチング・バンドのタイコのようなトニー・ウイリアムスのドラムスに、フツーのボビー・ハッチャーソンのヴィブラフォーンがアブストラクトなドルフィーにまったく合わない。加えて、ここでのフレディ・ハバードのトランペットもバックに合わせた演奏となっているため、ドルフィーだけが先走った感触は免れない。部分的にはすばらしく面白い点が数多くあるのだけれどトータルな演奏としては完成していないような感じがする。ちょっと、消化不良気味である。
『ラスト・デイト』1964年6月2日録音勿論、ドルフィーの最高傑作である。オランダでのライヴ録音であるが、音が澄んでいるし、ファイヴ・スポットでのライヴ録音みたいな長尺でないので聴きやすい。また、バックがヨーロッパの名も知れないメンバーであるため、バックに徹して(ピアノやベースソロとかはあるが)おり、ドルフィーのすべてが表出された稀代の名演といってよい。1曲目のモンク作“エピストロフィー”から最後の“ミス・アン”まで息をつかせぬ“馬のいななき”ドルフィー節を堪能できる。何度聴いても聞き飽きないドルフィー・ワールドの最終章である。 一連のライヴ録音群『ファイヴ・スポット・ライヴ』、『ヨーロッパ・ライヴ』およびジョン・コルトレーンの『ヴィレッジヴァンガード・ライヴ』(いずれも1961年録音)も必聴のレコードである。また、他人名義として、オリバー・ネルソン「スクリーミン・ザ・ブルース」「ストレート・アヘッド」、ケン・マッキンタイアー「ルッキン・アヘッド」、アビー・リンカーン「ストレート・アヘッド」、テッド・カーソン「プレンティ・オブ・ホーン」、ジョージ・ラッセル「エズセティックス」、ロン・カーター「ホエア」、マル・ウォルドロン「クエスト」、ポニー・ポインデクスター「ポニーズ・エクスプレス」、アンドリュー・ヒル「ポイント・オブ・デパーチャー」などなど重要作が目白押しであり、すべてがエリック・ドルフィーのあっての作品といえる。では、また。


アヴァンギャルド  PARTⅡ

2007-10-15 16:54:24 | Jazz

アヴァンギャルド  “コルトレーンからアイラーまで” -PARTⅡ

《マイルス・デイビス》

「なんでマイルスがアヴァンギャルドやねん!?」という声があっちこっちから聞こえてきそうですが、前回述べたように、過去の踏襲を破って新しい奏法で作られた作品がアヴァンギャルドという定義からするとマイルス・デイビスを措いてこれ以上ふさわしいアヴァンギャルダーは他にいないのではないかと思う。多くのジャズ・ファンはマイルスをジャズの主流(王道といってよい)を突き進んだ人と思われているだろうが、実はそうではなくて、マイルスは常に現状に満足せず変化を求め一箇所に留まることのなかった人である。つまり、マイルスが王道を突き進んだのでなく、マイルスが切り開いた道が王道になったのである。常に先頭を行くマイルスに多くの同輩、後輩が影響を受け追随してそれが奔流となり、今日のジャズの本流となったのである。 初期の作品から時系列で追っていくとそのことが明白となる。かのチャーリーパーカーやディジー・ガレスピーなどの【ビ・バップ】革命の真っ只中でレコード・デビュー(若干19歳)し、その革命の一翼を担っていることからしてジャズの申し子といってよいのではないか。技術的にはまだ未完成で荒削りな面も見られるが、パーカーやガレスピーに見られないセンシティヴなところは後年開花させたクールやモードなどで見られる繊細かつナイーブなマイルス・ミュージックの予兆が見られる。そして、ビ・バップ革命が完成した直後の1949年には『クールの誕生』という知的で緻密な【クール・ジャズ】という分野を開拓していった。ここで特筆すべきは、若干24歳のマイルスがすでに多人数での演奏における音楽的な統率力を発揮していることである。ギル・エヴァンスという超一流アレンジャーとコラボレーションする機会を得たのも重要なポイントである。後年、このコンビは演奏者とアレンジャーという関係における最高のコラボレーションで数々の傑作を生み出している。さらに、1951年には『ディグ』において1950年代ジャズ全盛期を築いた【ハード・バップ・ジャズ】の先鞭をつけている。マイルスがハード・バッパーであったとは思わないが、ジョン・コルトレーンを擁した第1期マイルス・デイビス・クインテットは紛れもなく〔ブラウン=ローチ・クインテット〕、〔アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ〕と人気を3分するハード・バップ・ジャズを先導した超一流のコンボであった。さらにさらに、1959年にはビル・エヴァンスを擁し、ジャズ史上最高傑作と呼び声高い『カインド・オブ・ブルー』という【モード・ジャズ】作品を作り上げているのである。そして、最後の極めつけは『イン・ア・サイレント・ウエイ』における【エレクトリック・ジャズ】の導入である。それまでのレコードでもエレキ・ピアノなどは使っていたのであるが、本作品以降との大きな違いはマルチ・キーボードを擁し、層の厚い、ダイナミックなリズムのうねりを創出していることにある。このレコードでは、ハービー・ハンコック、チック・コリアのキーボードとジョー・ザビヌルのオルガンがよくマッチしている。僕は、これをもって、マイルス・デイビスのアヴァンギャルド・ボーダーライン上の作品と位置づけている。これ以後、本作品を基本にしたスタイルでエレクトリック・マイルスによるジャズの更なる未知の分野をその死の直前まで開拓していった。 マイルス・デイビスのアヴァンギャルド作品として重要なのは以下の4作品と考える。
『イン・ア・サイレント・ウエイ』1969年2月18日録音。 タイトル曲でのジョー・ザビヌルのオルガン、ジョン・マクラフリンのギター、二人のキーボード、さらにはトニー・ウイリアムスのドラム、デイヴ・ホランドのベースといったリズム陣の絶妙な連携、一体化のすばらしさは筆舌に尽くしがたい。そして、メロディもいうことなし、あまりにも美しすぎる。1970年代、ジャズ界を席巻したフュージョン・ミュージックもここから始まったとしていい。その意味で、この作品の音楽ディレクターであるジョー・ザビヌルこそフュージョンの生みの親と断言できる。僕は、一番好きなジャズのレコードはどれかと問われたとき、そのときの気分にも因るが、この作品をあげることが多い。
『ビッチェズ・ブリュー』1969年8月19日録音 発表当時、多くのジャズ評論家たちの間で賛否両論、喧々諤々の論争が渦巻いたとされる作品である。これで、マイルスから離れていったファンも多いと聞く。ロック音楽からジャズに入った僕にとってはさほど驚くに値しない。逆に、ロック好きな若者のファンを得たのもこの作品だ。これ以降、マイルス・デイビスはフィルモアなどのロックを中心とするコンサート会場での活動が多くなっていることから、もはや古い体質のファンを必要としなくなったのだろう。
『トリビュート・トゥ・ジャック・ジョンソン』1970年録音 当時流行のハード・ロックをも凌駕する作品である。ここでは、極力キーボードを排して、ロックよりのエレキ・ギターを前面に出しての躍動感あふれる「ライト・オフ」が最高だ。やはり、ジョン・マクラフリンとソニー・シャーロックのギターの絡みが効果的でいい。当時の僕などはハード・ロック一辺倒であったが、このジャック・ジョンソンには“負けた”と認めざるを得なかった。分類するのはあまり意味のないことだが、これをジャズとして聞くのにはいささか抵抗はあるだろう。純粋なフォービート・ジャズしか認めないファンは聞く必要はないだろう。
『アガルタ』、『パンゲア』1975年録音 この2作品は一時引退直前の同時期録音、各2枚組みの大作である。それまでの路線に大きな変化はないが、リズムを中心にして、それを核にトランペット、サックスを配し、徹頭徹尾重厚なリズムで攻め続ける。それぞれがレコード1枚で1曲という、長尺のライヴ演奏であるが、まったく飽きさせない。これこそ、現代のファンク・ミュージックの源泉ではないのか。いまどきの若いミュージック(ジャズとはいわない)・ファンにぜひとも聞いてほしい作品である。 やりたいことはやり尽くしたと思ったのか、それとも常に変化することへの限界を感じたのか、この後、マイルスは5年余りの引退生活に入る。しかし、不死鳥 マイルス・デイビス 1981年に復帰するや、再び、ジャズの帝王としての面目躍如たる活躍を続けていったのは記憶に新しいところである。復帰後の作品では、『TUTU』、『アマンドラ』あたりが傑作であり、僕の好きな作品でもある。 以上のように、とにかくマイルス・デイビスは変化し続けてジャズの王道を築いていった。ジョン・コルトレーンにおける自己の内面の変化に伴う変貌とはまったく次元の違う、音楽としてのジャズの変革を推進していったのである。まさに、本テーマで取り上げるにもっともふさわしいアヴァンギャルダーであると思うがいかがだろうか? ≪追伸≫ 本稿で取り上げたジョー・ザビヌルが先日亡くなりました。あの1970年代のフュージョン・ジャズの立役者であり、ウェザー・リポートという超人気バンドの音楽的リーダーとしての活躍が忘れられません。また、作曲者としてもキャノンボール・アダレイの演奏で有名な“マーシー・マーシー・マーシー”など多くの作品を出しています。ご冥福をお祈りいたします。