エマズ・ブログ

エマズ・マーケット(ウードやサズなどの販売・修理調整・レッスン)の店主による、音楽ネタのブログです。

サウンドホールが3孔タイプと1孔タイプ

2007年08月31日 | Weblog
 昨日の記事に書いたように、ウードのサウンドホールは3つが基本ですが、1つのみのものも存在し、また、多くの演奏家がこのタイプを使ってもいます。ウードの世界にもバイオリンのストラディバリウスとも呼ばれるような過去の銘器も存在します。その中の一つであるナハト・ウードにもこの1孔タイプが存在しますし。サウンドホール周りだけだと、一見普通のギターと同じように見えます。
 多くの方が「音色の違いはあるのか?」とお聞きになります。来店されたお客様には実際に2種類を弾き比べたり、あるいは3サウンドホールのウードの小孔2つをダンボールなどでカバーしたりして「実験」をお見せすることもあります。そうすると、皆さん「なるほど。確かに違う」と納得されます。
 
 乱暴に言うと、3孔タイプは音がよく「まわる」感じ、1孔タイプはもっと直接的な感じ、といったところでしょうか。音がよく「まわる」というのは、まるでステレオスピーカーの前にいるような感じで、言わば音場が広がったような感触です。一方、1孔タイプの直接的な音というのは、モノラル・スピーカーの前にいるような感じです。
 
 サウンドホールに向かって声を出してみると、その反響具合がよくわかって面白い実験となります。この場合も3孔タイプは大変特徴的に音を拡散させます。
 どちらが良い、というのではなく、キャラクターの違いで、目指す音や目的によって取捨選択すべきもの、と思います。実際に両タイプを使い分ける演奏者が多いですし。
 ただ、どちらか一つ「よりウードらしい音」を選べ、となったら、3孔タイプでしょうか。あの音場感覚は1サウンドホールのギターとはかなり異なりますから。

 

琵琶の響孔とウードのサウンドホール

2007年08月30日 | Weblog
ご存知のように、ウードには3つサウンドホールがあります。一つはボディ中央付近に大き目のものが、そして下方左右に小さめのものが1つづつあります。これは基本形で、1サウンドホールのものもあります。(次回に触れます)

 一方、薩摩琵琶は上方左右に一つづつ、下方に1つ、どれもかなり小さめですが、やはり3つ響孔があります。下方のものは覆手というブリッジにあたる部分の下に隠れていて、正面からでは見えません。

 このように、ウードも琵琶も同じようにサウンドホールを3つ備えている、というところ、また、位置がちょうど逆になっているというところに大変興味を惹かれます。
 やはり古代ペルシャのバルバットからつながっている親戚楽器だけあって、これは偶然ではなく、影響だと思われます。そして、琵琶の上方左右の孔は半月と呼ばれる三日月形の装飾が施されています(孔自体は小さな丸形です)。これも興味深い点です。

 ちなみに、糸倉が急な角度で曲がっているのはウードも琵琶も同じですが、ボディ自体の厚みはぜんぜん違います。琵琶のボディは一番暑い部分でも5~6センチという薄さです。

一度低いアラブ・チューニング

2007年08月29日 | Weblog
Al Tarab Oud Festival
Various Artists
Enja

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 サウジ・アラビアに素晴らしい歌手/ウード奏者のアバディ・アル=ジョハールがいます。画像のCDセットには彼も参加しています。
 彼のウードはチューニングが曲によっては標準のD,G,A,D,G,C(低いほうから高いほうへ)でなく、C,F,G,C,F,B♭ となっています。つまり各コースが一づつ低いのです。このチューニングをしているウードプレイヤーはあまりいませんが、一部で熱心なファンもいます。このチューニングこそがウードの深みをさらに増す、という主張です。

 クラシック・ギターではチューニングはほとんど変えませんが、ブルースやロックなどでは変則チューニングも多く(これは民族音楽の影響もあると考えています)、また、ジミ・ヘンドリックスは各弦を半音下げてチューニングしていました。これはチョーキングがしやすいためにそうしたらしいですが、ライトゲージと比べレギュラーゲージを半音下げたほうが音に腰があるため好んだようです。

 ウードの場合はギターに比べ、もともとテンションが低めの弦ですが、糸倉が急角度で折れ曲がっていることにより弦の張りを高めているので、ベロンとした状態にはなりません。
 この「一度低いチューニング」を試してみると、確かにかなり標準チューニングとはニュアンスが変わります。より重心が低く、ずっしりした感触の音です。ですが決して中高音がスポイルされているわけではありません。ただ、どの弦もテンションがさらに弱くなり、やや弦の反応が鈍くなるので、技術的にはさらに難しくなるかもしれません。
 一度試してみてはいかがでしょうか。



和楽器と中東楽器の親近性 (その2・楽器の音量)

2007年08月21日 | Weblog
 20日に引用したウィキペディアの中にもうひとつ、重要なものがあります。

《ただし、祭礼(祭囃子、神楽など)のために屋外で演奏される分野の楽器は、音量が大きい。和太鼓、鉦、鐘、篳篥、横笛、法螺がこれに相当する。また、浄瑠璃や長唄の三味線は歌舞伎・文楽・日本舞踊といった伝統芸能と共に用いられてきたため、広い劇場でもよく聞こえるよう、音量を増す方向に進化した》

 要はちゃんとTPOをわきまえていた、ということです。
 一方、オスマントルコ国家にとっての、士気を鼓舞するための軍楽(メフテル)は重要な位置にあり、その目的からして大音量の管楽器と打楽器で編成されていました。ズルナ(オーボエの祖先)、ボル(トランペット)、ケス(ティンパニの祖先)、ダウル(両面太鼓)、ナッカレ(小型ティンパニ)、ジル(シンバル)が基本で、これは現在のブラスバンドの起源でもあります。
 こちらも当然屋外の演奏に限定されていたわけです。ここにも中東楽器と和楽器との親近性が見て取れます。

 つまり、それなりに大音量の楽器は「違う用途で」使用していたが、すべての楽器をより大音量にするように「改良」(その実改悪)する方向には決して行かなかったということです。琵琶、三味線、琴や尺八も、ウード、カーヌーン、ネイも適切な音量に留めた、ということです。そして大事な繊細な音色のニュアンスは維持し続けました。また、騒音公害をまきちらすことがなかったのも同じです。

 当時ヨーロッパではメフテルの影響で次々とブラスバンドが創設され(もともと金管楽器は、戦争や狩りのファンファーレ用に作られた楽器が祖先です)、明治以降は日本も同じ影響を受け、現在では日本の大部分の中学校・高校にも部活動として存在しています。教育活動の一環として。あまりにも当たり前になっているので懐疑的に思う人もほとんどいないようですが、考えてみれば大変なことです。
 あの音量。コンサートや発表会だけに限定するわけには当然行かず、日常の練習は校舎内で普通に行われています。放課後とはいえ、あの大音量の管楽器群で。
 その点、最初から大音量と認識されている電気楽器使用のポピュラー音楽系部活動は必ずと言っていいほど視聴覚室などの防音室でしか練習を認められていません。これは当然のことなのですが、本来は管楽器やピアノも同じように使用場所が限定されるべき大音量の楽器なのです。
 しかも、電気楽器はドラムスに合わせたバンド練習では大音量になりますが、個々ではボリュームを絞って音を出すことが可能です。しかし生で大音量の楽器はミュートくらいしか方法がなく、しかもそれでは「音が変わってしまう」と使用されないことが多いのです。

 本来個人が室内でたしなむ楽器というのは、弾き語りで人声とバランスがとれる音量のものであるべき、と信じています。それ以上の音量の楽器をもってして「情操を養う」などと言うのには納得がいきません。

ドレミを選んだ日本人
千葉 優子
音楽之友社

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音楽への憎しみ
パスカル キニャール,Pascal Quignard,高橋 啓
青土社

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和楽器と中東楽器の親近性

2007年08月20日 | Weblog
 ウィキペディア 「和楽器」の項に、言いたかったことがまったく緻密に説明されていたので、嬉しくなって引用します。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%A5%BD%E5%99%A8

 《また和楽器は、西洋楽器が操作機能や音域拡大、分担化の追求により分化、発展したのに比べ、音色の追求により分化、発展したといえる。…中略… また、多くの楽器で音色技法が発達している。特に西洋音楽では現代になってやっと雑音的 (噪音{そうおん} ) 要素を取り入れるようになったのに比べ、和楽器では早くから雑音の美が認められ、雑音的な要素までもが様々に取り入れられていることは大きな特徴である。西洋音楽の楽器(洋楽器)では、和声音楽に用いる音から倍音以外を排除しようという方向性を持っていた。この違いは顕著で、また近隣の中国や朝鮮の音楽と比べても、和楽器には噪音(倍音以外の音)を多く含む音を出す楽器の比率が多い。そのような変化、工夫が加わっていったものである。…中略…

西洋音楽の「モダン」な同属楽器と比較すると、音が小さいものが多い。古典派以降の西洋音楽ではコンサートホールのような広い空間で演奏するために大音量を要求され、そのために、音色の繊細さや演奏の容易さ、楽器自体の手触りなどの要素を犠牲にしても大きな音が出るような改良がなされ(ヴァイオリン、フルートなど)、それに向かなかった楽器(ヴィオール属、リュート、リコーダーなど)が淘汰されたのに対し、日本の楽器の多くはその淘汰を受けなかったからである。和楽器ではむしろ室内で耳をこらしてデリケートな音色の変化を賞玩するために、音量よりも音色の洗練、追求に力が注がれた。木・竹・皮など天然素材を生かしたものが多く、近代・現代西洋音楽の複雑な機構を備えたピアノやベーム式フルートなどの楽器と比較すると、構造は簡潔で、操作のための器具がシンプルであり、しばしばそれを全く持たない。西洋音楽は、その発達の段階で半音階や平均律を受け入れ、転調を主体とした変化に富んだ楽曲を育んできた。…中略…

つまり音を無機的にとらえデジタル的に体系化したため、個々の音そのものの次元では極めて単純化、信号化されて特別な意味を持たなくなり、反対に楽器に複雑な機構を要求する結果となったが、日本の音楽にはそのような要求は少なく、あっても調弦変えや持ち替えなど、演奏者の奏法上の工夫で十分対応できたからである》

 これら要素のほとんどが中東楽器にも共通するのがおわかりでしょう。
日本の本来の音楽的感性からすると、西欧は遠く、中東のほうがずっと近しいはずなのです。
 また、リュートなど西洋の古楽器は「古臭くて音色的に劣っていたから」マイナーになってしまったわけではなく、音量の少なさという理由から淘汰されただけです。
しかし、PAや録音技術も発達した現代では必ずしもコンサートホールの存在感だけが意義があるわけではなく、だからこそリュートも復権してきたのでしょう。

 明治以降、ピアノやバイオリンにあれだけ親しんできた日本人ですが、ウードやサズを「遠くて縁のない民族楽器」とだけ認識してきたのはあまりにも音の宝を見逃してきたことになります。

 画像は、明治33年(1900年)頃の琵琶教室の写真。左端にいるのは店主の祖父・伏見久太郎(50年前に物故)。漢方・鍼灸医をしながら、琵琶を製作したり教えたりする趣味人だったそうです。当時は演奏・製作の両方をするのが珍しくなかったようです。今のウード演奏家の少なからずの人が製作もするのと同じですね。

 音楽の話は別にしても、現在の日本人には、中東やイスラム世界は非常に遠い存在であると思われがちですが、明治時代の日本人はイスラム世界に非常に重大な関心を持って対話を行っており、現在からすると信じ難いほどに中東のことを知り、中東に対して大変強い関心を持っていたそうです。

リーシャ

2007年08月19日 | Weblog
 色とりどりのリーシャ(ミズラップ)の写真ですが、これらは弊店がサンプルで取り寄せた合成樹脂製のものの一部ですが(まだ販売未定です)、本当にさまざまな形状、厚さ、硬さがあるものだと思います。

 ギターのピック以上に、音色のバリエーションが広いと思います。というのは、クラシックギターは基本的に指弾きなのでピックは不要、使用するのはフォークギターやエレキギターといったスチール弦使用の楽器ですが、これらはスチール弦という材質のためか、ピックの差が音色には影響しにくいものです。
 ウードの場合は、クラシックギター同様ナイロン弦を使用しており、さらにギターよりもブリッジ寄りで弾く傾向にあるのでアタック時のポイントはかなり大きくなるようです。

 日本の琵琶の場合は、ピックの役割をするのはあの大きな撥ですが、最上物は柘植ですが、軽くウン十万円します。また、津軽三味線では鼈甲製の物が最上とされますが、昨今の鼈甲不足でこれまた高価です。確かに音色にも影響するようです。
その点、リーシャが安く済むウードはいいですね。水牛や鹿角や鼈甲にしても、リーシャだと薄くて小さいですから、おのずと価格も比べ物にならないほど低くなります。
 いろいろ試してみてください。きっとお気に入りの一本が見つかると思います。

微分音

2007年08月18日 | Weblog
 《こういうデリケートな音程というのは、非常に大まかで理論は発達していませんが、日本の場合にも出てきます。日本の盲目の検校さんや、あるいは生田流や地歌の三味線とかお筝の師匠たちが演奏するとき、非常に半音が狭くなります。…中略… しかし地歌とかお筝の音楽の中に出てくる半音は普通、非常に狭いようです。半音の間を百とすると、八十とか七十なんていうのがあります。四分の一音ほどではないが、三分の一ぐらいを使うこともあります。あのつややかさ、しめっぽさ、しっとりとした味わいは、それによって出てきます。トルコの人たちみたいに、理論でいろんな記号を使ってそいういうことを作曲家が演奏家に押しつけているのではなくて、感覚的に日本の演奏家はそういうものを持っているわけです》(『小泉文夫フィールドワーク』冬樹社 p161、l1~l16)

 そういう意味で本来日本人にとって、中東音楽の微分音程はまったく別世界の、理解が困難な世界、ではないはずなのです。あくまでも「本来は」であって、明治以降にあまりに西欧化された現在の日本の音楽文化においては、残念ながらかなり遠いものになってしまっていますが。

 ただ、それと気づかずうちにも、米国黒人音楽のブルース~ソウル~白人も含むロック文化のなかで、ブルース・スケールやコブシのヴォーカル、チョーキング・ギターなどによって12平均率からはみ出す微分音的ニュアンスに慣れてきたおかげで、それ以前よりも「その気になれば」微分音世界に行くのはそれほど難しくなくなっている楽観的見方も同時に持つのですが。

 画像は、ハサン先生直筆の微分音の覚書です。「コマ」というのは微分音の単位で、全音間が「9コマ」に分かれているのがお分かりになると思います。

自由リズム

2007年08月18日 | Weblog
 ウード演奏のひとつの真髄はタクシームです。いわゆる自由リズムであり、世界各地に分布する、モンゴルのオルティン・ドー、トルコのウズン・ハワ、イランのアーヴァーズ、フラメンコのファンダンゴ、インドのアーラープ、さらには日本にも追分や長唄などたくさんあります。(ただ、「自由リズムという言葉は誤解を呼ぶので、私は使いません」 http://www.arab-music.com/faq.html#q21 という意見もあることは頭に入れておいたほうがいいかもしれませんが)

 小学校から近代西欧音楽が完成形の普遍的音楽と教育され、またポピュラー音楽でもそのままの傾向が保持された日本では、日々忘れがちなことですが。ハーモニー(機能和声)重視とともにその偏重や独善性がいかに音楽の多彩さや可能性を切り捨ててきたのかと暗澹たる思いになります。

 薩摩琵琶を習っていた時に、「あんたの演奏はきちきちっとしていてまるでメトロノームみたいでダメだ。もっとこう伸びたり縮んだりしないと」と師匠からよく注意されたものでした。それまでリズムのある音楽とくにビートのはっきりした音楽に慣れきっていた身としては大変新鮮な驚きでした。
 画像は、当時95歳だった師匠の直筆譜です。4本線がありますが、西欧的な五線譜とは違います。まあ一種のタブ譜のようなものです。しかし、とにかく拍子線もないのがおわかりでしょう。

 トルコでウードの先生にさまざまなリズムを学んだときには、逆の意味で新鮮に感じました。近代西欧的に見ると変拍子になってしまうリズムは、ある意味自由リズムとはまた違った意味での自由さを感じたものでした。

ウード演奏技法の幅広さ

2007年08月17日 | Weblog
 ジョン・ビレジクジアンというウード演奏家がいます。弊店でも扱っているCD付ウード教則本の著者でもあります。アルメニアの伝統をベースにして、そのうえで彼独自のテクニックによってウードの可能性を広げた人です。

 DVDが出たので弊店でも扱おうかと思いサンプルを入手したのですが、どうやらTV番組からのもので画質は良くなく収録時間も短いので、扱うのはやめましたが、それでも、彼の素晴らしい演奏を目にすることができました。

 もともとアルメニア色が濃く、またロマ的(それが彼の民族ルーツかはわかりませんが)音楽性を感じさせる演奏ですが、今回とくにフラメンコとの親和性を感じました。実際、「マラゲーニャ」やロドリーゴの「アダージョ」も演奏しているのですが、まったくウードとの違和感を感じさせませんでした。(ただ個人的には、タクシームはあまり魅力的でなく、このDVDでのものもイマイチでした)
 トルコ・アラブ音楽には西欧的な意味の和音・コードはありませんし、ウードでも基本的にはそうですが、彼は和音・コードもガンガン使用する人です。

 ウードは広く分布する楽器ですから、地域や伝統によって演奏技法に大変に広いバリエーションを持ちます。もちろんエジプト、イラク、シリア、チュニジアやトルコのウード演奏が非常に有名ですが、その他にも中東湾岸諸国、アルメニア、ギリシャ、また、スーダンやインドネシアなどでも演奏されています。スーダンといえばハムザ・エル・ディンが有名ですが(もう亡くなりましたが素晴らしい音楽を作ってくれた人でした)、あの地域では5音音階のウード演奏がよくなされ、まるで日本の民謡のように聞こえるときがあります。
 リーシャ(ピック)を響板に当ててはいけない流派もあれば、バチバチと当てまくる派もあります。本当に音楽性や技法は大変に幅広いものがあります。
それがまた、ウードが外見上もさまざまなのが魅力であるのと同じく、大きな魅力だと思います。
 ウードでコード・和音を多用するテクニシャンをお聴きになりたければ、まずこのジョン・ビレジクジアンをお勧めします。

 ロマといえば、彼らをテーマに映画を撮り続けてきたトニー・ガトリフ監督の新作も早く観たいです。『ベンゴ』は素晴らしかったですが、あの音楽がいっぱいの映画ではウードも大活躍していましたね。『僕のスウィング』ではジプシー・ギターとウードのデュエットもありました。


お勧めCDです

2007年08月13日 | Weblog
Oud Mosaics
Amer Ammouri
Hollywood Music Center

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 シリアはアレッポ在住のウード名人の新作です。テクニックが素晴らしく、完璧ですが、ピッキングや指使いは正確無比、とくにトレモロのスピードやバリエーションは独壇場です。しかも技巧派が陥りがちな空疎な部分はまったくなく、深いソウルも感じさせる達人です。ジャケットのウードはシリアのイブラヒム・スカール製ですが、音を聴いてもこのウードを使用していると思われます。達人+名器の音を楽しめます。
 アラブ各国の有名曲をウード独奏にした、必携の一枚です。

YouTubeでも、素晴らしい演奏を見ることができます。
http://jp.youtube.com/watch?v=Fc6hYABE0Xs