残照日記

晩節を孤芳に生きる。

天道の報応

2012-01-25 11:53:55 | 日記
【天道の報応について】(伊藤東涯「訓幼字義」)

≪天道の報応一人の上に就いて見るときは、たがふやうなれども、千万人のうへに通じてこれを見れば、たがふ事なし、一時の間によりていへば、たがふやうなれども、千万世に通じてこれを見れば、たがふことなし、天道はまことに大事なり、くど/\しく一時にかぎり一人につゐて見るべからず、たとへば扛秤(ちぎ=さおばかり)の物をはかるがごとし。……老子曰く「天網恢恢、疎にして失わず」(天の網は粗っぽいようだが、どうして、善人と悪人とを見張っている。)、と。老子は異端の書なれども、此の言葉は理(ことはり)なり。天道は大まかなるやうなれどもちがふ事なしといふことうたがひなし。

然るに世の人、一人一事につゐて天道を見るによりて、ちがひあるようにおぼゆ、世の中にあしき事をして禍にあはず、或は福を得るものもあれども、是はたま/\の事にて、おしなべては左あらず、しばらくはよきようなれども、古今の間に通じ、後々を見て、よろしき事なし、人々気みじかく意得せばくおもふゆえに、うたがひ多し、楚の申包胥がいへる「人多ければ天に勝ち、天定まりて亦た能く人に勝つ」と。是又名言なり。≫  伊藤仁斎の息子・東涯の人生観は、人間の歴史は、巨視的に見れば、必ず善の勝利に帰す、との考えである。そうあって欲しいものだ。──ところで老生も今年68歳になる。愈々人生も黄昏、色々なことの「店仕舞い」を急がねばならない。散策途上、あれやこれやを考え続けて対策を練っている。……