【御霊も花嫁も共に言った】石井 豊牧師
主は、全てを贖い(あがない)
全ての尊厳(そんげん)に満ち満ち溢るる
存在なのです。
主の臨在が備えられているからこそ 忍耐の
存在価値が深まり、主が折られるから十字架の購い
によって繰り返し学ぶことが赦されるのです。
我々が罪に迷っていても
我々を迷路からお救い下さいます。
我々は、主の御力に覆われ(おおわれ)、我々は
主の存在に守られているのです。
我々は、主の宮に置かれ アルファでオメガに
生かされイエスの御名に天の宮に招かれます。
我々は、聖書の中に書かれるように
主に招かれる存在なのです。
御霊も花嫁も共に言った、
「きたりませ」。また、聞く者も
「きたりませ」と言いなさい。
かわいている者はここに来るがよい。
いのちの水がほしい者は、価なしに
それを受けるがよい。
(ヨハネの黙示録22章17節)
2012年10月14日 筑波福音基督教会
「奉仕の心構え」
メッセンジャー 石井 豊牧師
ヨハネ2章1-11節
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