残照日記

晩節を孤芳に生きる。

人口減時代

2012-01-11 17:53:42 | 日記
【発想の大転換を!】
≪韓非子曰く、「事は世に従い、備えは事に適応させよ」と。≫

≪千葉県、初の人口減少 東京圏1都3県も人口減時代に──千葉県の人口が昨年、1920年の統計開始以来初めて減少することがわかった。東京、神奈川、埼玉を含めた1都3県の東京圏の人口はこれまで増加基調が続いてきたが、先陣を切って人口減時代に入る。 千葉県の毎月常住人口調査によると昨年12月1日は620万9303人で、年始から7724人減った。年末に大きく増える要因はなく減少は確実。今年1月末発表の調査月報で確定する。県は2010年に作った長期計画で17年までは人口増を続けると予測していたが、7年早くなった。 引き金は、東京に近く、県全体の人口増を引っ張った柏、松戸市など常磐線沿線の東葛飾地域や、市川、浦安市など東京湾沿いの京葉地域の変化だ。…埼玉県は全国一の速度での高齢化の進展を踏まえ「10年代後半がピーク」。神奈川県も県西部で人口減が既に始まり、「20年からは減少」と予測。≫(1/9 朝日新聞)

∇≪東京“2020年から人口減少”──地方からの流入などで増加傾向が続いている東京の人口が、少子高齢化などの影響で、8年後の2020年をピークに、その後、減少に転じることが、東京都が行った予測で分かった。…それによると、2010年に1316万人だった東京の人口は、2020年に1335万人となり、ピークに達するが、その後は減少に転じ、2035年にはピーク時より57万人少ない1278万人に減少するとしている。これは、若い世代を中心とした地方から東京への流入が弱まる一方で、少子高齢化に伴って、死亡する人の数が生まれてくる人の数を上回る傾向が一層強まると予測されるためである。また、2020年には、65歳以上の高齢者が全体の24%に当たる321万人に上り、このうちの4人に1人が、1人で暮らす、世界でこれまで経験したことのない超高齢社会に入るとしている。≫(1/9 NHK)──関東首都圏でさえ、予測以上の速さで、高齢少子化が進んでいる。

∇老生の住む千葉県の場合、県は2017年までは人口増を予測していた。朝日新聞・千葉版に載っていた統計値をみると、昨年12月1日現在の県全体の常住人口は約621万人で、過去10年で4.2%増加したが、自治体別人口増減率を見るとその格差は甚だしい。全部で54ある市町村のうち、±0%以上増加した市町村は半数以下の25。≪南部や東部やはすでに過疎化が進んでいる≫≪一人の女性が産む子供の数を示す合計特殊出生率は1.32(10年)と全国平均を下回る。65歳以上の老年人口は、15歳未満の年少人口の1.6倍を上回る。…現在3人の現役が高齢者1人を支えている。…≫──「高齢少子化への対策が急務」なる警告は、形式的にはずっと続いていた。しかし、常に「対岸の火事」で尻切れトンボで凋んでしまう。首都圏の人口構造でさえ猛烈な勢いで変わっている。韓非子ではないが「事は世に従い、備えは事に適応させよ」を急がねばならない。発想の大転換が急務なのだ。例えば、過疎化地域からの退去、「ふるさと創生」思想の棄却、持ち家から借家志向へ、仕事のある国内外への転居、柔軟で臨機応変な生き方の徹底etc etc etc。老生は今年こそ虎変・豹変していこうと決意している。

成人式

2012-01-09 17:21:30 | 日記
【明日は明日…】山上の垂訓
≪この故に明日のことを思ひ煩ふな、
 明日は明日みづから思ひ煩はん。
 一日の苦勞は一日にて足れり。≫

≪震災で地盤が液状化する被害が広がった千葉県浦安市で成人の日の9日、東京ディズニーランドを会場に恒例の成人式が行われた。浦安市の成人式は、ことしも東京ディズニーランドが会場となり、スーツや色とりどりの振り袖を着た新成人、1200人余りが出席した。浦安市は、市の面積のおよそ85%が震災によって地盤が液状化する被害を受け、式では松崎秀樹市長が「ことしは復興元年であり、その先頭に立つのは若い皆様です。震災でダメージを受けた浦安を震災に強い安心できる街にするという復興の思いを一つにしてほしい」と新成人に呼びかけた。このあと新成人が、「不屈」や「感謝」といった成人の抱負を漢字2文字で披露し、復興への誓いを新たにしていた。…≫(1/9 NHKニュース)

∇総務省の発表によれば、今年1月1日時点の「新成人」の数(推計値)は122万人。ピークは、第一次ベビーブームの世代が成人を迎えた1970年で246万人。なんと、今ではその時の半分以下の水準になってしまった。その成人たちが選んだ≪成人の抱負を漢字2文字≫の中に、「不屈」や「挑戦」「感謝」があるのは嬉しいが、「地道」と書いていた男性がいた。又、別会場でも、着物姿の女性が、≪地道に生きていこうと思います。≫とインタビューに答えていた。新成人が抱負に「地道」を挙げるというのは、いいような老成し過ぎのような、どうも複雑な気持だ。震災の影響だろうか──。一方で成人式のトラブルは例年通り多い。≪新成人、酒飲んで騒ぎ壇上へ─北海道釧路市で、参加した新成人の一部が会場で禁止された飲酒をし、壇上に上がって式の進行を妨げるトラブルがあった。≫≪成人式後、バイクで暴走・検問突破…2人逮捕 ≫(読売】≪沖縄の成人式、今年も荒れる 5人逮捕、警官と衝突も≫(朝日)≪成人式帰りに線路横断、駅員に暴行…自称東大生を逮捕 ≫(産経)etc 

∇もともと「成人」とは、≪心身が発達して一人前になった人。成年に達した人間。≫(大辞泉)。 古代中国での「成人」は、「完成された大人」の意。「論語」憲問篇に、高弟の子路が「成人」とはどういう人か、と孔子に訊ねた箇所がある。孔子は、魯国の賢人である4人の名を挙げ、次のように答えた。≪臧武仲(ぞうぶちゅう)の知、公綽(こうしゃく)の不欲、卞荘子(べんそうし)の勇、冉求(ぜんきゅう)の芸の若(ごと)き、これを文(かざ)るに礼楽を以てせば、亦た以て成人と為すべし。≫と。内面には「知」「不欲(無欲)」「勇」「芸(教養)」を具有した人物で、外面は礼儀と雅楽を装った者だ、と。さらに、≪利を見ては義を思い、危うきを見ては命(いのち)を授く、久要(きゅうよう)、平生の言を忘れざる、亦た以て成人と為すべし。≫ と。即ち、利益を前にして正義を考え、危険を前にして一命をささげ、古い約束事や普段の一寸した言葉も忘れないというのなら、「成人」と言えるだろう、と。これは中々厳しい「成人」像だ。

∇今朝の朝日社説は、「成人の日に―尾崎豊を知っているか」と題して、20年前に亡くなった、ロック歌手・尾崎豊の反骨精神・自由な生き方を取り上げ、かつては若者たちが共感したその心象を、最近の若者たちが≪うんざり顔≫している風潮に対し、≪尾崎豊はどこへ行ったのか≫と問いかけた。≪オヤジと同世代、精神科医の香山リカさんは毎年、大学の授業で尾崎豊を聴かせ、感想を問うてきた。ここ数年「自己中心的なだけじゃないか」「何が不満かわからない」と、批判的な意見が増えているという。≫。≪あの時の尾崎と同じ26歳、気鋭の社会学者、古市憲寿さんには「オヤジよ、放っておいて」と言われそうだ。 近著「絶望の国の幸福な若者たち」では、20代の7割が現在の生活に満足している、との調査結果を紹介している。過去40年で最高だ。 将来の希望が見えないなか、未来を探すより、親しい仲間と「いま、ここ」の身近な幸せをかみしめる。そんな価値観が広まっているという。≫ 若者が変わりつゝある。

∇社説は、≪キミたちは「自分にスキルが欠けるから」と、どこまでも謙虚だ。格差も貧困も「自己責任さ」と、受け入れてしまっているようにみえる。 ≫として、新成人よそれじゃあいかん、と、こう締めた。≪私たちは最近の社説でも、世界の政治は若者が動かし始めたと説き、若者よ当事者意識を持てと促した。それだけ社会が危うくなっていると思うからだ。 だから、くどいけれど、きょうも言う。成人の日ってのは、そんなもんだ。≫と。──しかし、この忠告もムダであろう。正直なところ、現在、「政治」「当事者意識」は、彼らにとって死語に近い。大震災の悲惨さは、「目の前の当たり前な仕合せ」の大切さをイヤという程感じさせた。明日や将来など考えられない。ほど/\でいい、今、今が大切なのだ。マタイ伝ではないが、≪ この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦勞は一日にて足れり。≫の現実版なのだ。老生最近とみに思う、「次世代を鑑みた増税」等“老人たちの配慮”も、彼らには「御節介事」かもしれない。“今、増税”は困る、のである。…


七草粥

2012-01-07 17:30:20 | 日記
【春の七草】
○せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ 
    すずな すずしろ 春の七草 (冷泉家伝歌)

∇かつての日本には「五節句」といって、毎年5つの節句があり、人日(七草がゆ)・上巳(桃の節句)・端午(端午の節句)・七夕(七夕祭り)・重陽(菊の節句)と称した。これらの行事は当初は貴族たちが無病息災・家内安全を願い、それぞれ季節の節目にけがれを祓う大切な行事だったそうだ。今日はその第一節句「七草がゆ」。「芹」「菘(すずな)=蕪」「清白(すずしろ)=大根」は誰もが知る台所の常連野菜。「薺(なずな)」は別名「ぺんぺん草」、「繁縷(はこべら)」「御形(ごぎょう)=母子草」「仏の座(ほとけのざ)=田平子(たびらこ)」等は「野草図鑑」で調べないと一寸思い浮かぶまい。実のところ、「七草粥」は、手元の辞書を引くと分るように次の二つがある。≪1 正月7日に春の七草を入れて炊く粥。ナズナかアブラナの葉だけを用いる地方もある。2 正月15日に米・粟(あわ)・稗(ひえ)・黍(きび)・麦・胡麻(ごま)・小豆(あずき)を入れて炊いた粥。のちに小豆粥となった。≫(大辞泉)。今朝「21世紀の森と広場」を周遊してきたが、北風がぴゅーぴゅー吹いて、「春の七草」を感じるにはまだ程遠かった。手がかじかんで、筆のノリも今一である。早く第二の「桃の節句」が待ち遠しい。 


ギネス級離婚

2012-01-06 17:43:50 | 日記
【災難は、忘れた頃に……】聖書「箴言(7-1)」
≪明日のことを誇ってはならない。一日のうちになにがおこるかを知ることができないからだ。≫

≪伊でギネス級白寿離婚=40年代の妻の浮気許さず―─英紙デーリー・テレグラフ(電子版)は12月31日、イタリアで99歳の夫が96歳の妻に離縁を言い渡す「世界最高齢」離婚があったと報じた。夫はクリスマスの数日前、たんすから古い小箱に入ったラブレターを発見。1940年代、若かりし妻がひそかに浮気していたのに気付き、怒りが収まらなかったという。妻は浮気の過去を認め、洗いざらい白状したが、夫の離婚の決意は固く、翻意しなかった。夫妻は77年間連れ添った仲だった。5人の子供、10人以上の孫、さらに、ひ孫も1人いる。≫(1/1 時事通信 )

∇何で又、人生の終末も終末になってこんなことが発覚するのだろう。「箴言」に曰く、≪主の目はどこにでもあって、悪人と善人とを見張っている。≫(15-3)。 孔子も曰く、≪人の生くるは直(なお)ければなり。これを罔(あざむ)きて生くるは、幸(さいわい)にして免(まぬが)るるなり。(雍也篇)≫(人間が生きてゆくのに最も大切なことは、正直であることだ。不正直者が悪を働いて天罰を逃れたとしても、偶々一時的に逃れただけのこと。時期が至ればきっといつかは天の鉄槌が落ちるものだ。正直に生きよう、と。) 老夫婦の事件は、人間どもにそれを覚醒するための仕打ちなのだろうか? いやはや、クワバラ/\。それにしても老夫婦はこの後一体どうなるのだろう。離婚を言い渡された老妻は勿論だが、老夫だって急激に寿命を縮める筈だ。或は老夫にも生前、何某かの「悪行」があったのかも。そうでないと理屈に合わない?!ωκ$%&△Σ#??! 嗚呼!


物事の評価

2012-01-05 18:16:06 | 日記
【ルノアールのゴッホ評】
≪画家と言われるのには、腕達者な職人では足りない。絵というものは、絵かきが、好んで自分の絵の機嫌をとっているということがわかるような絵でないといけない。ゴッホに欠けていたのは、そういうところだ。彼の絵を、すばらしいと人が言うのを耳にするが、彼の絵は、恋しい人を愛撫するような具合に、絵筆で可愛がられていない。≫(小林秀雄「ゴッホの絵」)

≪バイオリン名器の音色、現代モノと大差なし?──何億円もすることで有名なバイオリンの名器「ストラディバリウス」や「ガルネリ」は、現代のバイオリンと大差ないとする意外な実験結果を仏パリ大学の研究者らが3日、米科学アカデミー紀要で発表した。研究チームは、2010年、米インディアナ州で開かれた国際コンテストに集まった21人のバイオリニストに協力してもらい、楽器がよく見えないよう眼鏡をかけたうえで、18世紀に作られたストラディバリウスや、現代の最高級バイオリンなど計6丁を演奏してもらった。どれが一番いい音か尋ねたところ、安い現代のバイオリンの方が評価が高く、ストラディバリウスなどはむしろ評価が低かった。研究チームは「今後は、演奏者が楽器をどう評価しているかの研究に集中した方が得策」と、名器の歴史や値段が影響している可能性を指摘している。≫(1/4  読売新聞)

∇ストラディバリウスといえば、音楽音痴の老生でも知っている「バイオリンの名器中の名器」。日本のヴァイオリニスト辻久子が、1973年(昭和48)、自宅を3500万円で売却し、3000万円のストラディバリウスを購入して、話題になったのを覚えている。とにかくストラディバリウスといえば、ヴァイオリニストや収集家の羨望の的であり、真作であれば数億円の値がつくことも珍しくない。昨年6月に、、日本音楽財団が英国のオークションに出品し、約1600万ドル(12億円強」で落札されたことも記憶に新しい。それが、≪安い現代のバイオリンの方が評価が高く、ストラディバリウスなどはむしろ評価が低かった≫、しかも、≪仏パリ大学の研究者らが、米科学アカデミー紀要で…名器の歴史や値段が影響している可能性を指摘している。≫、というのだから、関係者の驚き様は…? と騒ぎ立てたい気も分らぬではないが、一寸待て待て──

∇ゴッホの絵が生前に売れたのはたった一枚「赤い葡萄畑」だった。彼が評価されたのは死後15年経ってから。そして現代どれだけの画家たちが彼の絵に「心酔」しているだろうか。ルノアールのゴッホ評にも見られるように、芸術家例えば画家は、個性的であるほど、各々独自の評価基準を持っているものだ。≪国際コンテストに集まった21人のバイオリニスト≫によるストラディバリウスの音色の良し悪しの評価にどんな意義があるのだろうか。それこそ名門≪仏パリ大学の研究者≫や、「ネイチャー」「サイエンス」と並ぶ有名な総合学術雑誌≪米科学アカデミー紀要≫等々のブランドイメージに惑わされてはいけない。老生思うに、評価対象者の偏った(この例では音楽家)、マーケティングの基本的初歩である「セグメンテーション」に当を得ない学術論文(?)に疑義を挟まざるを得ない。最近の諸種「世論調査」「アンケート」にも共通した傾向がある。今年は「革」(改まる)年。安物売り楽器商が狂喜するくらいの、こんな幼稚な研究から脱却して欲しいものである。もっともブランドかぶれの人々への鎮静剤としては、多少役立つかもしれないが…。