ボクの幼稚園では、お昼は弁当でもパンと牛乳を頼んでもどちらでも良かった。
ボクの家は両親が共働きだったので、ボクはもっぱらパンと牛乳だった。
いつも朝に45円持たされて、それで幼稚園に付いたらお昼の注文をしておくのである。
ボクの記憶ではパンが25円で牛乳が20円だったはずだが、いっぺんに頼むので忘れてしまっているが合わせて45円だったのは覚えている。
牛乳は明治のもので、コーヒー牛乳、フルーツ牛 . . . 本文を読む
子供達の中にもヒーローは存在する。
ボクの通った、『こひつじ幼稚園』の園庭には砂場とジャングルジムしか無かった。
だからと言って、ジャングルジムにみんなが集まっていたかと言えばそうでもなかった。
あそこは、『勇者』の集まる場所だったので、余りみんな近づく事はなかった。
何故かと言うと、ジャングルジムで遊び始めると段々と高いところまで登って行かなくてはならない。
一番上に行くと、そこで腕を組んで立た . . . 本文を読む
ボクの生まれ育ったところは、福島県は会津の山間の小さな町。
冬は雪の中の町になる、『雪国』だ。
半世紀たって温暖化も進み、今は積雪量も昔の半分くらいになったが当時の道路脇は3mほどにもなったものだ。
それこそ、『かまくら』なんかは、軒下に積もった山の様なところに穴を掘ったら直ぐに、『かまくら』だったが、家の人はかったるがって誰もその、『かまくら』を作ってくれはしなかった。
入りたくて仕方のなかった . . . 本文を読む
絵本の中のクリスマスに吸い込まれていた幼少の頃のボク。
ボクはお母さんに尋ねる。
「もみの木はいつ飾るの?」
お母さんが答える。
「もみの木は日本にはないし、あの木は大きいからこの家の中には入らないのよ」
ボクは思う。
『面倒くさがっているだけじゃないのかな?』
ボクはお母さんに尋ねる。
「じゃあサンタさんはいつ来るの?」
お母さんが答える。
「ウチには煙突がないから来ないかも知れないわ」
ボクは . . . 本文を読む
本当に大人は子供をなめている…と言うか、トイレに入ったとたんに指を鼻に突っ込み鼻糞をほじり出すレディーのように、わからなければ何でも良いという子供への扱いには困ってしまう。
覚えているよ、3才のボクは?
近所のおばちゃんが家に遊びに来ると、ボクをベタ可愛がりだ。
…なのに、ボクが庭で遊んでいて、そのおばちゃんが通りかかったので擦り寄って行くと、今度は怪訝そうな顔してボクを振り払う様にして行ってしま . . . 本文を読む
「まぁ~子供だと思ってバカにするのもいい加減にしろよ!」とは子供の頃に全大人に言いたかったね。
控えめでイエスマンなボクには言えなかったけど。
夏休みになると東京から母の姉の家族がやって来る。
母の姉の夫、いわゆる叔父さんも先生をしていたので夏休みは一緒に来ていた。
家が急に賑やかになり、とても嬉しかった。
母の姉夫婦には二人の女の子がいた。
ボクよりも確か4才と2才上で、上が千寿子ちゃんで下が美 . . . 本文を読む
ボクは3年保育だったので、年少組の雪組から幼稚園に通っていた。
3年保育は極端に人数が少なく12名。
先生は綾子先生と言う名前で、とても太っていてそして目が離れていてカエルみたいな顔をしていた。
ボクがこの世に生を受けてから、2番目に面白い顔と思ったのがこの綾子先生だ。
一番目はこの年の前年に生まれた弟だ。
生まれたばかりの弟を見た時は、これは生き物かと思ったのを覚えている。
綾子先生の顔は、生ま . . . 本文を読む
幼稚園には、それこそ後になってすべり台が出来たが、それまではジャングルジムと砂場しかなかった。
だから砂場での砂遊びは本当に良くやった。
今でこそ砂遊びの道具はたくさんあるが、半世紀前は手だけだったので儀式的(?)なところがあった。
まず一番ポピュラーな遊びはトンネル掘り。
誰かが誰かに、「トンネル掘りをやろう」と言うとそこでまずペアが出来る。
一緒になって山を作り、それが出来ると向き合い片方から . . . 本文を読む
幼稚園には、何故か補助車付きの自転車が一台置いてあった。
『何故か』と言う使い方だが、当時の生活が豊かでなかった時代に子供用の自転車は高級品だったから、決して設備そのものが充分でない幼稚園にしては頑張ったのだろう。
自転車と言えば大袈裟かも知れないがもう一昔になると、子供は大人用の自転車を三角乗りで覚えたのだから器用と言うのか、器用にさせられざるを得なかったと言うのか自転車に乗る事は大きな挑戦だっ . . . 本文を読む
広告を非表示にしてあったはずなのに、暫くブログから離れていたらいつの間にか出て来よった。『広告を非表示にするには?』とあるのでクリックしたら、月額500円取られてしまう。アホくさ。gooさん、アメブロに押されて遂にヤキがまわったか? . . . 本文を読む