おらっち、「熱しやすく冷めやすい」タイプ。
物心ついた頃から現在まで、いろんな物事に「ハマり」、そして気づけば「過去の遺物」となって忘れ去られてきた。
例えば、小学生の頃・・・
「タッチ」
と
「チェッカーズ」
に、どっぷりとハマっていました。
「タッチ」・・・あだち充の漫画です。おらっちが小学6年生のときにアニメ化されたのだが、それまでは「サンデー」を買うか、「文庫本」を買うかのどちらかだった。
小学生ですよ!
ある意味マセていたのか?
恋愛野球漫画なんぞにうつつをぬかしていました。
浅倉南が「理想の恋人」だった時期もありました。
何度も言うが、
小学生ですよ!!
おかしいです、今考えると・・・。
そして「チェッカーズ」。
小学生のときは、まだ、アイドルでした。全身チェック柄の衣装を着て、髪は「チェッカーズカット」にして(どんな髪形かわからない人は、その辺にいる30代の人間に聞いてください。きっと知ってるから。)、ベストテン番組ではシングル3曲がトップテン以内に入っているという快挙を成し遂げてました。
「バンドやりて~!」と思ったのはきっとその頃だったと思う。
何も楽器なんて弾けませんよ・・・。
歌だって、歌うのは好きだったけど「自信がある・ない」っていうことなんか考えもしなかった頃ですから・・・。
でも、彼らに影響を受けて、音楽に目覚めた(のだろう・・・)。
残念ながら、昨年、ドラムのクロベエこと徳永善也氏が亡くなった。大阪城ホールのバックステージ席で、彼のドラミングを背後から間近に見られたことは、今となっては大切な宝物だ。ご冥福をお祈りする。
そんな小学生のおらっちは、チェッカーズのレコードを聞きながらタッチを読むのが日課でした。ホントに。
そして、中学生になると、ひとまず「タッチ」熱は冷め、漫画というもの自体から遠ざかっていく。最後に読んだのが、確か「ドラゴンボール」だったと思う。まだ、第一回の「天下一武道会」のあたりまでだったと思う。だから「スーパーサイヤ人」といわれても、あまりわからない・・・。
代わって、おらっちを虜にしたのが、
おニャン子クラブ
中でも、会員番号16、高井麻巳子が大好きだった。
中学生ですよ!
今は、作詞家の秋元康氏と結婚されて、幸せな家庭を築いてらっしゃるとのことだが、当時は「モーヲタ」のようにレコードを買いまくり、もちろんファンクラブにも入り(「こニャン子クラブ」という馬鹿丸出しのファンクラブ名だった)写真集をガン見し、「夕焼けニャンニャン」をブラウン管に15センチまで近寄って見・・・、
変態元年!!
そうか!この頃だったのか!今のおらっちの変態性が築き上げられたのは!!
しかし、最初に言った通り、「熱しやすく冷めやすい」おらっちは、そこまで好きだった高井麻巳子をあっさり捨て、
渡辺満里奈に鞍替え!
握手会にまで足を運ぶ始末・・・。もちろん、曲はすべて「そらで歌える」のは当たり前!作曲者の名前まで覚えてましたもの・・・。
部屋中、ポスターだのレコードだの写真集だの雑誌の切り抜きだので埋め尽くされ、
全面的に「俺の満里奈」状態
恥ずかしい・・・何でこんなことカミングアウトしてるんだ?
でも、実際そうだったから仕方ないか・・・(諦)。
そんな「おニャン子」も解散。興味は、呆れるほどスパッとなくなる。
中学3年から高校時代にかけてどっぷりとハマったのが、「ビートたけし」。
漫才やコントなどではもっと昔から好きだったんだが、この頃、例の「フライデー事件」があり(わからない人は近くの30代の人に聞いてみて、きっと知ってるから)、その事件をきっかけに、この人の人間性そのものに惹かれるようになった。
小説などの書籍は、ほとんど読んだ。レコードやCDも買った。ファンクラブにも入った(好きになったら「ファンクラブ入会」でしたね、当時は。「Sweet Beat Club」というファンクラブだったが、どの辺が「Sweet」なのかは未だに不明)。
この人の脳みその中を覗きたかった。それくらいに、この人の知識と頭の回転の速さには驚いた。
当時ほど「熱狂的」ではないが、今でも「尊敬する人」NO.1だ。
おらっち、現在は、いいオッサンになりつつあるのか、あの頃ほど熱中するものはなくなってきた。「竹内結子」は好きだけど、
「部屋中ポスター化」計画
は、今のところない。
むしろ、
「夜のオツマミ化」計画
を遂行中だ!!
えばって言うことではない。
でも、
30過ぎても、心は「思春期」!
何時迄も、若く居たゐと、我思ふ・・・
あああああああぁぁぁ~、
結子ちゃん・・・あいらーびゅ!(昇天)
おらっちの叫びとともにお別れです。バイバ~イ!
物心ついた頃から現在まで、いろんな物事に「ハマり」、そして気づけば「過去の遺物」となって忘れ去られてきた。
例えば、小学生の頃・・・
「タッチ」
と
「チェッカーズ」
に、どっぷりとハマっていました。
「タッチ」・・・あだち充の漫画です。おらっちが小学6年生のときにアニメ化されたのだが、それまでは「サンデー」を買うか、「文庫本」を買うかのどちらかだった。
小学生ですよ!
ある意味マセていたのか?
恋愛野球漫画なんぞにうつつをぬかしていました。
浅倉南が「理想の恋人」だった時期もありました。
何度も言うが、
小学生ですよ!!
おかしいです、今考えると・・・。
そして「チェッカーズ」。
小学生のときは、まだ、アイドルでした。全身チェック柄の衣装を着て、髪は「チェッカーズカット」にして(どんな髪形かわからない人は、その辺にいる30代の人間に聞いてください。きっと知ってるから。)、ベストテン番組ではシングル3曲がトップテン以内に入っているという快挙を成し遂げてました。
「バンドやりて~!」と思ったのはきっとその頃だったと思う。
何も楽器なんて弾けませんよ・・・。
歌だって、歌うのは好きだったけど「自信がある・ない」っていうことなんか考えもしなかった頃ですから・・・。
でも、彼らに影響を受けて、音楽に目覚めた(のだろう・・・)。
残念ながら、昨年、ドラムのクロベエこと徳永善也氏が亡くなった。大阪城ホールのバックステージ席で、彼のドラミングを背後から間近に見られたことは、今となっては大切な宝物だ。ご冥福をお祈りする。
そんな小学生のおらっちは、チェッカーズのレコードを聞きながらタッチを読むのが日課でした。ホントに。
そして、中学生になると、ひとまず「タッチ」熱は冷め、漫画というもの自体から遠ざかっていく。最後に読んだのが、確か「ドラゴンボール」だったと思う。まだ、第一回の「天下一武道会」のあたりまでだったと思う。だから「スーパーサイヤ人」といわれても、あまりわからない・・・。
代わって、おらっちを虜にしたのが、
おニャン子クラブ
中でも、会員番号16、高井麻巳子が大好きだった。
中学生ですよ!
今は、作詞家の秋元康氏と結婚されて、幸せな家庭を築いてらっしゃるとのことだが、当時は「モーヲタ」のようにレコードを買いまくり、もちろんファンクラブにも入り(「こニャン子クラブ」という馬鹿丸出しのファンクラブ名だった)写真集をガン見し、「夕焼けニャンニャン」をブラウン管に15センチまで近寄って見・・・、
変態元年!!
そうか!この頃だったのか!今のおらっちの変態性が築き上げられたのは!!
しかし、最初に言った通り、「熱しやすく冷めやすい」おらっちは、そこまで好きだった高井麻巳子をあっさり捨て、
渡辺満里奈に鞍替え!
握手会にまで足を運ぶ始末・・・。もちろん、曲はすべて「そらで歌える」のは当たり前!作曲者の名前まで覚えてましたもの・・・。
部屋中、ポスターだのレコードだの写真集だの雑誌の切り抜きだので埋め尽くされ、
全面的に「俺の満里奈」状態
恥ずかしい・・・何でこんなことカミングアウトしてるんだ?
でも、実際そうだったから仕方ないか・・・(諦)。
そんな「おニャン子」も解散。興味は、呆れるほどスパッとなくなる。
中学3年から高校時代にかけてどっぷりとハマったのが、「ビートたけし」。
漫才やコントなどではもっと昔から好きだったんだが、この頃、例の「フライデー事件」があり(わからない人は近くの30代の人に聞いてみて、きっと知ってるから)、その事件をきっかけに、この人の人間性そのものに惹かれるようになった。
小説などの書籍は、ほとんど読んだ。レコードやCDも買った。ファンクラブにも入った(好きになったら「ファンクラブ入会」でしたね、当時は。「Sweet Beat Club」というファンクラブだったが、どの辺が「Sweet」なのかは未だに不明)。
この人の脳みその中を覗きたかった。それくらいに、この人の知識と頭の回転の速さには驚いた。
当時ほど「熱狂的」ではないが、今でも「尊敬する人」NO.1だ。
おらっち、現在は、いいオッサンになりつつあるのか、あの頃ほど熱中するものはなくなってきた。「竹内結子」は好きだけど、
「部屋中ポスター化」計画
は、今のところない。
むしろ、
「夜のオツマミ化」計画
を遂行中だ!!
えばって言うことではない。
でも、
30過ぎても、心は「思春期」!
何時迄も、若く居たゐと、我思ふ・・・
あああああああぁぁぁ~、
結子ちゃん・・・あいらーびゅ!(昇天)
おらっちの叫びとともにお別れです。バイバ~イ!