ブログ開設から5000日
私は素早く概算できないピーポーなので電卓使いましたら14年弱くらい。
私が頼りになるなと思う人は"ざっとした量をパッと計算か想像できて、それが合ってるという人"
比較的高いレヴェルで理性的もしくは感覚がまともだからですね。
惚れてまいます。
その次は"時間かかっても計算する人"
理性的かつ常識的ですからね。
惚れてまいます。
あとは私の味方。
その三者くらいでしょうか、私が惚れてまう相手は。
さてブログ
なんで変えたか記憶にございませんですが、ここの前にもやってまして(同じgooブログで)、そっちは5730日。
つまり730日で変えたわけだからちょうど2年。
記事数(記事ってなんかあれですが)、こっちは1553個で平均すると3、4日に1回ペース
あっちは驚異の713個で、ほぼ毎日
「ほぼ毎日やろう」と決めたことは覚えてます。
自分の22歳くらいのことが毎日垣間見えるなんてなかなかかもしれません。
期間は7倍ですが記事数は2倍
日々コツコツの威力はやはりなかなか。
あっちもこっちも見返してみると、今と全く同じことだったり、全然違うことだったり、意味分からないことだったり、なんかこの時なにかを思ってたんだなと仄かに香るものだったり、どんずべりしてたりと、なかなか面白い。
SNSと同じで単発、短期間ではどうとでも取れますが、それなりの量になるとその人の思考パターンの判断材料として採用してもいいと私は考えます。
なので、だいたい分かるかもしれません、私の頭の中
逆に期間が長く"思考の変遷"が入ってくると思考パターンとはまた別次元の話になるかもですが、まぁ、概ねそのままな感じです。
書く(文字打つ)行為は思考の整理と進化に必要なのでこれからもお付き合いください
ついでに皆さんに楽しんでもらえたらお得ですし
(ついで!)
話すこともそれらにとってかなり大事ですので、話すことも忘れずにしてゆきたい
そこで大事になるのは"話になる人"の存在
話にならない人って本当にいますから
良い悪いじゃなく、見てるモノが違うから話になるほうがおかしくて
こっちにしてみればあっちがアレですが、あっちにしてみればこっちがアレですので、無理しないことが平和です。
その人全体がそうな場合もありますが、部分的だったり時期的なことがそうだったりするので"あの人は自分にとってまるっと無価値な存在"と結論付けるときは冷静に、常に暫定評決のつもりで。
さらには
"都合の良いことしか受け入れない"にならないように気を付けつつ
本当に都合が良ければそれだけでいいんですが、そこまで私は人間できてませんので、はい。
私は自分も他人も信用してないのです
これは「12345×54321 を暗算ですぐ答えて」と言われて出した答えを"信用してない"のと同じで、その人個人がどうこうではなく人間ってそんなもんじゃんということ。
感情、思考は自分にとって暫定だという自覚
"そのときはそう"って言い方でも同じですが。
まぁ、私は話すこと(と書くこと)によって人間に戻ってこれた経験があるのでそう思うだけですので、よそはよそでしょう。
ちなみに14年間のどこかです、戻ったの。
でもね、書くこと、そして言うことはやっぱり"簡単"ですので、結局は行動するかどうか
どうかってのは自分にとって大切なことかどうかです
手先、口先だけの喜怒哀楽に騙されたりしますから、自ら。おぉ、こわ。
とりあえず
これからも
おっぱい