我が愛しの竹内結子サマが、ドラマに出ています!
相変わらず、お美しい・・・。
テレビにかじりついて見てます。ホントにかじっちゃってます。
ヨダレまみれですぅ!
危うく感電するところでした・・・。
しかし、なんていうかこのドラマ・・・
「月9」というより「月曜ドラマランド」
コメディが行き過ぎてます。つっこむ気にもなりません。
あぁ、はっきり言いましょう、
つまらん!!
ドラマ的には「うんこさん」です。
特に来週から見る必要なし!
ただし、
(*´∀`)ノ 「夜のオツマミ計画」には採用決定!! なんでやねん!
さて、そんなくだらない話は置いといて、今日の本題に入りましょう。
今日は1月17日。
そう、「阪神・淡路大震災」が起こった日である。
マグニチュード7,3、死者6433人、負傷者4万3792人、全壊家屋10万4906棟、半壊家屋14万4274棟、1995年1月17日午前5時46分発生・・・。
ちょうど10年前の出来事だ。
おらっちは亜細亜大学の3年生だった。
ちょうど、後期試験の勉強中で、その時間、テレビをつけっぱなしで勉学に勤しんでいた・・・いや、友達に借りたノートをせっせと写していた。
地震速報・・・
「神戸で震度6(注:最初の報道。後に7に訂正される)の揺れ」
焦りました。
おらっちの実家は、神戸からはかなり遠くて、車で行くとしたら2~3時間かかる距離だ。しかし、同じ兵庫県内だ。
焦りました。
その焦りは、テレビ中継の映像で夜が白んでくるにつれ、どちらかというと「絶望」に近いものとなった。あちこちから白い煙が上がるさま、倒壊したビル、横倒しになった高速道路、脱線した電車・・・。
普段はめったにしなかったのに、そのときばかりは実家の電話番号をプッシュしていた。当時は、携帯電話など、一部のお金持ちしか持っていない。電話をかける側も受ける側も、固定電話だ。
プー、プー、プー・・・
つながりません。何度やってもつながりません。
夜は確実に明けていきます。
段々とクリアになっていくテレビ画面。もうもうと上がる煙は、さながら、「戦地」の映像だ。もちろん、どのチャンネルを回しても「神戸の映像」だけ。
1時間たっても、電話は通じてくれません。
二十歳を過ぎていたのに、半べそだったことを思い出す。幼い頃の、家族との思い出とか、東京に出て行くおらっちを送り出してくれたみんなの顔とか、色んなことがぐっちゃぐっちゃに思い出されて、訳もわからず取り乱していた。
結局、電話は、1時間半後に通じた。午前7時半ごろだ。
とにかく、家族全員が無事であることにほっとした。実家のあたりは、震度4~5くらいだったらしいが、ばあちゃんに聞いても「今まで生きてきて、こんなに大きな地震は記憶にない」とのこと。
うん、おらっちも18年間、兵庫の片田舎で暮らしてきたが、「地震」というものの記憶自体が3~4回しかない。「震度3」という経験がなかった。
被害は、日を追う毎にひどくなっていった。
おらっち、今まで生きてきた31年間で、たった一度だけ本気で女の子を殴ったことがある。
地震発生から10日ほど過ぎた頃だろうか。
大学では試験が始まり、キャンパス内でサークルの連中や、友達等と、久しぶりに顔を合わす事となった。
特に何があるでもなく、ただ、同学年の仲間とたむろしていたところ、サークルの後輩が数人現れた。
ごくフツーに、あいさつをし、ごくフツーに世間話になるのかな?と思いきや、その中の女の子一人が吐いたセリフが、おらっちの血管をぶった切った!
「せんぱ~い、何だか最近つまんないですよね。テレビ、どこ回してもニュースばっかじゃないですか?フツーの番組やれ!って感じですよ」
おらっちは、彼女のむなぐらを掴み、グーで殴ってたらしい。あとで、その場に居合わせた友達が教えてくれた。
確かに、女性に手を上げるのはよくない。特に、おらっちが殴られたのでもなんでもなく、ただ、「ことばが気に食わなかった」だけで殴ったのだと取られても、文句はない。
でも、許せなかった。
おらっちは幸いにも、家族・親族全員が無事で、しかも、本当に奇跡的なことなのだが、同じ年に卒業をした高校の同級生が、誰一人として命を落とすことなく生き残っていてくれたのだ。
でも、
殴られた痛みよりも、もっともっと痛い思いをして命を落としていった人が6433人もいるんですよ。
それによって大切な人を失って、路頭に迷っている人が、その数倍、いや、数十倍いるんですよ。
「何でおまえの口からそんなセリフが出てくるんだ!」
本気で怒ったのだと思う。
そんな言葉を平然と言える人間がこの世にいることが信じられなかった「戸惑い」もあるかもしれない。
おらっち、音楽で生活できるようになったら、必ず神戸でライブをやります。
「偽善者」だ何だって言われても構わない。
「今さら・・・?」って言われても構わない。
でも、被災者の方々があの震災を忘れてしまうことなんて、きっと出来ないと思う。
家を失った人、職場を失った人、お父さん・お母さんを失った人、兄弟姉妹を失った人、大切な我が子を失った人、愛する人を失った人・・・。
そんな人のためにおらっちが出来ることといえば、「歌うこと」しかないんですよ。
「癒し」なんていう自己中心的な満足を味わってもらおうなんて、これっぽっちも思っていません。ただ、ほんのひと時でも、僕の歌を聞いて大切な人のことを思い出してもらいたいんです。1・17が奪った最愛の人のことを・・・。
皆さん、今日はそんな日だったってことを、少しだけでもいいから思ってみてください。おらっちからのお願いです。
それではまた。
相変わらず、お美しい・・・。
テレビにかじりついて見てます。ホントにかじっちゃってます。
ヨダレまみれですぅ!
危うく感電するところでした・・・。
しかし、なんていうかこのドラマ・・・
「月9」というより「月曜ドラマランド」
コメディが行き過ぎてます。つっこむ気にもなりません。
あぁ、はっきり言いましょう、
つまらん!!
ドラマ的には「うんこさん」です。
特に来週から見る必要なし!
ただし、
(*´∀`)ノ 「夜のオツマミ計画」には採用決定!! なんでやねん!
さて、そんなくだらない話は置いといて、今日の本題に入りましょう。
今日は1月17日。
そう、「阪神・淡路大震災」が起こった日である。
マグニチュード7,3、死者6433人、負傷者4万3792人、全壊家屋10万4906棟、半壊家屋14万4274棟、1995年1月17日午前5時46分発生・・・。
ちょうど10年前の出来事だ。
おらっちは亜細亜大学の3年生だった。
ちょうど、後期試験の勉強中で、その時間、テレビをつけっぱなしで勉学に勤しんでいた・・・いや、友達に借りたノートをせっせと写していた。
地震速報・・・
「神戸で震度6(注:最初の報道。後に7に訂正される)の揺れ」
焦りました。
おらっちの実家は、神戸からはかなり遠くて、車で行くとしたら2~3時間かかる距離だ。しかし、同じ兵庫県内だ。
焦りました。
その焦りは、テレビ中継の映像で夜が白んでくるにつれ、どちらかというと「絶望」に近いものとなった。あちこちから白い煙が上がるさま、倒壊したビル、横倒しになった高速道路、脱線した電車・・・。
普段はめったにしなかったのに、そのときばかりは実家の電話番号をプッシュしていた。当時は、携帯電話など、一部のお金持ちしか持っていない。電話をかける側も受ける側も、固定電話だ。
プー、プー、プー・・・
つながりません。何度やってもつながりません。
夜は確実に明けていきます。
段々とクリアになっていくテレビ画面。もうもうと上がる煙は、さながら、「戦地」の映像だ。もちろん、どのチャンネルを回しても「神戸の映像」だけ。
1時間たっても、電話は通じてくれません。
二十歳を過ぎていたのに、半べそだったことを思い出す。幼い頃の、家族との思い出とか、東京に出て行くおらっちを送り出してくれたみんなの顔とか、色んなことがぐっちゃぐっちゃに思い出されて、訳もわからず取り乱していた。
結局、電話は、1時間半後に通じた。午前7時半ごろだ。
とにかく、家族全員が無事であることにほっとした。実家のあたりは、震度4~5くらいだったらしいが、ばあちゃんに聞いても「今まで生きてきて、こんなに大きな地震は記憶にない」とのこと。
うん、おらっちも18年間、兵庫の片田舎で暮らしてきたが、「地震」というものの記憶自体が3~4回しかない。「震度3」という経験がなかった。
被害は、日を追う毎にひどくなっていった。
おらっち、今まで生きてきた31年間で、たった一度だけ本気で女の子を殴ったことがある。
地震発生から10日ほど過ぎた頃だろうか。
大学では試験が始まり、キャンパス内でサークルの連中や、友達等と、久しぶりに顔を合わす事となった。
特に何があるでもなく、ただ、同学年の仲間とたむろしていたところ、サークルの後輩が数人現れた。
ごくフツーに、あいさつをし、ごくフツーに世間話になるのかな?と思いきや、その中の女の子一人が吐いたセリフが、おらっちの血管をぶった切った!
「せんぱ~い、何だか最近つまんないですよね。テレビ、どこ回してもニュースばっかじゃないですか?フツーの番組やれ!って感じですよ」
おらっちは、彼女のむなぐらを掴み、グーで殴ってたらしい。あとで、その場に居合わせた友達が教えてくれた。
確かに、女性に手を上げるのはよくない。特に、おらっちが殴られたのでもなんでもなく、ただ、「ことばが気に食わなかった」だけで殴ったのだと取られても、文句はない。
でも、許せなかった。
おらっちは幸いにも、家族・親族全員が無事で、しかも、本当に奇跡的なことなのだが、同じ年に卒業をした高校の同級生が、誰一人として命を落とすことなく生き残っていてくれたのだ。
でも、
殴られた痛みよりも、もっともっと痛い思いをして命を落としていった人が6433人もいるんですよ。
それによって大切な人を失って、路頭に迷っている人が、その数倍、いや、数十倍いるんですよ。
「何でおまえの口からそんなセリフが出てくるんだ!」
本気で怒ったのだと思う。
そんな言葉を平然と言える人間がこの世にいることが信じられなかった「戸惑い」もあるかもしれない。
おらっち、音楽で生活できるようになったら、必ず神戸でライブをやります。
「偽善者」だ何だって言われても構わない。
「今さら・・・?」って言われても構わない。
でも、被災者の方々があの震災を忘れてしまうことなんて、きっと出来ないと思う。
家を失った人、職場を失った人、お父さん・お母さんを失った人、兄弟姉妹を失った人、大切な我が子を失った人、愛する人を失った人・・・。
そんな人のためにおらっちが出来ることといえば、「歌うこと」しかないんですよ。
「癒し」なんていう自己中心的な満足を味わってもらおうなんて、これっぽっちも思っていません。ただ、ほんのひと時でも、僕の歌を聞いて大切な人のことを思い出してもらいたいんです。1・17が奪った最愛の人のことを・・・。
皆さん、今日はそんな日だったってことを、少しだけでもいいから思ってみてください。おらっちからのお願いです。
それではまた。