タバコが健康に悪い影響をおよぼす(特に肺がんの原因として)ことが言われ出してからかなりの年月が経ちますし、現在のアメリカではタバコの製造会社が消費者からの訴えにより、1件で何億、何十億円、何百億円というお金を払わされており、このような訴訟が全国で次々と起こされるという展開が続いているのが現状です。
明治以来の伝統(?)でしょうか、日本では何事もアメリカの何年かあとで同じ現象が起こる、見られると言われていますが、このタバコの害についてはどうなることでしょうか。
「タバコと健康」のことから「健康の根本」について少し考えてみます。
人間には人権と称します権利があり、正常に機能している集団、国家においては程度の差こそあれ、それが認められていますし、現代の日本では権利と義務という言葉は小学生でも知っていることです。
(ただ、言葉のもつ意味を誤解したり、はき違えている人があまりにも多いのが気になりますが。)
タバコを例にしてみますと、人はタバコを吸う権利と逆に拒否する権利を持っています。
そしてまた、禁煙と指定された場所でタバコを吸わないことは誰もが守らねばならない義務であります。
(義務を守らない、守れない人間があまりにも多いのは実になさけないことですが)
このような原則論は横に置くとしまして、人の権利の一つとしてタバコを吸うことが認められているからでしょうが、これだけタバコが良くないものだと分かってきた時代でもお医者様は患者に「タバコをやめろ」とは言わないですね。
仮にそのようなことを言うとしましても、「やめないと命の保証はできないよ」といった言い方で、結論は患者本人に任せます。
そう、
何事も自分のことは自分で決める、決めねばならないのです。
自分の健康は自分で考え、自分で守らねばならないのです。
その理由、根本につきましては、2001年に「真お健康を考える店」をオープンするときに、開店の趣旨の冒頭に書いておりますが、それ以降の多くのお客様他の方々とのやりとりと勉強の結果、人それぞれが環境問題等の自分をとりまく状況にあまりにも無関心であり、自分本位な考え方で行動していること、そして環境の問題、介護の問題の根本にあるものは人間という形而上学的存在であり地球上で最も身勝手な生き物の健康、生命にかかわる事象であることに思い至りました。
そして更に人間はひとりひとりが自分の行動はもとより自分の全てにもっと厳しく責任を持たねばならず、その責任を持つことの根源になるものは個人の健康であり、個人個人が健康で長生きできることであるというところに行き着きました。
何のため、誰のための健康かを各人がもっともっと考える必要があるのです。
年齢をかさねてから、「ああ、こうしとけばよかった」では、遅すぎます。
一生を通しての健康は今現在の年齢とは関係なく、人それぞれのまさに今の今が大切なのであり、決断と実行がキーポイントなのです。
明治以来の伝統(?)でしょうか、日本では何事もアメリカの何年かあとで同じ現象が起こる、見られると言われていますが、このタバコの害についてはどうなることでしょうか。
「タバコと健康」のことから「健康の根本」について少し考えてみます。
人間には人権と称します権利があり、正常に機能している集団、国家においては程度の差こそあれ、それが認められていますし、現代の日本では権利と義務という言葉は小学生でも知っていることです。
(ただ、言葉のもつ意味を誤解したり、はき違えている人があまりにも多いのが気になりますが。)
タバコを例にしてみますと、人はタバコを吸う権利と逆に拒否する権利を持っています。
そしてまた、禁煙と指定された場所でタバコを吸わないことは誰もが守らねばならない義務であります。
(義務を守らない、守れない人間があまりにも多いのは実になさけないことですが)
このような原則論は横に置くとしまして、人の権利の一つとしてタバコを吸うことが認められているからでしょうが、これだけタバコが良くないものだと分かってきた時代でもお医者様は患者に「タバコをやめろ」とは言わないですね。
仮にそのようなことを言うとしましても、「やめないと命の保証はできないよ」といった言い方で、結論は患者本人に任せます。
そう、
何事も自分のことは自分で決める、決めねばならないのです。
自分の健康は自分で考え、自分で守らねばならないのです。
その理由、根本につきましては、2001年に「真お健康を考える店」をオープンするときに、開店の趣旨の冒頭に書いておりますが、それ以降の多くのお客様他の方々とのやりとりと勉強の結果、人それぞれが環境問題等の自分をとりまく状況にあまりにも無関心であり、自分本位な考え方で行動していること、そして環境の問題、介護の問題の根本にあるものは人間という形而上学的存在であり地球上で最も身勝手な生き物の健康、生命にかかわる事象であることに思い至りました。
そして更に人間はひとりひとりが自分の行動はもとより自分の全てにもっと厳しく責任を持たねばならず、その責任を持つことの根源になるものは個人の健康であり、個人個人が健康で長生きできることであるというところに行き着きました。
何のため、誰のための健康かを各人がもっともっと考える必要があるのです。
年齢をかさねてから、「ああ、こうしとけばよかった」では、遅すぎます。
一生を通しての健康は今現在の年齢とは関係なく、人それぞれのまさに今の今が大切なのであり、決断と実行がキーポイントなのです。