暇だったからナンパでもしようとバルに行ったのよ。
まぁ、正確に言うと
バルというかファミレスかな。
ナンパというか食事かな。
で、メニューにね”キクラゲと玉子”って書いてあったら何を犠牲にしてもそれを頼む性癖が僕の体内にありますので、それにすることに。
豚肉とキクラゲと玉子の炒め物みたいな名前だったかな。
だから豚を犠牲にしてでも頼んだよ。
ブヒアーメン
で、肝っ玉は小さいけど大食漢な私はそんな炒め野郎単品で済ませるにはいかんから穀物も選ぶんだ。
だっふんだ。
ごはんセット200円
ごはん単品180円
ふむ。
ごはんセットだ。
あとはメニューに”あんかけ”と書いてあったら親を質に入れてでも頼まないといけない使命も性癖と同時に体内にありましたので、あんかけ五目麺も頼む。
不孝なあたしですみません。
で、10分後、性癖と使命を果たした私のテーブルにならんだ品目を赤裸々に羅列すると
あんかけ五目麺
豚肉とキクラゲと玉子の炒め物
ごはん
以上の3つです。
サザエさんか。
…
…
なるほどなるほど
なるほどね。
生きるとは?
死ぬとは?
セットとは?
暫定的答えをね、それを受け入れて安寧するのもいいんだけど、答えの出ないことを考え続ける。
それはとても、とても苦しい行為かもしれないけど、そこに明らかに他の生物とは違う(と思う)人間の醍醐味があるんじゃないかと
そんなことを再確認させられるバルでナンパの一件でした。
ちなみに
俺の性格を知らない俺素人のあなたに教えとくと、こういう場合 店員さんになにも問わないヘタレが私です。
不満や疑問があっても適当な理由付けて文句を言って自分を納得させてしまうんですな(私のいる環境が平和で豊かな証拠です)。
疑問を疑問のままにしとくのは本来良くないことなのですが、でもね、店員さんに「なぜ人は死ぬのにわざわざ生まれてくるのですか?」と問うたところで「人だけじゃないです」くらいしか返ってこないだろうから僕が意を決して生死と同じレヴェルの「セットとは?」と問うたところで「人だけじゃないです」って返ってくるのがせいぜいやろ。そうだろ?
そんなんじゃ僕、安寧もできないよ。
適当な理由を付けたほうが適切だということもあるんです。
深い。
セット図の写真にはね、ごはんとスープが載ってたんだ。
これがおそらくセットの正体。
でもこういうときのスープって麺のスープなことがほとんどで、そのスープって五目麺のスープとどうせ大差ないだろうし「麺のスープ足りない」と人生で一度もなったことがないやりくり上手な一面もあるのが私本来ですので、つまり今ケースにおいて店員さんに詰め寄ってまでスープを得る必要は僕には無い。
もしこのスープがかきたま汁やサンラータンかもしれなかったら日本の平和歴史に一旦幕が降りるところだったがな!しかし総合的に考えてその可能性を元に行動するほどの確率ではない。だから私は動かない。
スープの最終定理
これにて証明終わり。
とまぁ、付け忘れたんだか麺のスープあるからいらないだろうと勝手に決められたかは分かりませんがそんなとこだろうということです。
料亭 松の屋でもたまにあるんだよな
牛丼とカレー頼んだときにみそ汁が1つしか来なかったり「みそ汁はいくつお付けしますか?」というこの世で一番嘆かわしい質問されることが。
1つしか来なかったときの80%くらいで店員さんに言いますからね「あんさん、みそ汁もう1つ出しなはれ」って。
あとの20%は言い出せず泣き寝入り。
消費者庁に言いつけてやる!って叫びながらおいおい泣いて疲れ果てて眠るのです。
(実際にはチクッたりはしませんけどね。テヘペロ)
自分に対しての不条理の99.9999%に対しては薄ら笑いを浮かべ見て見ぬふりして誤魔化すタイプの人間なのに申し出率80%ですから、相当だということが分かるでしょう。
とまぁ、そこまでの汁必要人間が泣き寝入りもしない程度で”今回はいらない”と思うということは大して欲してもなかったわけですからセットではなくそもそも単品で良かったんじゃないかと諸兄らは思われるかもしれませんが、私はまともなので自分の五感に絶対的信頼を置いてはいないのです。
僕が見た写真には ごはんとスープ だけしか写ってなかったからといって、本当にその写真にはその二つしか写ってないとは言い切れないのです。
アイスクリームやエロ本が写っている可能性も0ではありません。
見えるはずのものが見えてなかったなんて経験は1万回くらいしてますからね。
(ホント不思議ですよねあの感覚。視覚系以外のときも)
見えないはずのものが見えたことはほとんどないですから、私は見えたらそこまで疑わないけど見えなかったら疑います。
本当にそこに無いのか と。
(”本当”をどこに設定するかはもう自分で決めるしかありません)
そうじゃなくてもね、写真にはテーブルも写ってたからさ、テーブルも200円の中に入ってる可能性があるはずじゃん?
”ごはんとスープセット”って書いてなく”ごはんセット”の写真にごはんとスープが載ってたからごはんとスープとテーブルが付いてきても全然不思議ではないわけです。論理的にな。
そこにきて
ごはんしか来ないなんて論理の外。
宗教の領域です。
私は黙るしかない。
最悪でもごはんとスープ、良い方に転がればごはんとスープとテーブル という勝利が確定した勝負だったのに運ばれてきたのは”ごはんだけ”なんてもうお手上げ。
(実際には手を上げませんでしたけどね。テヘペロ)
僕には見えなかったけどもしかしたら僕は涙を流しながら食事してたかもしれない。
おっぱい
まぁ、正確に言うと
バルというかファミレスかな。
ナンパというか食事かな。
で、メニューにね”キクラゲと玉子”って書いてあったら何を犠牲にしてもそれを頼む性癖が僕の体内にありますので、それにすることに。
豚肉とキクラゲと玉子の炒め物みたいな名前だったかな。
だから豚を犠牲にしてでも頼んだよ。
ブヒアーメン
で、肝っ玉は小さいけど大食漢な私はそんな炒め野郎単品で済ませるにはいかんから穀物も選ぶんだ。
だっふんだ。
ごはんセット200円
ごはん単品180円
ふむ。
ごはんセットだ。
あとはメニューに”あんかけ”と書いてあったら親を質に入れてでも頼まないといけない使命も性癖と同時に体内にありましたので、あんかけ五目麺も頼む。
不孝なあたしですみません。
で、10分後、性癖と使命を果たした私のテーブルにならんだ品目を赤裸々に羅列すると
あんかけ五目麺
豚肉とキクラゲと玉子の炒め物
ごはん
以上の3つです。
サザエさんか。
…
…
なるほどなるほど
なるほどね。
生きるとは?
死ぬとは?
セットとは?
暫定的答えをね、それを受け入れて安寧するのもいいんだけど、答えの出ないことを考え続ける。
それはとても、とても苦しい行為かもしれないけど、そこに明らかに他の生物とは違う(と思う)人間の醍醐味があるんじゃないかと
そんなことを再確認させられるバルでナンパの一件でした。
ちなみに
俺の性格を知らない俺素人のあなたに教えとくと、こういう場合 店員さんになにも問わないヘタレが私です。
不満や疑問があっても適当な理由付けて文句を言って自分を納得させてしまうんですな(私のいる環境が平和で豊かな証拠です)。
疑問を疑問のままにしとくのは本来良くないことなのですが、でもね、店員さんに「なぜ人は死ぬのにわざわざ生まれてくるのですか?」と問うたところで「人だけじゃないです」くらいしか返ってこないだろうから僕が意を決して生死と同じレヴェルの「セットとは?」と問うたところで「人だけじゃないです」って返ってくるのがせいぜいやろ。そうだろ?
そんなんじゃ僕、安寧もできないよ。
適当な理由を付けたほうが適切だということもあるんです。
深い。
セット図の写真にはね、ごはんとスープが載ってたんだ。
これがおそらくセットの正体。
でもこういうときのスープって麺のスープなことがほとんどで、そのスープって五目麺のスープとどうせ大差ないだろうし「麺のスープ足りない」と人生で一度もなったことがないやりくり上手な一面もあるのが私本来ですので、つまり今ケースにおいて店員さんに詰め寄ってまでスープを得る必要は僕には無い。
もしこのスープがかきたま汁やサンラータンかもしれなかったら日本の平和歴史に一旦幕が降りるところだったがな!しかし総合的に考えてその可能性を元に行動するほどの確率ではない。だから私は動かない。
スープの最終定理
これにて証明終わり。
とまぁ、付け忘れたんだか麺のスープあるからいらないだろうと勝手に決められたかは分かりませんがそんなとこだろうということです。
料亭 松の屋でもたまにあるんだよな
牛丼とカレー頼んだときにみそ汁が1つしか来なかったり「みそ汁はいくつお付けしますか?」というこの世で一番嘆かわしい質問されることが。
1つしか来なかったときの80%くらいで店員さんに言いますからね「あんさん、みそ汁もう1つ出しなはれ」って。
あとの20%は言い出せず泣き寝入り。
消費者庁に言いつけてやる!って叫びながらおいおい泣いて疲れ果てて眠るのです。
(実際にはチクッたりはしませんけどね。テヘペロ)
自分に対しての不条理の99.9999%に対しては薄ら笑いを浮かべ見て見ぬふりして誤魔化すタイプの人間なのに申し出率80%ですから、相当だということが分かるでしょう。
とまぁ、そこまでの汁必要人間が泣き寝入りもしない程度で”今回はいらない”と思うということは大して欲してもなかったわけですからセットではなくそもそも単品で良かったんじゃないかと諸兄らは思われるかもしれませんが、私はまともなので自分の五感に絶対的信頼を置いてはいないのです。
僕が見た写真には ごはんとスープ だけしか写ってなかったからといって、本当にその写真にはその二つしか写ってないとは言い切れないのです。
アイスクリームやエロ本が写っている可能性も0ではありません。
見えるはずのものが見えてなかったなんて経験は1万回くらいしてますからね。
(ホント不思議ですよねあの感覚。視覚系以外のときも)
見えないはずのものが見えたことはほとんどないですから、私は見えたらそこまで疑わないけど見えなかったら疑います。
本当にそこに無いのか と。
(”本当”をどこに設定するかはもう自分で決めるしかありません)
そうじゃなくてもね、写真にはテーブルも写ってたからさ、テーブルも200円の中に入ってる可能性があるはずじゃん?
”ごはんとスープセット”って書いてなく”ごはんセット”の写真にごはんとスープが載ってたからごはんとスープとテーブルが付いてきても全然不思議ではないわけです。論理的にな。
そこにきて
ごはんしか来ないなんて論理の外。
宗教の領域です。
私は黙るしかない。
最悪でもごはんとスープ、良い方に転がればごはんとスープとテーブル という勝利が確定した勝負だったのに運ばれてきたのは”ごはんだけ”なんてもうお手上げ。
(実際には手を上げませんでしたけどね。テヘペロ)
僕には見えなかったけどもしかしたら僕は涙を流しながら食事してたかもしれない。
おっぱい