無常

2024-07-06 | Weblog
【趣味:人間観察】

と恥ずかしげもなく宣言できるのが私ですので分かるのですが、この世の人間は2種類に分けられることができます。


お店の人が話しかけてくるのを是とするか、是としないかの2種類。


私が足繁く入店していた中華屋さんがありまして(だいたい週2回を2年くらい)


毎回手淫、間違えた、飲酒するわけではないのですか何回か続けて麺と共にレモンサワーを頼んだことがあったの


で、その次に行ったときは麺だけを頼みましたら


「今日はレモンサワーはいらない?」


と言われましたので


「あ、今日は大丈夫です。ありがとうございます」

と答えまして


じゅるじゅるじゅるじゅる〜っと艶かしく淫らに麺を啜って

「いつもうまし!」

と叫んでから例の如く渋々お代を支払い


「ご馳走様でした」
「ありがとうございます」


ってなやりとりをして店をあとにしてから、そこに行くことは二度とありませんでした
(きゃー!)



お客様と店員様の通常やり取り以外は"ちょっと…"という人、"別に構わない" "節度ある感じならOK"というレベルの人、"むしろ話したい"という人までいます

なんなら話すことがメインのクラブ系、バー系店舗もあるくらいで

飲食系じゃなくとも、店員さんと顔見知りになることを是とする人もいますよね


"話す"って人間界でなかなかウェイトが高いことな気がしている最近の私。



逆に是としないのは何故だろうと考えてみる。


どちらかというと、人がそこにいるんだから話しかけるのが"普通"とも言えます


お互い機械じゃないんだから。


ウザイが過ぎたり恫喝とかハラスメントしてくるなら問題ですが、周りをシャットダウンしてスケベな動画を見ているより有意義な情報がもたらされる可能性だってあります。

お店にいるということは相手はなんらかのプロであり、もしかしたらそれ以上にスパイか情報屋かムラムラしてるかお金を譲渡したがってるかもしれないわけですから。

チャンス!


紙袋を店外まで持ってお見送りしたり、タクシーなのにわざわざ運ちゃんが降りてドアを開けたりすることもあります。
それをやられるのが好きな人がいるという予想の元に、企業努力としてコストをかけて利益の最大化を狙っているだけですから、是としないなら「結構です」と言うかもう使わないかというそれなりに簡単な選択肢がある自由な社会はナイス。



なぜ自分はこれが好きなのか、嫌いなのか

なぜ自分は計算も観察もしてないのにこのテーゼやデータ(らしきもの)を受け入れているのか


そのあたりの自覚って大事だなと常々思います。


"日本人は無宗教"と言ったりしますが、様々な行動の根拠を聞くと(雑めな)信仰と変わらない構造していることが多々ありますからね


事実と認識にズレがあるとズレてる分リスクがあったりもして

ズレ具合を認識していればズレがあっても事実と認識にズレは無いと言えます


このあたりの構造もまた面白いところで。



あのときレモンサワーを頼んでいたらそのちょっとの差で資金繰りに行き詰まらなかったかもなぁ…と考えてしまうと胸の内側がザワザワします


もしかしてこれが恋ってやつ?


自分観察おっぱい


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この日に歌わせてもらいます

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7/27(土)高円寺MOONSTOMP
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1.kiss me
2.Empty my life
3.カルピディエム
4.疑心暗鬼のフェスティバル
5.デスサイクルまたは良きとなる時へ
6.偽言劇


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