Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

SFマガジン2014年12月号「R・A・ラファティ生誕100年記念特集」

2014年11月07日 | SF・FT


2014年は孤高の奇想作家R・A・ラファティの生誕百周年にあたる、記念すべき年。
なので2013年のうちからネットでお付き合いのあるすっごくディープなラファティ関連の人たちに向けて
「なんかすっごいこと企んでるんでしょー?ね?ね?」と無責任なアオリを繰り返してきましたが、
心の奥では「2012年の暮れから2013年の前半にかけて3冊も本が出ちゃったから、さすがに弾切れかな…。」
などと思ってました。

そしてSFセミナーでも京都SFフェスティバルでもラファティ企画は組まれず、このまま今年も暮れるのかと
半ばあきらめの境地でいたところに、SFマガジンでまさかの特集号が出るというサプライズイベント!
2014年を冠する最後のSFマガジンの、しかも生誕百周年を迎える直前の号にこの特集を実現させるとは・・・。
しかもこの号、ラファティ生誕百周年記念日である11月7日の時点では世界で唯一の記念誌となります。

そして執筆者はと見れば、現在のSF業界を担う立役者から知る人ぞ知る達人まで、いずれ劣らぬ強者ぞろい。
我が国におけるラファティアンの層の厚さと、監修を勤めた牧眞司氏の人脈の広さがよくわかります。

ラインナップは邦訳短編が3本、本人のエッセイが1本、インタビューが1本、そして我が国における
ラファティ紹介の草分けである浅倉久志氏が海外の雑誌に寄せた英文エッセイの訳しおろし。
さらには邦訳全長編の個別レビューに未訳全長編と邦訳全短編の総まくりガイド、未訳短編20選紹介に
世界のラファティアン総括、評論が4本、さらに若島正氏の連載も特別にラファティを取り上げるという
まさにいたれりつくせりの充実ぶり。実に誌面の1/3がラファティで埋まってます、すごいすごい。

それでは、感想にいってみましょーか。

まずは邦訳もある「アウストロと何でも知ってる男たち」シリーズより「聖ポリアンダー祭前夜」。
猿人少年アウストロと彼が仕える(?)天才奇人グループをめぐるドタバタ劇が、文字どおりの
ドタバタ芸術と化しててっぺんまで舞い上がり、やがて地の底までおっこちるというお話です。
もう巻頭から強烈な先制パンチを食らった感じで、この特集の本気度がビンビン伝わってきました。
怪しい人物のもっともらしいウンチクと暴力にあふれた祝祭描写はラファティならではの楽しさなので、
まずはその過剰なまでの破壊力を堪能してもらうのが一番でしょう。
一方、テクノロジーによる現実拡張やテレイグジステンスによって生じる意識の変容に目を向ければ、
サイバーパンク以後のSFとして読んでも十分通用する作品だとも思います。
(柳下毅一郎氏の訳文も、実はそのあたりを意識してるんじゃないかなーと思いました。)
つまり「十分に発達したSFは、ラファティと見分けがつかない」ということなのですねー!

山形浩生氏の評論に“ラファティは異様な女嫌い”と書かれてましたが、自分の受けた感じでは、
むしろ女性が大好きなんだけど、その反面ですごく苦手にしてたんじゃないかなーと。
ラファティの目には女性(特に若くてキレイな女性)はことごとく魔女かポルターガイストに見えて、
しかもそれを鎮める方法がわからなかったんじゃないですかね。
異性に興味津々だけどその扱い方がわからない姿には、思春期の少年のような初々しささえ感じます。

山形氏が訳した「その曲しか吹けない-あるいは、えーと欠けてる要素っていったい全体何だったわけ?」は、
まさにそんな思春期の少年が主人公なので、読み方によってはこの年頃の少年が抱えるもどかしさとか
やるせなさについて、SF仕立てで語りなおした作品にも思えてきます。
とはいえ、世界の謎について繰り返しほのめかしながら話を進めていき、最後にドカンとオチをつけて
種明かしをするところは、かの名短編集『九百人のお祖母さん』の収録作に通じるところがありますし、
読み終えた後に首尾一貫した論理性を感じるあたり、3作中で一番SFらしいとも思います。
ラファティになじみがなくて比較的ストレートなタイプのSFを好む人には、まずこれから読み始めるのを
お勧めしたいですね。

短編のトリを勤めるのはラファティ界隈には知らぬ者なき超人のひとり、その名も“らっぱ亭”こと
松崎健司氏が手がけた「カブリート」。
仔山羊の丸焼きと幽霊にまつわる奇譚ですが、安酒場でうさんくさい少女と老女からホラ話を聞かされ、
最後にはなんだかよくわからないけどヒドイ目にあうという展開は、実にラファティらしいと思います。
南米やアフリカの文学等で魔術的リアリズムの手法になじんでいる人なら、これが一番楽しめるかも。
逆にSFらしさからは一番距離がある作品なので、その手の話が好きな人にはかなりの難物かもしれない。

余談ですが、らっぱ亭さんはラファティだけでなくアヴラム・デイヴィッドスンやキット・リード、
マーガレット・セント・クレアにリサ・タトルにキャロル・エムシュウィラー等の“こじらせ度高め”な
奇譚系を大の得意にしてますので、まだご存じない方はtwitterで追いかけてみてください!

ラファティによるエッセイ「SFのかたち」は、作者自身がSFと小説の作法を語ったものですが、
語り口を小説風に改めればそのまま“SF小説について語るSF小説”にもなりそうですね。
ラファティの小説観もおもしろいのですが、一番興味をひかれたのは旧約聖書に出てくるカインについて
「キリストもアンチヒーローだとわかったとき、カインはある程度の復讐を果たしました。」と書いた部分。
ラファティはイエスをそう見ていたのか…やっぱり彼のカトリック信仰は、普通の信者とは違ってるのかも。

浅倉久志氏の「ラファティ・ラブ」は、ラファティ作品との出会いから、やがて翻訳者としてラファティ
(の作品)と相思相愛になるまでの道のりを簡潔にまとめたエッセイです。
短い文章の中に浅倉さんの人柄とラファティ愛を感じると共に、浅倉さんらしい語り口を見事に再現した
古沢嘉通氏の訳文に、先達への深い敬意を感じました。

ラファティへのインタビューは本人が68歳の時に行われたものですが、矛盾した世界にひとり立ち向かう
頑固じいさんというハードボイルドな一面を垣間見ることができます。
ラファティならではの歴史観や世界観も楽しいけど、特に注目したいのが「小説より先に詩を書いていた」
「詩の多くは小説の章題に使ったり、一節として小説の中に散りばめている。」と語っているところ。
ラファティの書く小説は、実のところ詩につけられた膨大な注釈なのかもしれません。

井上央氏が交わしたラファティとの書簡はラファティの思想と人物像に最も深く迫る貴重な資料であり、
さらにはインタビュー以上に彼の肉声を伝えているように思いました。
邦訳長編レビューからは各執筆者の思い入れを感じ、未訳長編ガイドにはまだ見ぬ作品への憧れを抱き、
邦訳短編全紹介がラファティ作品全体への評論になっていることに舌を巻き、未訳短編20選を見ながら
「らっぱ亭さん、次は何を訳すんだろう?」と期待してみたり。海外での動きにも要注目です。

評論では柳下氏と山形氏の書いた内容が、偶然にも互いを投影するかのような相互関係を見せながら、
笑いだけではないラファティ作品の奥深さについて言及しています。
それに対し、牧眞司氏は作品のうちに潜む終末観を見据えつつも、それを越えた先にあるものを信じて
“ラファティを全肯定する”という姿勢を明確に打ち出します。この迷いのなさはすごい。
若島氏はラファティ至上主義に冷や水を浴びせるような出だしですが、最後にはきっちりと誉めつつ
この作家の特徴をズバリと指摘してみせるのがすばらしい。これぞ名手による名エッセイです。

最後は山本雅浩氏の評論「ラファティのモノカタリ」について。
これはラファティ作品にもましてちゃんと読みこなせてない不安があるのだけれど、山本氏の指摘する
「イメージのとめどない増殖と飽和状態」「作者自らがアイデアやイメージを破綻させてまわる」には
全く同意する一方、自分が手塩にかけて作り上げた世界を無邪気に、あるいは執拗なまでに叩き壊して回る
作者の姿に、私はある種の解放と爽快感を覚えます。
あるいはこれがラファティの考える世界のカタチであり、彼が世界に対して示す意思表示なのかも…。

いびつで不完全なコラージュである故に、誰にも真似のできない奔放さと美しさを持つ芸術がある。
ヘンリー・ダーガーとラファティの作品は、そうした点でよく似ていると思います。
特にラファティの長編は必ずしもバランスがよくない分、ダーガー的な美しさを強く感じます。
世界がダーガーを見つけたように、いつかラファティも世界に見出されると信じているのですが、
今のところはスワンウィックが「絶望とダック・レディ」で書いたとおりの厳しさなんですよね…。

しかし絶望してばかりはいられないと、スワンウィックも牧さんも書いている(と思う)。
だからラファティのファンは何度ぺしゃんこにされても復活するし、ラファティの作品もまた復活して
新しい世代へと受け継がれていくものと確信しています。

来たるべきラファティ新世紀に向けて、我らの航海は始まったばかり。お楽しみはこれからだ!
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