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知られざる日本の恐竜文化

2007-11-15 22:54:42 | BOOKS
金子隆一 「知られざる日本の恐竜文化」 祥伝社新書 2007.08.05. 

恐竜展は世界各国の貴重な標本に触れることのできる、きわめて数少ないチャンスの一つであるが、日本を代表する大新聞社やテレビ局が主催し、日本や海外の有名博物館が全面協力し、著名なその道の研究者が監修者として名を連ねる大きな恐竜展で、ここ数年で科学的にまったく問題ないと思われるものは一つもなかった。 世界最大の恐竜大国といえばアメリカで、恐竜ファンの層の厚さとレベルでも日本をしのぐ。だが、地方まで含めた完全な平均値をとれば、日本のほうが国民全体の恐竜に対する認知度は高いのではあるまいか。 しかし、日本の社会が、本当に恐竜というものを受け入れたかというとけっしてそうではない。恐竜の学術的定義は、第1が「直立歩行」。第2が「貫通した寛骨臼」。第3が、「直線状の足首の関節」。これら3つの条件が満たされた時、その動物ははじめて恐竜と呼ばれる。 そして、「直立歩行」というのが恐竜の第一条件である以上、恐竜は陸上動物に限られる。恐竜と同じ時代に海に生息していたひれ状の四肢を持つ爬虫類、クビナガ竜や魚竜は恐竜ではない。前足が翼に変化して空を飛ぶ爬虫類、翼竜も、直立歩行はしないから恐竜ではない。恐竜とは何かというもっとも基本的な情報さえ、ほとんどの人に届いていない。恐竜展が終わればマスコミ各社も恐竜情報の供給をぴたりと打ち切り、その情報自体を完全に忘れ去る。いつまで経っても恐竜に関する基礎知識はどこにも根づかない。 長らく、恐竜の研究と言えば、記載と分類、骨格の復元、それに、出来上がった骨格を元にした生態の推測くらいだった。しかし、1960年代末、恐竜ルネッサンスに火がつき、恐竜温血説に基づく恐竜のイメージの全面的な見直しが始まると、斬新な発想に基づき、科学の他のジャンルで開発された技術やメソッドの導入を積極的に押し進めはじめた。その結果、恐竜学は今や、科学の広大な領域にまたがる総合科学となっている。 恐竜の系統発生の研究においては、分子系統学的アプローチもさかんに行なわれ、恐竜のDNAを化石から回収できる可能性が、なお真剣に検討されている。 日本は風変わりな国で、世界中を見渡しても、これだけ恐竜文化が活況を呈する国は米国を除いて他にないにもかかわらず、日本国内でこれまでに発見されたすべての恐竜化石を合計しても四畳半の部屋一つ埋めることはできない。年間に学術雑誌に発表される、日本の恐竜についての論文は片手の指に満たない。ドーナツ化どころではない完全な空中楼閣、イメージだけで構築された虚構の大系が、日本の恐竜文化の本質だ。 しかし、長い歴史と伝統を誇るアメリカのそれをもはるかにしのぐ、きわめて高いクオリティの「恐竜フィギュア」、恐竜ものの「食玩」や、まさにオタクの鑑とも呼ぶべき筋金入りの人材が生まれている。 日本には恐竜化石は稀にしか産出せず、それを手に研究ができる人も数人しかいない。社会は本当のところ恐竜学を心から必要としておらず、ましてやそれがビジネスに繋がる可能性も永久にない。だが、にもかかわらず、日本には優れたオタク魂の持ち主を生み出す豊かな先進的土壌のみはたっぷりあり、毎年のように優秀な若手研究者を世界の学界に送り出している。ならば日本は精神的恐竜大国として、世界の恐竜論壇に君臨するような立場を目指すべきだ。

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