エマズ・ブログ

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『西洋音楽から見たニッポン―俳句は四・四・四』

2008年11月05日 | Weblog
西洋音楽から見たニッポン―俳句は四・四・四
石井 宏
PHP研究所

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面白い本です。日本語に内在するリズムや特徴を的確に捉えていて、かなり眼から鱗が落ちます。
たとえばアラブ/トルコ音楽の変拍子も、西洋的に見るから「変」拍子なのであって、言葉や「歌」のまま受け取ればたいして難しくないのですよね。タクトを振るつもりでやると混乱しますが、ごく自然に歌に合わせるつもりならそれほど困難ではありません。

<同様に明治政府は音楽の面でも邦楽を蔑み、ドレミファ音楽を最高の音楽として日本人に押しつけた。その結果、いまでは日本人はオーケストラの音楽会などというのはきわめて高級なものだと思う反面、浄瑠璃や新内といえば低俗なものだと無意識のうちに思い込んでいる人が多い。いまの日本の音楽のプロたちは(邦楽家は別として)この西洋音楽的な単細胞思考を金科玉条と考え、その考えを日本音楽に当てはめようとする。それはまったく無謀なことである。
 明治政府の富国強兵政策は八十年足らずで倒壊したが、西洋一辺倒の文化観はいまも生きている。しかし、その物差しでは日本的思考や精神の土壌、芸術、言語などを測ることはできない。それをどう解決するのか。道は遠い気がするのであるが。> (221~228ページから引用)

もう溜飲下がりまくりです。

全編が鋭い指摘に満ちています。

<こうして同じフォスターの音楽でも、日本ではホームソングとして歌われ、そこに内在する黒人奴隷問題はまったく表面化しなかったのに対して、アメリカではフォスターの音楽の世界に対する禁忌が表面化して、世間から消えていったのである。
 そこにはフォスターの音楽の真実を知る者と知らない者という差があり、日本人は何も知らずにおめでたく幸福にフォスターを享受したのである。そこにおいて、明らかに、音楽に国境はあるように見える。>
(146ページから引用)

<そして、新たに持ち込まれた根なしの文化を待ち受けた土壌のほうといえば、これまた古い土壌をすべて剥がされて、荒地となった土地であり、その行為によって根こそぎになった人々がすべもなく立っているだけだったのである。日本人は西洋音楽の長い年月の土壌の上に咲いた花を、その根や土壌を知ることもなく、切り花のようにして受け取った。切り花は命を保ちようがない。
(それでも一部の人たちの手により、切り花は命ながらえ、一九六〇年代から八〇年代には経済成長と相まって、ピアノの国内生産月間三万台といった異常な現象すら見せたのであったが、二十一世紀に入ると急速に衰退を見せており、まもなくこの花は萎むであろうと思われる)>(189~190ページから引用)