愛煙家の多事総論

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傷害致死→殺人 隠蔽→死体損壊未遂

2007-09-27 19:11:14 | 国内情勢
相撲界が、ドルジ問題などどーでも良くなるくらいの大事件により激震している。時津風部屋で行われた17歳新米力士への集団暴行・・・いや、殺人事件。相撲界では江戸時代からしごきと称するいじめが当たり前に行われてきた。今回の事件は、そのいじめが表に噴出したわけだが、陰惨に過ぎる。

遺体「まるで別人」 急死力士の父「体中に傷」

新潟市出身で大相撲の序ノ口力士、斉藤俊(たかし)さん(当時17)=しこ名・時太山(ときたいざん)=が名古屋場所前の6月、けいこ中に急死した問題で、時津風親方(57)=本名山本順一、元小結双津竜=が8月上旬に同市内の遺族宅を訪れ、「ビール瓶で殴った」と語っていたことが分かった。父正人さん(50)が朝日新聞の取材に明らかにした。死亡直後の説明は「通常のけいこ」だったため、正人さんは耳を疑ったという。

 正人さんによると、死亡前夜の6月25日夜、ちゃんこを食べながらビールを飲んでいた親方が、空のビール瓶を持った右手を背中の方に水平に振り、右後方に座っていた俊さんのおでこを殴った、との説明だった。「おでこから血がでたが、ティッシュでふいたら止まった」。その夜、兄弟子ら数人が俊さんを取り囲み、暴行を加えたことも認めた。

 当初の説明とはまったく異なる内容で、「なぜ、いまさら『殴った』なんていいに来たのか不可解だった」。正人さんは振り返る。

 俊さんが死亡した6月26日夜、葬儀業者が自宅に遺体を運んできた。「付添人もなく、まるで犬や猫みたいだと思った」。バスタオルにくるまれた遺体をみて全身が凍り付いた。顔全体がはれ上がり、鼻、目、口、胸、腕など、体中の至る所が木刀か何かで殴られたように傷だらけだったからだ。

 その1週間前、俊さんは部屋を逃げだし、自宅に帰っていた。久しぶりに家の風呂に入れ、たくましく鍛えられた体に目を細めたばかりだった。傷だらけの遺体は、まるで別人だった。

 3日後、部屋に戻った俊さんは「もう一度頑張る。もうあまり電話もしないようにする。携帯電話も兄弟子に預けた」と公衆電話から電話してきた。だが、25日早朝、再び自宅に電話があり、「やめたい」。数時間後にもまた電話があり、「おとうさん。僕、いい子になるから迎えにきて。何でも言うこと聞くから。兄弟子が怖い」――。悲痛な声が聞こえてきた。

 「でも私は『もうちょっとがんばれ』と言ってしまった。『逃げろ』とはいえなかった。私が殺したようなものだ」

 俊さんの遺品の中からは、まっぷたつに折られた携帯電話が見つかった。「なぜ、逃げろ、帰ってこいといわなかったのか」。正人さんは今も、自分を責め続けている。

 捜査している愛知県警は近く、親方らを傷害などの疑いで立件する方針を固めている。



時津風部屋 無断で火葬準備 遺族「隠ぺい」批判

大相撲の時津風部屋の力士だった時太山(ときたいざん)=本名斉藤俊(たかし)さん、当時(17)=が愛知県犬山市でけいこ後に急死した問題。時津風親方(57)=同山本順一さん=は瓶で殴打したことを県警の事情聴取に認めたとされ、兄弟子たちの暴行には金属バットも使用されたという。新潟県に住む遺族は息子の死後の部屋の対応にも疑念を膨らませた。暴行か、国技としての厳しいけいこなのか。波紋が広がる中、日本相撲協会幹部らは「警察の捜査を待つしかない」と口をそろえた。 

 斉藤さんが急死した直後の6月26日夕、時津風部屋が遺族に無断で斉藤さんを火葬する準備をしていたことが分かった。遺族の同意を得ずに火葬することは異例で、新潟県に住む遺族からは「暴行の痕跡を隠そうとしたのではないか」と批判の声が上がっている。

 遺族によると、同月26日午後4時ごろ、愛知県の葬儀業者から斉藤さんの実家に電話があり「現地で火葬して新潟へ届けたい」などと言われたという。遺族が抗議したため、火葬は見送られた。時津風親方が翌27日に、斉藤さんの実家を訪れた際は「(火葬の手配は)隠すわけでやったのではない」と、暴行問題の隠ぺいについては否定していた。

 愛知県警の調べでは、時津風部屋の兄弟子らは名古屋場所前の26日午前11時ごろ、犬山市に設けたけいこ場で、斉藤さんに暴行を加えた疑いが持たれている。前日の25日には時津風親方もビール瓶で殴ったことを認めているとされる。

 斉藤さんは同日午後2時10分ごろ、搬送先の病院で死亡した。

 大相撲序ノ口力士の斉藤俊さんが死亡した問題で、師匠の時津風親方や兄弟子が死亡前日に暴行したと認めたことについて、日本相撲協会の幹部は26日、愛知県警の捜査を見守る姿勢を強調した。

 北の湖理事長(元横綱北の湖)は「警察が捜査中だから、間違ったことは言えない」とし、27日に開かれる親方が集まる師匠会にも「私から『(時津風親方に)来い』とは言わない」と語った。

 また、生活指導部長の伊勢ノ海理事(元関脇藤ノ川)は「53の相撲部屋には各師匠の指導方針はあるが、行き過ぎがあってはいけない。警察の捜査を待つしかない」と話した。

◆母後悔「逃げろと言えば…」

 新潟県に住む斉藤さんの両親は26日、「兄弟子たちが『俊を鍛える』と言うので頼もしかったのに」と悔しがった。

 亡くなる5日ほど前に斉藤さんに会った父親の正人さん(50)は「いい体になってきたな」と感じ、「相撲道の心を鍛えてほしかった。横綱や大関になれとは言わない。今頑張ればどんな社会でも通用するんだぞ」と、何度も逃げ帰ってくる息子に、心の中ではエールを送り続けていた。

 しかし、死亡翌日の6月27日に自宅に運ばれてきた遺体には、全身にあざや切り傷、足にはやけどのようなあとが数カ所にあり、顔は原形をとどめないほど変わり果てていた。

 当時、母親(42)も「入門して時太山というしこ名をもらったとき『僕名前もらったよ』って喜んで…。亡くなる前日に電話が来たとき『逃げろ』って言えばよかった…」と涙を流した。

 これに対し、謝罪と事情説明に自宅を訪れた時津風親方は「けいこをやれ、やれとばかり言えない。『もういいよ、やめ』とわたしは言うんですよ」と釈明していたという。

 「放っておいたらうやむやになる」と感じた正人さんらは、自ら行政解剖を依頼。愛知県警による真相解明が動きだす端緒となった。

 <時津風部屋> 時津風一門のトップで、角界屈指の名門。史上最多69連勝の不滅の記録をつくり「角聖」と呼ばれた第35代横綱双葉山が現役時代の1941年、「双葉山相撲道場」として設立。引退後、年寄「時津風」を襲名した。元大関豊山の跡を継ぎ、2002年8月から現親方の元小結双津竜が4代目として部屋を率いている。

 第42代横綱鏡里のほか、大内山、北葉山、豊山らの大関を輩出した。現在は時天空、豊ノ島、時津海が幕内で活躍するなど、力士15人を抱えている。



事件を風化させないためにも、とりあえず詳細が載っている記事を全文掲載しておきました。

それにしても酷い。
相撲協会に出入りしている知り合いに聞いたところ、耳が片方は割け、片方は千切れかけ、鼻はつぶれ、眼球は陥没し、口は晴れ上がり、体中のいたるところに青あざ、根性焼きの後があり、頭に凹みがあり、顔の傷は肉が見えるほどに割けていたという。

これって、しごきとかで済むレベルではない。いや、いじめですら済むレベルではない。最早故意に、悪意を持って「殺人」したとしか思えないレベルである。

本当に稽古中に突然意識不明になったのならば、遺族だって

「運がなかった」

と泣いて諦められもするが、家族が新たな「親」として頼んだ親方にこんな仕打ちを受けるとは夢にも思っていなかっただろう。
両親はもとより、斉藤俊さんを慕っていた小学生3年の妹は・・・。

「おにいちゃーん」

と叫んで死体に取りすがり泣いたそうだが、当然だろう。俺だって仮に弟や兄貴がいたとして、そのどちらかがまるで北朝鮮の政治犯収容所で拷問されたような傷口を持って死体となって帰ってきたら取りすがって大声で泣くよ。

まともな死に方ではない。明らかに暴行され、それも過度の暴行をされて死んだことが分かる死体なのだ。心に、一生消えない傷を負ってしまっても不思議ではない。


それにしても憎いのは時津風部屋のゴキブリどもである。
警察はこいつらを傷害致死として立件するつもりだそうだが、殺人として立件しろよ。頭を金属バットで殴るなんて、殺意がなけりゃできねーよ。
しかも殺しておいて、仮想の準備までするところなんか、隠蔽する気満々である。つーか死体損壊未遂である。

きっと、この部屋では今までもこういった「事件」が起こっていたのだろう。人知れず隠されていっただけで。

相撲部屋には不釣合いであり必要のないはずの、金属バットの存在が今まででどんなことがあったのかを物語っているのではないだろうか。





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