Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

山野浩一傑作選『鳥はいまどこを飛ぶか』

2012年02月18日 | SF・FT
昨年のことになりますが、日本における前衛的・実験的(いわゆるニューウェーブ)SFの旗手として名高い
山野浩一氏の作品集が、創元SF文庫から2冊同時に刊行されました。

SF界の大物として名前の挙がる人は数あれど、小説に評論に雑誌編集、そして我が国における
ニューウェーブの伝道者・実践者しての役回りと、多方面での活躍ぶりで山野浩一氏に並ぶ人は
決して多くないでしょう。

しかし氏の作品が盛んに発表されたのは1970年代ごろで、今からおよそ40年も前のこと。
その山野作品を21世紀に復刻することは、氏の作品の再評価に留まらず、日本SFの歴史を
後世に伝えるという意味においても、意義のある企画だと思います。

私も山野氏の小説は読んだことがなくて、「サンリオSF文庫でいろいろ話題になった人」の印象が
強かったのですが、今回の傑作集でようやく「作家・山野浩一」の仕事に触れることができました。

マグリットを思わせる塩田雅紀さんの装画も、収録作のシュールな味わいを見事に捉えています。

さて、今回は傑作選1の『鳥はいまどこを飛ぶか』についての読後感をまとめてみました。

「鳥はいまどこを飛ぶか」
冒頭と結末を除いて各章の順番を入れ替えて読んでもいいという試みは、前衛小説というよりは
映画のカットアップを思わせます。
物語を読む上で大きな影響がある仕掛けではありませんが、むしろ読者が小説の中を渡り鳥のように
飛び渡ってほしい、という狙いなのでしょう。
最も印象に残るのは次元を越えて飛ぶ渡り鳥が空間をパレットナイフのように切り裂くイメージで、
このように視覚的イメージを鮮烈に描き出す文章が、山野作品の大きな魅力であると思います。
また、ホシヅルも登場する冗談交じりの架空の鳥とその命名には、作者の遊び心と言語への強い興味が
はっきり表れている感じです。

「消えた街」
団地の消失がサラリーマンの潜在的な失踪願望と結びつく、ある意味で力技的な作品。
作者自身があとがきで「アイデアだけの平凡な小説」としているのもそのためでしょう。
しかし、むしろ消失した団地の住民が外の世界に対して自治権を行使し、その狭い世界の中で
小さな自己満足を得ていくという展開は、戦後の日本人の精神性を縮図化したようにも見えて
なかなかおもしろかったです。
この方向をもっと突き詰めれば筒井康隆風になったのだろうけど、そっちに話が向かないのは
物語で現実と対峙することについて、山野氏があまり興味を持たなかったためかもしれません。

「赤い貨物列車」
電車という閉鎖空間は奇談にもってこいの舞台で、本作もその系譜を汲む一編。
車中の多数派を占める謎の集団が主導権を握り、平凡な主人公が少数派であることを悟られまいと
必死に立ち回る姿は、属すべき立場を見失って彷徨う他の作品の主人公たちと重なるものがあります。
作中でほのめかされる電車事故の陰謀論には時代の匂いが色濃く感じられますが、やっぱりこのネタも
ほとんど活かされずに終わるのが残念です。

「X電車で行こう」
作者のSFデビュー作にして、作中で最も魅力的な作品。
なんといっても「全ての路線を経路が重なることなく走る列車があるとすれば、どこまで行けるか」という
単純なゲーム性が、わかりやすくていいですね。
好きなように鉄道を引けるといえば、アートディンクにそのものずばり「A列車で行こう」という題名の
シミュレーションゲームがありますが、「X電車で行こう」はそれを小説としてやってのけているのが
実に楽しいし、その点でも時代を先取りしていたのかな、とも思います。

そういえば山野浩一氏は競馬の血統評論家としても有名ですが、競走馬の血統データを最大限に生かした
「ダービースタリオン」という大ヒットゲームもあったことを考えると、山野氏がこの業界に進んでいれば
いろんなシミュレーションゲームで大ヒットを連発した・・・という可能性もありそうです。

さて、序盤では無邪気な鉄道ゲームの主役であり、ダイヤという社会ルールに縛られない自由の象徴だった
X電車が、やがて暴走し他の車両を焼き払い、乗客を虐殺するようになる姿は、当時の社会運動が先鋭化し
やがて暴力へと傾斜していく過程と、よく似ているように思います。
最後にX電車から取り残された思いを抱く主人公は、そんな時代の流れに取り残された多くの若者の思いを
代弁しているのかもしれません。

「マインド・ウインド」
主人公の抱く日常への漠然とした不安感と、人を彷徨へといざなう心の風「マインド・ウインド」の噂。
はたして両者には関係があるのか?あるいは心の風など存在しないのか?
これについて作中では明快にされず、物語の力点はむしろ周囲に流されがちな主人公の揺れ動く立場と
その心のあり方をいかに描くか、ということに置かれています。
しかし、これがSFとしても普通小説としても中途半端な感じで、なんとも歯切れが悪い。
筒井康隆氏から「このような中間小説じみたものを書くべきではない」と批判されたそうですが、納得。

「城」
オチがどうこうより、子どもの残酷さと愚かさを詩情あふれる描写できれいにまとめた感性を評価したい。
そして主人公の少年が本当に生を実感できたのは、列車に乗っている短い時間だけだったのかも・・・。

「カルブ爆撃隊」
作者あとがきでは自信ありげなコメントがついていますが、作中に出てくる収容所やエントロピーや
爆撃機などのアイテムを見ると、既存のニューウェーブSFとのダブリを強く感じてしまいます。
そのため、他の収録作に比べると、むしろオリジナリティが薄いようにも見えるのですが・・・。
不条理小説はいまやそこかしこで見かけることも、その衝撃度を発表当時よりも弱めた一因かも。

本作の狙いはベトナム戦争と太平洋戦争との二重イメージ化にあったと思いますが、そこまで読ませるには
もっと押しが強い話でもよかった気がする・・・まあ、あえてそうしなかったのかもしれませんけどね。
あと主人公たちが収容所で戦争映画の悲惨な場面を延々と見せられる場面は、まんまルドヴィコ療法ですな。

ちなみに「犬」と「爆撃機」には押井守作品との類似も見られますが、押井さんが「爆弾」という象徴で
60~70年代の社会運動における熱気を表すのに比べ、本作における無国籍的な描写はむしろ作品から
熱気を奪いさるようで、どこかひんやりした手触りを感じさせます。

「首狩り」
むしろこっちこそオチが予想できる作品ですが、負け組の主人公が抱える劣等感が悲しいほどにリアルで
読み進めるほどに身につまされてしまいます。
不条理が日常に入り込んできた後の状況を生々しく描けるところは、山野氏のシミュレーション能力が
いかに優れているかを表すものではないでしょうか。
ちなみに首狩り組織首謀者のK・Yは、言うまでもなく作者である山野浩一のイニシャルです。

「虹の彼女」
この作品で最も注目すべきは、主人公が「自分が求めているのは“脱出しなければならない(日常)世界”で、
脱出した先にある世界に行こうと望んでいるわけではない」と自虐的に語る部分でしょう。
これはおよそ全ての収録作品に当てはまる評価で、山野作品のテーマを的確に表現したものだと思います。

ただし、これを主人公のセリフとしてはっきり言わせてしまったことで、この物語自体もまた
行き先を失ってしまったのは、やはり否定できないところ。
この思いをあえて言葉にせず、様々な視覚イメージに置き換えてビビッドに表現することが、
山野作品の持つ映像的な美しさの源泉だと思うし、それを言葉で明かすのは手品師が進んで
タネを割るのと同じことです。
そして禁断の言葉を口走った主人公は、読者と共に虹の彼方の別世界を垣間見るしかありません。
また彼が見る別世界の美しいイメージも、ローリングストーンズやビートルズの影が露骨に見えるせいで
やや緊張感に欠けるのが惜しまれます。

ちょっと話がそれますが、私の世代が「シーズ・ア・レインボー」を聞いて真っ先に思い浮かべるのは、
たぶんiMacのCMでしょうね。
作中でこの曲名が出たとき、真っ先に思い浮んだのはミックならぬMacの姿でした。

「霧の中の人々」
山登りのリアルな光景は作者の真骨頂で、その生々しい描写は夭折の画家・犬塚勉の絵を思わせます。
そして上りと下りが入れ替わることで世界の風景まで入れ替わってしまうあたりには、エッシャーの
騙し絵を思い出すなど、これもまた絵画的イメージにあふれた作品。
ラストのアクロバット的なオチは予想の範囲内ですが、それまでに積み重ねた山や都市のリアルな描写が
不在者という抽象概念のバックグラウンドに置かれることによって、結末に不思議な重みを与えています。

そして全ての収録作に共通して感じられるのは「何者でもなくなる」ことへの憧れでしょうか。
旅や登山は、帰属する集団からはなれて一時だけ「何者でもなくなる」ための手段であり、その離脱感は
帰属意識や同調圧力が強いとされる日本を舞台にすることで、より強いコントラストを際立たせます。

さらに言えば、一時だけ「何者でもなくなる」という体験は、まさに物語を書く事であり、さらには
それを読むという行為そのものでもあります。
作者と読者が物語というひとつの世界を巡って、自分だけの旅を続けていく・・・これはまさしく、
「虹の彼女」の主人公が垣間見た光景ではないかと思います。

山野氏といえば「和製ニューウェーブの旗手」という先入観が強かったけど、実際に読んでみると
「わからない」という感じよりも「意外なほどわかりやすい」ことに驚きました。
むしろ日本を舞台にし、普通の暮らしと普通の心象風景が生き生きと描かれていることによって、
SFが日常を切り裂き、あるいは日常そのものがSFと化す光景が、よりリアルに感じられる。
こうした作品は、やはり日本のSF作家でなければ書き得なかったものでしょう。

そして山野氏がこれらの小説を書いた当時と比べて、日本人の心象風景はあまり変わっていないように見える。
本書を読んで一番奇妙に思えたのは、むしろこの点だったかもしれません。
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2 コメント

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Unknown (さあのうず)
2012-02-19 00:02:10
おお読まれたのですね。示唆に富んだ詳細なレビュー面白いです。自分のぼんやりとした感想と比較していろいろ考えています(笑)
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コメントありがとうございます (青の零号)
2012-02-19 01:54:20
さあのうずさん、コメント感謝です!
そちらの素早い感想を参考に少しずつ読み進めて
ようやくレビューまでこぎつけました。

次はいよいよ「殺人者の空」に取り掛かりますが
レビューまではまた時間がかかりそうです(^^;
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