Always Autumn

Letter from Perth

旧フリーマントル刑務所にて(2018年11月) 〜by空倶楽部

2019-01-30 21:10:30 | 2018年11月親戚S家のK子さんとNちゃんと一緒に

こんばんは。

また一日出遅れましたが今日は『空倶楽部』に参加します。

空倶楽部は『9』が付く日に皆さんで
いろんな空の写真をアップして楽しみませんかという集まりです。

詳細はかず某さんchacha◯さんまでどうぞ。

☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆

2018年11月16日

旧フリーマントル刑務所にて。

...札幌の親戚S家のK子さんとNちゃん母娘
パースに初訪問に来てくれた時

旧フリーマントル刑務所をご案内するという“おつとめ”をして来ましたアハ。



1855年開所(っていうのかな?)〜1991年閉鎖。

2010年には西オーストラリア州の建造物として
初めて世界遺産に登録されました。

1850年、イギリス本国から囚人団体がフリーマントルに送られて来た時
彼らの最初の仕事はなんと
自分たち自身が入るこの刑務所を建てることだったそうです。

1851年に刑務所建設が始まり、彼らは
近辺の石灰岩の岩を切り出し、自分たちが乗って来た船の部品や木材を使い
刑務所を建てて行きました。

そして1855年に最初の囚人が収監されたのです。

なんとも皮肉な話です。

彼ら囚人たちは刑務所建設に続き、長期にわたり
道路や鉄道建設などを課せられました。

西オーストラリア州の発展の陰にこういう人たちの力もあったのですね。

囚人たちは帰る船も分解して刑務所作りに使ってしまったので
二度とイギリス本土に帰ることはできなかったとか。

ちょっと気の毒に感じます。

それでも彼らが建てた刑務所が世界遺産になったことで
少しは報われるのかも。

ダークな歴史も後世に伝えられていくことでしょう。



(以下はwikiを参考にまとめてみました)

オーストラリアの始まりは流刑地だったという
歴史の後ろには当時のイギリス本国の問題もありました。

18世紀後半のイギリスの産業革命の余波で
失業者が都市に集まり犯罪者も増え始めていました。

大した罪でもないのに刑務所に入れていた法制度もあり
囚人を収容する国内の監獄が満員になってしまったのです。

けれど、それまで流刑地に使っていたアメリカが1776年に独立したので
もうそっちに囚人を送ることはできない。

困ったイギリスはオーストラリアを流刑地に決めたのでした。

1788年1月26日

アーサー・フィリップが率いる第1船団の全ての艦船がポート・ジャクソン湾内のシドニー・コーブに到着。
イギリスによるこの地の領有を宣言し、入植を開始しました。

これを記念して
1月26日『Australia Day:オーストラリア・デー』という祝日になっています。

というわけで今回は

先日のオーストラリア・デーの祝日にちなんで

フリーマントル刑務所で見た空の写真をアップしてみました


刑務所の話、後1回書きます。




それでは、また。


ご訪問ありがとうございました。

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※すみません、ちょっと体調が悪いので(風邪か〜)
コメント欄はおやすみします。

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