長谷川櫂という人の本を3冊読みました。「決定版一億人の俳句入門」「一億人の季語入門」「一億人の切れ入門」。どれも勉強になります。
はあ~、俳句ってすごい。お釈迦様の教えを聞いてるみたいです。深いわ・・・。
図書館でみつけた長谷川櫂さんの本、4冊目。
俳句を中心とした俳句にまつわるあれこれ、、、随筆、かな。俳句を詠む人だけあって、言葉や文章も美しく、「いい読書の時間だったなあ」という実感。
>桜であれ朝顔であれ花は時がくればみな散ってゆく。散らない花などどこにもない。散らない花など花ではない。しかし、散ってしまったあとも人の心の中にその花の面影は残る。花自身はいずれは消えてゆくということを運命としながら人の心に面影を宿してゆく。面影のために花は咲いて散ってゆく。無心な花を眺めているとそんな気がする。(第四章 面影より)
>俳句は十七音しかない。いいたいことの大半は潔くか嫌々ながらか、どちらにしても捨てなければならない。いいたいことにこだわっていては俳句にならないからである。いいたいこと、いいかえると自分自身へのこだわりを捨てることが俳句にとっては大事である。(第五章 捨てるより)
>俳句の俳とは権威や常識にとらわれずに思ったままをずばりということ
>言葉に包まれる人の心こそが俳であり、心を忘れた「ざれごと」は俳諧にあらず(第十章 俳より)
俳優の俳は喜劇、俳は真実をくるんだ滑稽な言葉。優は悲劇。俳優とは喜劇悲劇を演ずる人。なるほど・・・。
正岡子規が「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りというふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」と書いたこと。
人生は辛酸に満ちていて、楽しみより苦しみの方が多いのはそのとおりで、
>俳人は苦しみや悲しみを笑いに転じる。人の世に満ちる悲惨の数々を最後まで見届ける。これが俳人の精神であり、「かるみ」だった。(第十一章 平気より)
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭蕉
晩年の芭蕉が、笑いやかるみを重く見た話、あと、グラウンドゼロやテロの話など、本当に肯けることばかりだった。うん、やっぱり俳句って、いい。
切る、生かす、取り合わせる。俳句とは面影。俳句は捨てる。
大寒の埃の如く人死ぬる 高浜虚子
細雪妻に言葉を待たれをり 石田破郷
谷崎潤一郎の「細雪」、読んでみよう。
俳句は詠むのもいいが、読むのもいい。十七音の後ろに、広くて深い世界がある。かっこいい~。クール
ああ、ワタシもちゃんと詠んで、読めるようになりたいものです。頭でっかちにならないように、知識ではなく智慧として。仏教も俳句も修行、実践が大事ですね。
俳句的生活。俳句的生き方。
憧れと気合いばかりで日が暮れる・・・?
星4つ
私は広く浅くです^^
したっけ。
深いものに惹かれるんです~~。
初心者なんで、理想と現実のギャップは大きいですけどね^^
潔さが必要なのですね。
まあ、そこまでいかなくても、俳句で日常を豊かにすることができるといいですよね。
言わない、省略、捨てる・・・切ることで間をつくる・・・ふかいですね。
ワタシがつくるとわけの分からない句になってしまう