【あの人の額装からは、音楽が聞こえてきた―。
未熟児で生まれ、両親はばらばら。混線していた私の世界がゆっくり静かにほどけだす。はじまりは、訪問介護先での横江先生との出会い。
そして、あの人から頼まれた額装の手伝い…。
心をそっと包みこむ、はじまりの物語。】
文章のあちこちにこの世の真理があり、共感納得する言葉がある。イメージが伝わってくる。
そうそう、わかる。その通りなんだよなあ。
みんな足らないんだ。
「夏は絹 冬は木綿 今はあんころ」
小さく産まれ親に保育器にも入れてもらえず、小さい体に育ち、人の話がうまく聞き取れず
トンチンカンな答えになってしまう。
教室の前の席の男の子から「バカがうつる」と言われ、仕事も資格を取るのもなかなか難しい。
でも、それで不幸だとか幸せだとかは思わない。
期待せず、比べず、決めつけず、もちろん押しつけず生きてきた佐古。
見え方は人によって違うということを知っている。そして、人の使う言葉では、
思い(イメージ、感覚)は完全に表現することはできないということを知っている。
そんな佐古を先生は「賢い」と言い、隼やあの人は「強い」「大きい」と言う。
言葉や知識がある人が賢いんじゃない。心の清らかな人が賢いんだ。そういう人が
強くて大きいんだ。
「アウトでもセーフでも私はかまいません」
共感した文章をあげればきりがない。
「同級生のことを『クラスの友達』と呼ぶのが小学校での習わしだった。友達じゃないのに
友達と呼ぶのはおかしい気がしたが、私の気など誰も気にしちゃいない。・・・そんな友達が
百人いたってなんにもならないのだ」
「人に支えられて歩くのは楽ではない。自力で歩く方がいい」
「たぶん、タンポポって見えてる部分だけがタンポポなんじゃない。花も茎も葉も、そして地中に埋まった根っこも含めて丸ごとタンポポだし、だから花が咲いても、綿毛になっても、やがて枯れて朽ちても、ニュースじゃない。その一場面一場面がタンポポなのだから」
「壊れてしまった日々、なくしてしまった日々を、取り戻せるわけがない。取り戻せないから、取り戻さずやっていく。」
「みんな持ってる物差しが違うんだよ」
・ ・ ・ 書ききれない。
私が間違っていた。「お母さんとお父さんのせいにするからいけなかったんだ」
佐古のはじまりの物語である。先生家族との関わりの中で佐古はまた、新しい人生を生きていく。
ほっとする。おだやかな気持ちになれる作品。
みんなちがって、みんないいと思えるとてもいい作品だった。
この作品の中に出てくる、エラ・フィッツジェラルドの「サマータイム」
「よろこびの歌」もよかったが、この人の作品はすきだな。また、他の作品も読んでみたい。
星5つ
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