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気になったことを書いてみた

普段何気なく見ていたり、感じているもので気になることや、感じたことを何となく書いて記録してみる

突然の病気、それは、不治の病だった

2015年07月15日 05時35分58秒 | 人、人生、命
2015年6月20日(土)の朝、家族が皮膚の変化を発見することに!!

朝、シャワーを浴びて体を拭きリ着替えてビングに向かうと、妻がおとうさんシャツが裏返しだよ!っと指摘。
たたんであったシャツをそのまま着ただけだよと言い、シャツを脱いだ。

すると左胸部に皮膚の変化に妻が気づき、それに気づいた娘達も確認しに来た。
何だか、周りが薄いあざのようで赤くなり、中は白くひかっているけど、気づいてないの?

えっ!
全く分からない?風呂場でも鏡はあまり見ないし、くもっているから体を洗ってサッとでるので
気づかなかった。

自覚症状も痛みも、かゆみもないので全く分からない。
今日は、土曜日だから皮膚科が午前中は開いているから、すぐに行った方がいいと妻に言われたけど、
今日は、床屋に行くと決めているので、医者に行くのは月曜日以降で良いよと言った。

とは言え、会社を休むわけにもいかないので、まっあ、来週の土曜日に行けばいいと、自分自身は
思っていた。
しかし、妻は平日でも遅くまで開いている皮膚科を探してくれて、月曜日に皮膚科を受診。
すると、服を脱ぎ左胸部を先生が見ると、慌てて医学書を開いて、多分この病気だと思います。
と説明。

どうも膠原病の一種だと言うことが分かり、斑状強皮症のように見えるとのことだった。
すると先生からは、総合病院の受診はありますか?と聞かれ、はい、川崎の総合病院の名を伝えると、
看護師さんに病院の情報を探させていた。

その後、近くの大病院の名をあげたが、どうも該当する医者がいないようであった。
そうこう、10分くらいやりとりをして、東京の自宅から比較的近い大学病院を探してくれて、紹介状が書かれた。

えっ!!と思い、直ぐに病院に行き受診した方が良いですかと聞くと。早い内に受診して下さい
とのことで、紹介状が書かれた大学病院の診察日を確認。
すると、意外にも土曜日の午前中は、診察が出来るようになっていた。

6月27日(土)大学病院で、診察。
待ち時間と検査など、約2時間が経過した。

診察では、先生が皮膚を観察し事細かに状況を伝え、看護師が言われた内容をパソコンで入力。
その後、大きさや触診など色々行い、強皮症ですと、先生から伝えられる。
写真をとり、指先を左右何本か拡大鏡で確認して、皮膚科受診は終了。

皮膚科をでて、血液検査ようの採血を6本採り、レントゲンを撮って検査は終了。
7月14日(火)現在、この検査結果は、まだ伝えられていない。

7月14日(火)生体検査と言うことで、胸部にメスを入れ皮膚及び細胞の一部を取り出す手術を実施。
最初に受診した男の先生でなく、女の先生が執刀。時間は、30分から35分位で、体調の状況や
血圧検査や問診を行うことなく、直ぐ横になり手術対象部位へのマーキングを実施し、写真を数枚
撮った後、胸部への部分麻酔を7回実施。

麻酔の注射を胸部に打つとき、凄く痛いのかと思っていたら意外と痛くなく、麻酔薬が注入した時の
方が痛いことも分かった。
とは言え、麻酔が効く前に打っているので、痛くなかったのは、そのうち2回だけ。
残りの5回は、痛い目にあった。

麻酔を一通り打ち終わり、執刀の準備を行う。麻酔を打ち終わって5分くらい経過後、部位に触って
確認。
先生との会話で、触られた感触はあるけど、感覚はないと伝えると、二人の医師(二人とも女医)で

開胸手術を開始、局部麻酔なので先生話す内容も聞こえるし、手足や口も体も自由に動く状態で、
その先生は、執刀医が執刀中に笑わせてくるし、お互いの顔が近いから緊張するとか、信じられない
会話をして、笑わせてくるので思わず笑い体が震えるし、本当かよ。

とは言え、会話の中で、今回のような患者は事例としてあるか聞いてみると、10数年前に1度だけ同じ
ような患者に出会っているそうで、今回で、2例目と言うことになる。
それだけ、この病気の患者が少ないのもうなずける。

ツキがないなと感じた。

もう一人の先生(女医)は、会話をすることなく、笑うこともなく真剣にサポートしていた。
その後、縫合するための用意もしていないし、手術が完了する前に看護師が来て、色々指摘していた
けど、最終局面だったので結局何もせず終了。

縫合中に失敗(思わず先生が口にした)するし、10数ハリ以上15分くらい縫っていた。

手術後簡単な説明で、跡が残る話やお風呂(消毒)について会話。
抜糸の日や検査結果の日など聞き、当初(説明文書を含め)と違うことが多すぎた。
大丈夫なのか、この大学病院と思ったけど、病院もさることながら、やはり、医師の問題だとも感じた。

たった一人のこの様な医師がいると、全体でレッテルが貼られる。
最初の先生は、今まで出会った病院の医師の中でも1、2番と言うくらい、良い先生だった。
男前な上に感じも良く、診察中にも真剣さが伝わり患者の話も良く聞き、この先生で良かったと思った
くらいだ。

いずれにしても、今回の病気は、検査結果で吉と出ても、一生直らないので、この病気とつきあって
いかなければならない。
万が一にも、凶であった場合、残り時間の使い方を考える必要がある。







家族(親子)の時間と絆

2013年06月22日 09時42分58秒 | 人、人生、命
今年、2月27日夜19時過ぎに、82歳の父親が亡くなった。

家の父親は40歳を過ぎてから糖尿病になり、40年近く上手に糖尿病と付き合いながら生きてきた。幸い、糖尿病による合併症も発症せずにすんだ。
亡くなる3ヶ月前から食欲が無くなり、結局死因は老衰に近いような内容だった。

ちょうど3年ほど前、父親の言動、行動、体調がおかしいと母から連絡が入り、ならば救急車を呼ばないと駄目だと言った。
その日は、どうしても休めない日だったので、末っ子の5男が近いので連絡したら、見に行けると言ってくれて、結局、救急車は呼ばずにタクシーで掛かりつけの病院に行った。
その日は、入院することなく簡単な検査と処置で家に帰ってきた。

すると翌日、様態が急変し救急車を呼び入院することになった。ここから、約3年近く掛かり付けの病院に入退院を繰り返すようになった。

ふと、この様な事が起きたとき、家族(親子で一緒)でいた時間はどのくらいか考えてみた。
今まで、一度もそんなことを考えたことがなかったが、生まれて家を出るまで18年、その後、3年、後はたまに返ってきてといった感じで、赤の他人である母との夫婦生活は50年以上であり、血のつながった親子の関係はたかだか20数年。
また、兄弟で考えてみると、末っ子の弟とは10年違い、家族で一緒に暮らした時間は10年程度である。
意外と短い時間であることに気がついた。
あまりにも、親子や兄弟という当たり前すぎる関係であるため、一緒に暮らしてきた時間などは考えたことが無かった。

そんな自分も、家族を持ち3人の娘がおり一緒にいられる時間を自分の例で当てはめると、結婚して嫁に行ってしまうことを考えると、あと10数年しか時間がないのかと思うと寂しいとも感じた。
でも、一緒にいる時間は短いが、生まれて赤ん坊の頃から一生懸命、手をかけ育ててくれた親子の時間は普通の時間とは違うことに気づいた。
自分も親となり、赤ちゃんの時から手をかけ子育した経験と時間を考えると、親子(一緒)で暮らしてきただけでなく、親子で関わったいろんな事柄が強い絆で結ばれ、濃縮されている時間となっていることに改めて気づき感じた。

考えてみれば、親子で一緒に暮らした時間は短いが、家族との濃い時間に対する自分の感じや思いと気持で決まるような気がする。

改めて、親と自分、自分(親)と子の家族(親子)の時間と絆の大切さを感じる。

余命宣告された叔父の転移先病院の説明を聞きに行ってきた

2012年08月29日 10時34分29秒 | 人、人生、命
叔父が余命宣告されてからちょうど2ヶ月が経過した。
前担当医からは、余命が3ヶ月から半年と言われ、口から食事が一切出来ないのと、流動食を鼻から点滴のようにして栄養を取っていることや、痛み止めなどの薬によりどんどん体が衰弱していくのかと勝手に思っていたが、叔父は非常に元気だ。

ドラマの見過ぎかもと思いつつ、週に1回病院に行って状況を確認しても、ある程度やせてしまったので何ら見た目も変わらないし、行動にも何ら変わった様子はない。

現在入院している市立病院は、救急看護医療指定病院であるため、治療をしていない叔父は病院を移転しなくてはならない。
ここ最近、2つの移転先候補の病院に行ってきた。
1つは、横浜市鶴見区。もう1つは、昨日叔父も連れて行った大田区の病院。

今、叔父は治療をしても回復や改善が見込めないため、一切の治療を行っていない。いわゆる病気とつきあいながら死を待つ状況にある。
こんな状況であることから、会話には注意をしている。

実は、余命宣告された時は、徐々にオブラートに包みながらとか、遠回しに話さなければとか思っていたが、会話をしている内に自然と気づいたようである。
俺の余命は、1年か?とお袋に言ったようである。そしたら、期間は違えどそうだストレートに言ってしまった。
家のお袋は、叔父の姉にあたる。叔父は、独り身で近くには、お袋と甥(自分と兄弟)が近くにいて、叔父の兄弟は、5人で1人は既に亡くなり、残り2人は福島県に住んでいる。なので、近くのお袋と甥である自分が色々手伝っている。

話が少しそれたので、移転先の病院の話をするとどちらの病院も、緩和ケア医療と言われるものを扱っている病院で、入院時の制限は意外に緩いので、ビックリした。
あまり先がないので、残り少ない時間を家族や身内などで大切に過ごしてもらう事が大前提で、痛みを和らげるための医療行為が中心なので、治療は殆どされない。
ただ、こういった病院は数が少ないのとベット数も限られているので、中々空きがないのが現状で、どちらの病院も、空き待ちとなっている状態でいつは入れるかは分からないと言った状況である。

最初に行ってみた病院は、昨年出来た病院で色々最新の設備が充実しているようで、トイレに入ったときにビックリした。大体、個室には1つ小便器や手洗いには2つに1つ割合で、呼び出しボタンが設置されていた。
ここでは、医院長自ら説明をしてくれたが、叔父が同席できなかったため、淡々とした話で15分程度で終わった。

2つ目の病院は、古い病院であるが叔父も同席したので、色々と病状や現在の状況などを聞き、看護師の説明も非常にうまく、和やかに話をしたりや説明などを聞き、1時間近く過ぎた。
この病院では、お酒もほどほどなら飲めると言っていたが、残念なことに叔父は咽頭癌で、喉から一切飲み食いができない。
従って、飲み込むことが出来ないので、精々ビールなら口に含んで炭酸や香りを楽しむだけで、吐き出すことで楽しむ位いしかできない。
とは言え、そんな話も出て心配していたことは、自分自身は無くなったようにも感じたが、本人はどう思っているか分からない。
昨日行った、病院では入院判定でOKの結果がいただけたが、結局、ベットの空き待ちになってしまうので、その点は時間の経過を待つしかない。

市立病院に戻り、昨日は、晴れた湿度の少ないこの時期としては非常に良い天候だったようで、12階の窓からは、東京タワーやスカイツリーも見えることがわかり、羽田空港の飛行機が移動し離着陸もよく見え、千葉県の山々もハッキリ見えた。

国民の大きなうねり(民主主義)を無視する民主党、虚党一致の政治に国民はNO

2012年07月17日 07時07分46秒 | 人、人生、命
原発を止めようという国民の声を、無視し続ける民主党。しかし、その声や活動は日増しに大きくなり、津波のような巨大なうねりとなってきている。

原発で国民が反原発を掲げたのは非常に正しいと思う。日本は国土面積が小さいが、原発は54基もあり世界第3位の原発推進国家となっている。

東日本大震災で露呈した、あまりにもお粗末すぎる脆弱な、電源喪失。地震発生当初は、国際原子力機関(IAEA)に、事故の影響度をレベル3(異常事態の重大な異常事象)としていたが、数日後には、事故影響度は、最悪のレベル7(事故の深刻な事故)となった。

この様な状況が、世界各国のニュース報道で伝えられると、原発から1000km以上離れていても、日本国自体が危険と見なされ、国内にいた外国人は国外脱出し、日本の製品は食べ物だけでなく、放射能を浴びた製品と解釈され、あらゆる製品が輸出できなくなる異常な事態に追い込まれた。
また、日本国内においても原発周辺だけでなく、ある程度離れた地域であっても放射能の影響を受け、農業や漁業、酪農など出荷することが一切出来なくなった。
この様な事で、生活出来ずに自殺をした人や地震以外の原発事故の心労で亡くなった方が多数おり、経済の停止や多くの犠牲者を出すこととなった。

日本は、世界で発生する地震の割合は10%を占め、そのうちマグニチュード6以上の大地震について言うと、割合は20.5%と逆に高くなっている。
気象庁でも、日本国内で大きな地震が発生しない場所はないとも言っている。
そんな危険で、かつ国土面積も世界の0.25%しかないことを考えると、原発に対して安全などと言うことは、まともな人ならば言えるはずがないことが分かる。

日本で唯一、廃炉になって作業を実施しているのは、東海村の旧動燃が管理していた原発だけだ。
福島第一原発は、廃炉にすると言っているが廃炉にする前に、廃炉が出来る状況になるまで、状況によっては、数年から数十年後に廃炉作業が開始できるようになる。
簡単に廃炉と言うことは言えるのだが、その道のりは非常に険しく困難を極め、処理費用は莫大で、長期間の作業が見込まれる。

当然、廃炉作業も電気料金からまかなう事となるので、決して原発が安いなどと言うことはなく、電力会社は、廃炉が多くなってきて、ようやく費用が高くつくことに気づく。
それは、廃炉作業の人件費や処理費だけでなく、病気や死亡と言ったこともリスクも当然高いため、決して安全でないのである。

実際、原発の廃炉への道は、非常に長く険しいものであることは、原発を2030年には全廃するドイツで既に実証されている。

廃炉には、原発の種類により35年から40年以上が必要とされ、世代をまたぐ単位で廃炉処理される。また、日本では廃炉処理が1箇所だけなのであまり内容も知られていない。
ドイツの例を見ると、15基が停止し廃炉処理を始めている。
期間や費用もさることながら、廃炉処理された使用済みや除洗後の放射性物質は、そのまま廃棄できないため、恒久(永久)な保管先が必要なる。
その保管先についても危険であるため、保管先の地域の住民は当然抵抗する。廃炉作業やその放射性廃棄物の保管先と言った完全完了には、国土面積が小さい国では、終わりが見えないのが実情だ。

その昔、日本はドイツを見習い技術習得してきた、日本は経済力がつくと都合の良いことばかりを優先し、否定的なことには無視し続けてきた。
経済力はあるが、やはり今の中国と同様で経済を優先する未熟さが残っている。日本が見習ってきたドイツに対して、今でも見習うべき事が多くあることを改めて感じた。

この様な状況であっても原発を推進し、国民の声を無視し続ける虚党一致の民主党に、次の選挙はない。

原発は、どのような形であれ未来の日本を考える上で、全廃すべきだと思う。



今の日本に見る正々堂々と嘘がつけ、嘘を事実としてつき続ける公の組織の狂った人たち

2012年07月08日 06時52分50秒 | 人、人生、命
民主党と言った公の政治集団が政府与党という形で日本の政権をにぎり、マニフェストの変更の説明や現状の国の危機の説明もなく、正々堂々と嘘を突き通して増税案を衆院議員で可決する非常識さ。
国民を欺きビックリしたが、もっとビックリしたのは大津市の中学生男子生徒の自殺ニュース報道だ。

大津市の男子中学生がいじめによる自殺をした事件のニュース報道を見て、驚くと言うよりあきれるほどの非常識さにビックリした。

大津市に住まわれている子を持つ住民の方々は、こんな非常識な連中が子供の教育に関わっているのかとガッカリしただけでなく、不安を感じ始めたのではないかと思います。

本来、教育の構成は、教室(先生-生徒)、学年主任や教務主任、主幹、教頭、副校長、校長等で長の順に構成されていて、多くの学校では、いじめのような件は、生徒の些細なことがきっかけで発生することがあり、日常当たり前のように起こりうることです。
でも、普通は常識のある教育者により対策が施され、大きな事件にはいたっていません。

事件のあった学校では、生徒の自殺を受けて、アンケートを実施したようですが、アンケート結果を確認したが、事実関係の調査をまじめに行っていない。
だから、事実が分からないから口外するなと生徒に指導する先生たち。
亡くなった生徒やご家族に対して、お悔やみするどころか、逆なでするような事実が次々とニュース報道により明らかになってきています。

結局、大津市の場合、学校も教育委員会もスルーしてしまい、全く機能していないと言うより、はじめから組織ぐるみで隠蔽する体質なんだと記者会見で感じました。
普通の人が、教育委員会の記者会見を見て話している内容を聞いて、正しいと思う人は一人もいないと思うことを堂々と言う、無神経な感覚の人たちです。
教育という特殊な環境にいる人たちは、自分たち(教育者という名の下)の保身のために、組織ぐるみで正しくないことを行います。
だから生徒たち対して、余計なことを口外するなとか、調査した事実を公表しない(面倒なことはしたくない)。
自分たちだけ守りに入るとんでもない人たちが教育?いや、狂育しているからこれが教育の常識?なのでしょう。

本来、学校を外部から監督、監視、管理の下、その地域の教育方針の伝達として教育委員会と言う組織があるはずです。
詳細については、以下のURLを参照してください。
http://www.kyoi-ren.gr.jp/works/index.html

また、自殺した生徒のご両親が警察に行って、何度被害届を出しても受理されない事実も公になりました。
これは、明らかに事件であってこの様な事を放置しておくと、また同様なことが公然と行われても、大丈夫だという認識をしてしまいます。
だから、こういう事は大きな事になる前に、事前に芽を摘んでおくことが再発防止につながる。
だけど、この様な事は昔から変わらないから、また繰り返され不幸な事が起こる。

自殺した生徒のご両親は、公の組織の壁に阻まれただけでなく、後から出てくる新事実を受け非常に無念でならないと、より感じられていると思うだけでなく、出てくる真実に対して最大の怒りも感じていることと思います。

子を持つ親として、一連のニュース報道については、公の人たちに対して怒りすら感じます。自分だったら、法に触れないあらゆる手段を使い、徹底的に闘い確実に公にします。

税金と自殺の2つの件は、全く関係がなさそうですが、政治も教育も全て、民でなく公であると言うこと、全て国民の税金でまかなっている人たち(政治、教育、警察)の組織の考え方や非常識さが顕著に露呈したと言えることです。

こんな狂った人達が公である限り、民が一向に良くなるはずがありません。だから、経済も何もかも良くならないのです。
全ての公の組織が悪いわけではありませんが、一度全てリセットしないと変わらないと思います。

だから、公に対して、民は声を大にして常に関わり、監視することが大切なのです。
今回のような件は、民間組織では絶対あり得ない。最近の民の会社では、法令遵守が当たり前であり、個人の行動にすら自覚して、行動するようにと言った社内教育が、3ヶ月や半年単位で行われています。

今の時代、色々伝達できる手法があります。この様な事があったら、色々な伝達手法やマスコミに連絡して調査してもらった方が良いのかもしれません。

政治家は所詮政治屋、新人議員に期待する

2012年07月06日 19時59分28秒 | 人、人生、命
メディアは一様に、小沢チルドレンは1回生議員で大変だという。
それは、マスコミやメディアと頭が良さそうで馬鹿な政治評論家があからさまに言っているだけで、自分は、新人議員や1回生議員が、小沢一郎についていったことは、非常に正しい行動だと思う。

分かりやすく言えば、次の選挙で当落線上と言うことも考えず、今を、一生懸命考え行動しているから、その点について非常に好感が持てる。
また、政治のイロハが分かっていない等言うマスコミやメディアが多いが、それは、ある意味非常に良いことで、分からないから一生懸命頑張っていることであり、正しい行動と感じる。
なので、ベテラン議員の腐った政治より、新鮮でまじめな新人議員や1回生議員をしっかり応援したいと考えている。

政治家は政治家でなく政治屋だと最近つくづく思っている、それは、自営業の商店主と何ら変わらない。
志と意志をしっかり持っているわけでなく、自分の政治商店がつぶれないよう(落選しないよう)に、試行錯誤で対応している。
こんな政治をしている連中に、地方や国政を預けるなんてとんでも無い話だ。それが、新人ならいざ知らず、当選4回、5回のベテランだから始末が悪い。

マスコミやメディアは、こぞって小沢チルドレンは1回生の当選組で大変だと言っているが、それは、マスコミが政治のイロハが分からないので、世間一般からしたら素人に近い政治家と言うことだと思うが、ベテラン政治家の腐った政治より、新人でまじめに取り組み政治素人の方が、よっぽど将来性がある。
だから、小沢一郎に賛同した、1回生政治家はある意味ピュアで、正しいと言える。

今回、こんな滅茶苦茶な政治をごり押しした政治の主導者は、4回、5回当選以上の政治を熟知したものばかりで、霞ヶ関を知ってどうにもならないと勝手にあきらめている政治家ばかりで腐っている。

霞ヶ関がどうにもならないなら、霞ヶ関を画するために国家公務委員の採用のイロハをあの手この手で、法律上変えてしまえばいいのだが、それが出来ないのは選挙票に深く関わっているからで、今こそ、国民一人一人が、一票を正しく入れて変えていかなければいけないが、既得権益や利権に関わる輩の組織票は恐ろしく強固な票である。
だから、以下こそ打倒、既得権益や利権、打倒霞ヶ関で、本当に国家を変えていかなければいけないと思う。

選挙では、現政治を否定するベテラン議員とそれについてく、ピュアで無垢な新人議員を国民は応援して、国政を変えていこう。
霞ヶ関は、昭和50年代を最後に、それ以降、癌化した日本国にとって直ることがない癌の何者でもない。

無垢で何も分からない、まじめな新人議員や1回生議員にこそ、実は明日の日本の未来が託せると考える。


手術後の経過や状況確認と思っていたが、突然の余命宣告

2012年06月28日 06時17分18秒 | 人、人生、命
1週間前、私の叔父(母親の弟)が気道が狭くなり病院へ行った。すると、緊急で手術が必要と言うことで、気道が狭くなった喉を切開て入院。
すぐに病院に駆けつけ見ると、手術は終わっていて既に病室にいた。術後は特に痛みもなく、経過は良いと言うことで安堵した。

母親が、今回の手術に関する話を聞きたいと言うことだが、分からないことがよくあるので一緒に聞いてほしいと言うことで、昨日、病院に行ってきた。

担当医の話を聞く前に、手術後から1週間経過した叔父の病室に行った。叔父は、喉を切開しているのでしゃべることが出来ない。従って、ボードに言葉を書き、今の体の調子や状況、困っていることなど確認して見た。
食べることができないため、点滴や切開した喉から栄養を取るようなのだが、痰が関係して出てきてしまう状況のようで、それを気にしていた。
それ以外は、特に困った様子もなく体調も良いように思えた。
家の叔父であるが、何年か前に咽頭癌を患っており、その手術をした関係で声もあまりでなくなり、食道や呼吸器官も狭くなってしまた。
定期的に病院に行っていたので、癌についてはどう言う状況か分からなかった。

母親によると、執刀した先生は担当医でなく女医さんだったと言うことだった。その女医さんからは、手術の話を聞いていたようで、その時には、癌の話は一切話はなかったらしい。
担当医の先生が多忙のため1時間近く遅れて話を聞くことになった。

自分自身、手術後の話だと思っていたので、先生から話が始められとき、今回手術した原因として、以前発症した咽頭癌が進行していることが原因と言うことだった。
で、この癌は手術や放射線治療など、高度医療による治療を施しても直らないと言われ、余命は3ヶ月から半年と告げられた。

テレビドラマで見ているような雰囲気で伝えることなく、淡々とあっさり伝えられビックリしたのと、その瞬間、色々な事が頭の中を巡らした。
その後も話は続けられ、30分以上にわたり今後について話をしてくれた。
今後について、栄養の取り方を鼻から栄養を取るか、開腹して胃から栄養を取るか選択すると言った話が説明され、胃ろうとやばれる栄養の取り方は分かっていたので、その選択を叔父に勧めようと思った。
また、叔父のことだから胃ろうにしたら、声を出すことが出来るようになるか聞いてみたが、話すことができるようになると言うことは分からないと告げられた。
話も終わり、先生から栄養の取り方の説明を本人に話すと言うことなので、その結果を聞いた。

先生からは胃ろうで栄養を取ると言うことになり、再び病室に入り叔父に説明した。実は、家の嫁のお父さんが、現在入院していて胃ろうで栄養を取っている。
その方が、回復が良いという話をした。その時、叔父から胃ろうにしたら、また、声が出せしゃべれるかと質問された。
予想していたとおりその話が出たので、胃ろうで栄養を取っても声が出るようになるか分からないと説明した。
一応、叔父は理解したようだった。帰り際に、病院はつまらないから必要なものや楽しめるものがほしければ言ってくれと伝えたが、何もいらないと言うことで帰った。

次回、本人には病状も含め説明しなくてはいけないと思っており、余命宣告され時間を無駄に出来ないが、うまく説明できずに落ち込んでしまい、死期を早めてしまうようなことは避けなければと考えている。
ただ、事実通りには伝えられないので、オブラートに包んだ形で、一度にぜんぶを話さず徐々に全てを話すことで考えている。