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VOXで吉野三山~銀峯山、櫃ヶ岳に行きました。1/2

2023年10月30日 20時50分52秒 | ドライブ

10月27日 金曜日 晴
吉野三山の残り、銀峯山、櫃ヶ岳に行きました。
山ですのでVOXで行きました。
7:40発~k13~k55~k138・五條市、柿博物館~k138~銀峯山、西吉野町夜中(よなか)、農道~138~櫃ヶ岳、貝原、林道~k138~R309~紀の川南川沿い県道~15:30帰宅。
走行:173㎞。
R168丹原町南交差点からk138との交差 右折。

見返し

k138 柿のpふる里 五條市西吉野町

一の木ダム 多目的かんがいダム 平成9年(1997年)完成。20年以上前一度来ました。

案内板

ダム事務所と堰堤

ダムの堰堤

一の木ダム建設工事銘板 個人の名前があります。串本町の手抜き工事の浅川組の従事者は一の木ダムの水を飲んで下さい。京奈和道も手抜きで完成が遅れました。

堰堤上の道路 広場があってちょっとした休憩場所。

銘板

堰堤を渡った所から きれいに整備されています。

イノシシの罠。

柿博物館 果樹・薬草研究センター

駐車場 50台くらい駐車できます。

柿の簡単な説明

刀根早生の木 育成者:刀根良民氏。
天理萱生町刀根淑民氏により発見され、昭和五十五年に品種登録されました。この柿は、「富有」、「平核無」とともに日本の柿の三大品種。

平核無(ひらたねなし)平:形が平たくて四角い箱形、核:種が無=ない。 種子がないので食べやすく、肉質も柔らかい。
柿博物館 柿の形をしています。

入口 無料 月曜日定休

展示全景 右端が受付・柿の販売 5個100円(税込み)

各種柿の展示。



柿渋染め



柿の葉寿司、柿のは茶等。

安いので2パック買いました。小学生が社会見学。

ダム沿いの道

銀峯山(ぎんぽうざん)に向かいます。

柿畑の中を走ります。

フルーツロードに出ました。左折。

柿直販所が所々にあります。

買い畑



銀峯山の頂上に波宝神社があります。

見晴らし

山らしくなってきました。



到着。吉野村の案内板。2005年9月25日に五條市と合併。18年前の看板。

郵便屋さんが配達をしています。

次の櫃ヶ岳にはk138から行きます。

イオン五條店が見えます。

快晴の青空にVOX。

VOXで登ります。

見返し。急な坂です。

境内



見返し

快晴の青空

境内の案内板

手水舎と本殿

手水 文政十一年 (195年前)

波宝神社の説明板 上段:五條市教育委員会。下段:西吉野村教育委員会 内容は同じです。

奈良県指定有形文化財(建造物)
波宝神社本殿 二棟 附 棟札三枚
五條市西吉野町夜中(よなか=地区名)
吉野三山の一つ、銀峯山(白銀岳、標高六一四m)は、古くから神南備山として信仰されてきました。
この山頂に鎮座する当社の最古の記録、『日本文徳天皇実録」の天安二年(八五八)三月に官社となった記事です。
また、平安時代前期の『延喜式神名帳の中の大和国吉野郡十社の一つ「波宝神社 鍬」に比定されています。
祭神は、住吉大神と神功皇后とされています。
当社は「古田大明神」「若桜宮」とも称され、山麓の古田郷の村々(旧白銀村内、現五條市西吉野町の北部地域)の氏神として崇拝されてきました。また、役行者が 当山で秘法を行った伝承から「神蔵大明神」とも称され、古来、大修験の先達が入峰修行した先例がありました。
幕末には有栖川宮の祈願所ともされ、文久三年(一八六三)には、天誅組の本陣が当社に置かれました。
境内には明治初年まで、銀峯山神宮寺が存在していました。
南面する現在の本殿は、江戸時代の寛文十二年(一六七二)の建立で一間社春日造、檜皮葺、礎石建の社殿を二棟連ねた連棟社殿です。それぞれの社殿の屋根は独立していますが、身舎前面を障壁で繋ぎ、一続きの建物のように見せています。
柱頭・長押・頭買・組物などは極彩色で装飾され、障壁・壁面には、鶴・松波濤などの華麗な壁画が描かれています。
当本殿は、春日造の連棟社殿形式の中でも、縁廻りなどに強い 一体感を持ち、同形式の展開を示す遺構として資料的価値が高く、県内 における十七世紀の特異な形式の神社本殿として重要と評価されています。
五條市教育委員会
神南備(かんなびやま):「神が宿る山」という意味で、いずれも山頂に神社があり、吉野地域が古来より山岳信仰の地であったことを今に伝えている 「栃原岳、銀峯山、櫃ヶ岳」は、「金岳、銀岳、銅岳」とも呼ばれる。
https://www.city.gojo.lg.jp/soshiki/kankoshinko/8/1/1467.html
ひだり:御霊社。正面:割拝殿

割拝殿手前左側:旧神宮寺本殿

割拝殿



見返し

割拝殿内部 鈴綱が2か所。

右側 14地区の紙垂があります。毎年9月の第2日曜日に行われる「岳祭り(だけまつり)」9月10日に祭礼が行われた。コロナで一時中断。

説明の木札。

右木札
右の御社殿には住吉大明神(底筒男命、中筒男命、上筒男命)を祈り申し上げて居ります
住吉の大神様は伊弉諾尊 筑紫の日向の橘の小戸の檍原に祓除せられ時に右横の次第格別の御神穏は航???の守護の神様であります
底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと):航海の神、 住吉三神、住吉系神社
左の木札
御本殿の建物は人皇第百十代元天皇の寛文十二年(徳川五代将軍綱吉公の時代)昭和六十年から逆算して三百十二年前に改造完成したもので その後桧皮屋根葺替工事は慶応二年及大正二年八月と最近では昭和三十六年八月に大修理と共に完成したものであります
左側 鈴綱が2か所

説明板
左の御社殿には人皇第十四代仲哀天皇様の皇后息長帯日売命(神功皇后)を御祀り上げております
皇后は新羅御遠征に当って住吉大神の御加護を得て大いに? 成 を輝かせられ神凱旋の後大神の御神託に依って此の地に御祭になりまし た
神功皇后の御功績の有りましたのは十五代應神天皇時代で今から約千七百余年前になります
本殿から割拝殿

割拝殿横の紙垂の棒。



本殿 右:住吉大神、左:神功皇后。れぞれの社殿の屋根は独立しています。

二棟連ねた連棟社殿です。身舎(家屋の主体前面を障壁で繋ぎ、一続きの建物のように見せています。

本殿から

水神社、厳島神社など。

本殿右側

本殿左側。後ろは頂上です。道らしいのがなかったので行きませんでした。

手前に駐車場があります。

後日続き。

終わり