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クリスチャンファミリー

【私の敵の前で】森正義牧師

2012-10-10 02:15:06 | 祈り

【私の敵の前で】森正義牧師

筑波福音基督教会 2012年10月7日
詩篇23篇5節

私の敵の前で、あなたは私のために食事を
ととのえ、私の頭ら油を注いてくださる。
(新改訳)

なんじわが仇(かたき)の前に、我がため
筳をもうけ、わが首に油を注ぎ給う。
わが酒杯はあふるるなり。
(文語訳)

私を苦しめる者を前にしても、あなたは
わたしに食卓を整えてくださる。わたし
の頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさ
せてくださる。
(新共同訳)

Thou wilt prepare table before me in the presence of persecutors, thou wil anoint my bead with oil, my cup overflows. (EJV)

You prepare a table before me in the presence of my enemies, You anoint my head with oil, My cup runs over. (NKJV)

You prepare a banquet for me. Where all my enemies can see me, you welcome me as an honored guest, and fill my cup to the brim. (TEV)

詩篇23篇の各節の主語

◎ 1節 〜 3節 は 「主」
◎ 4節 〜 6節 は 「私」と読み取ることが出来る。

詩篇23篇 1節 〜 4節 は「私」の代名詞を「羊」と
置き換えて読むことができる。
然し 5節からは「羊である私」から「人間である私」へと
変わっている。
神は私たちを「人間」・「神の友なる人間」として取り扱われた。

1. 神の友である人間(キリスト者)の生活とはどんな生活か?
詩篇23篇5節は「私の鏑」「私を苦しめる者」(新共同訳)
「わが仇の前に(文語訳)」の言葉で始まります。
英語の訳は「persecutors (KJV)」(迫害者)、
「enemies (その他)」(鏑)です。
私たちは鏑(苦しめる者(新共同訳))がいる。

■ キリスト者生活の二面性
ヨハネの福音書16章33節
「わたしがこれからのことをあなたがたに話したのは、
あなたがたがわたしたしにあって平安を持つためです。
あなたがたは、世にあっては患難(この世ではなやみ
(口語訳))かあります。しかし、勇敢でありなさい。
わたしはすでに世に勝ったのです。」

キリスト者生活は平安と喜びの生活であると共に、
多くの敵との戦いの生活でもある。
然し、「世に勝たれた主」によって勝利の生活を
送ることができる。

2. キリスト者の鏑とは何か。

A. サタン
ペテロ第一5章8節
「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの
鏑である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い
尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」
a. サタンは虎視眈々(こしたんたん)としてキリスト者を
狙い撃ちしている。
b. サタンの攻撃の具体例をイエスさまの荒野の誘惑から
学ぶ。(マタイ3章13-4章11)、(マルコ1章9-13)、
(ルカ4章1-13)

ア. 誘惑の時期 バプテスマの直後(マルコ1章9-13)
イ. 誘惑の内容 (イエスの受けられた試練から)
第一の誘惑 「あなたが神の子だから、この石が
       パンになるように、命じなさい」
  神を信じることを止め、神を無視して生きるように
  との誘惑
イエスの対応 申命記8章3節を引用して 聖書の
御言葉を信じて生きる重要性をしめす。

第二の誘惑 サタンも詩篇91篇11-12節を引用する。
  この引用の間違いは何か。
  イエスの対応 主にまたもや、聖書の御言葉
(申命記6章16節)を引用された。

第三の誘惑 「もしひれ伏して私を拝むなら、これを
      全部あなたに差し上げましょう」
     サタンに身をゆだねて生活することへの誘惑
   イエスの対応 神を礼拝し、神に仕えることの
重要性を述べる。

サタンは一時(暫くの間)イエスを離れた。その後も繰り返し
繰り返しイエスを攻撃する。

B. キリスト者の罪意識
「罪は赦された」事と「罪を犯さなくなる」とは
 違う。 罪の根絶ではない。
 肉体をもって生きている間、罪と戦う生活が続く。
 パウロの告白 ローマ7章15節-23節
C. 死 コリント第一15章26節 54-58節
詩篇23篇はこの死の問題を正面からとらえている。
4節では「死の陰の谷」、5節では「最後の敵である死」、
6節では「いのちの日の限り」死を見つめて最後の瞬間
まで、そして「いつまでも」と「永遠の世界」に言及
しています。
    
3. 敵の前で食卓を整え、そこに招待してくださる。
A. この食事の招待者は全能の神である。食材も
私たちが自分で調達するのではない。

a. 出エジプトの民に対して(出エジプト14章、15章)
b. エリアに対して(列王記第一17章)
c. 5000人のパンの給食
(マタイ14章13-21、マルコ6章31-44、ルカ9章10-19
ヨハネ6章1-13)
B. この食事はフルコースの食事である。
(TEVにはbanquet 正式な宴会と訳されてあります)
献立・食材が第二サムエル17章27-29節にしるされてある。
C.  敵の見ている前で 第二サムエル17章24-26節
(アプシャロムはギルアデに、ダビデはマハナイムに)。
マハナイムはギルアデの中にある町。

結び ヨハネ21章1-24節 主の復活後7度目の顕現の出来事。
  不漁で失意の中にあった7人の弟子たちのため、
  食事を用意された主は「さあ来て朝の食事をしなさい」と
招かれた。



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