2008年2月13日
この日はオーストラリアの先住民族アボリジニの人々にとって
悲しい過去の歴史の闇から大きな一歩を踏み出せた、忘れられない一日だったと思う。
ラッド首相が、過去の政策で被害を被った先住民族アボリジニに対し
国として初めての公式謝罪をしたのだから。
ラッド首相が謝罪文を読む様子が、キャンベラの国会議事堂から
生中継で各都市に放送された。
キャンベラはもちろん、各都市の大きな公園などでは、大スクリーンが設置され
アボリジニや、支援する人びとが多く集まっていた。
真剣にラッド首相の謝罪文に聞き入りながら、号泣する人も。
この謝罪に対して国民の7割が支持をしたのだから
いかに皆が待ち望んだ日であったかが分かる。
ちょっと歴史の勉強をして調べてみると。
オーストラリア政府は、1869年から公式的には1969年までの間
様々な州法などによりアボリジニの親権を否定し
子供たちは強制収容所や孤児院などの施設に送る、という政策を取っていたそうだ。
その政策が、こんな最近になってまで続けられていたと言うことは驚き。
そのように、親から引き離された子供たちは
The Stolen Generations (または Stolen Generation)「盗まれた世代」と呼ばれている。
なぜそのような政策を取ったのかは、この国の歴史をもっと勉強しないとわからないが
白豪主義の思想が大きな背景にあったのではないかと思う。
白人は文明のレベルにおいて、アボリジニよりもすぐれているという考えがあった。
その子供たちを、オーストラリア社会に文化的に同化させるためには
親の元から引き離さなければならない。
確かに、アボリジニ社会には問題が多かったらしい。
子供が親から離された方が良い場合もあったそうだけど
離される必要がない家族も、もちろん多くいた。
その歴史があるから、いまだに国と彼ら民族との間に確執がある。
13日、首相が国を代表して「SORRY」と言ったことは、とても勇気ある行動と思う。
ほんの一言だけの短い「SORRY」と言う言葉。
ニュースで、ジャーナリストが
「それを言うまでの道のりは本当に長く、重いものだった。
だが、この国の人間が一体となり、未来へと進むための大きな一歩だ」と
報道していたのが印象的だった。
アボリジニの人にとっては、取り戻せない過去だけれど
政府が非を認めたことで、有無を言わさず否定された民族の誇りは取り戻せただろう。
心の面の距離は一歩前進。
でも、まだ改善しなければならない問題がある。
例えば、現在、彼らに対し仕事場などでいまだに人種差別らしきことがあること。
一部、子供たちへ教育が行き渡っていないことなど。
大変なのはこれからだ、とだれもが思う。
けれど、この「SORRY」の一言が、これからの問題解決に向けての力になり
重要なキーワードになったことは、間違いない。
私はこの国に住んでまだ20年。
この国の将来を担う子供たちと共に、この歴史的瞬間に居合わせることができて
不思議でもあり、感動的でもあり。
自分にとっての第2の故郷としては、なかなか捨てたものじゃないなと思えた日だった。
・・・ついでに私も、自分の非は素直に詫びれるように性格を直したい
この日はオーストラリアの先住民族アボリジニの人々にとって
悲しい過去の歴史の闇から大きな一歩を踏み出せた、忘れられない一日だったと思う。
ラッド首相が、過去の政策で被害を被った先住民族アボリジニに対し
国として初めての公式謝罪をしたのだから。
ラッド首相が謝罪文を読む様子が、キャンベラの国会議事堂から
生中継で各都市に放送された。
キャンベラはもちろん、各都市の大きな公園などでは、大スクリーンが設置され
アボリジニや、支援する人びとが多く集まっていた。
真剣にラッド首相の謝罪文に聞き入りながら、号泣する人も。
この謝罪に対して国民の7割が支持をしたのだから
いかに皆が待ち望んだ日であったかが分かる。
ちょっと歴史の勉強をして調べてみると。
オーストラリア政府は、1869年から公式的には1969年までの間
様々な州法などによりアボリジニの親権を否定し
子供たちは強制収容所や孤児院などの施設に送る、という政策を取っていたそうだ。
その政策が、こんな最近になってまで続けられていたと言うことは驚き。
そのように、親から引き離された子供たちは
The Stolen Generations (または Stolen Generation)「盗まれた世代」と呼ばれている。
なぜそのような政策を取ったのかは、この国の歴史をもっと勉強しないとわからないが
白豪主義の思想が大きな背景にあったのではないかと思う。
白人は文明のレベルにおいて、アボリジニよりもすぐれているという考えがあった。
その子供たちを、オーストラリア社会に文化的に同化させるためには
親の元から引き離さなければならない。
確かに、アボリジニ社会には問題が多かったらしい。
子供が親から離された方が良い場合もあったそうだけど
離される必要がない家族も、もちろん多くいた。
その歴史があるから、いまだに国と彼ら民族との間に確執がある。
13日、首相が国を代表して「SORRY」と言ったことは、とても勇気ある行動と思う。
ほんの一言だけの短い「SORRY」と言う言葉。
ニュースで、ジャーナリストが
「それを言うまでの道のりは本当に長く、重いものだった。
だが、この国の人間が一体となり、未来へと進むための大きな一歩だ」と
報道していたのが印象的だった。
アボリジニの人にとっては、取り戻せない過去だけれど
政府が非を認めたことで、有無を言わさず否定された民族の誇りは取り戻せただろう。
心の面の距離は一歩前進。
でも、まだ改善しなければならない問題がある。
例えば、現在、彼らに対し仕事場などでいまだに人種差別らしきことがあること。
一部、子供たちへ教育が行き渡っていないことなど。
大変なのはこれからだ、とだれもが思う。
けれど、この「SORRY」の一言が、これからの問題解決に向けての力になり
重要なキーワードになったことは、間違いない。
私はこの国に住んでまだ20年。
この国の将来を担う子供たちと共に、この歴史的瞬間に居合わせることができて
不思議でもあり、感動的でもあり。
自分にとっての第2の故郷としては、なかなか捨てたものじゃないなと思えた日だった。
・・・ついでに私も、自分の非は素直に詫びれるように性格を直したい
