涙の価値観

2021-09-30 | Weblog
みなさん





流してますか



私は全然流してません。




卒業式で泣く人いるじゃないですか。

「何か泣くことがあるんだろうな」って、異常だな とは思わないにしろ、その何かが分からなかった昔(そして今も)。



戦争に行くわではないですし、小中高だったら住んでる家もだいたいの人が同じだろうし、何に泣いてるのか分からなかったんです。
会いたきゃ会えばいいだけだし(主にこれ)

当時は思いましたよ「馬鹿だからかな」って。



そんなに泣くなら留年すれば?って私には関係無いのに問題解決しようと善意の提案してみても蛆虫を見るような目をされるだけでした。

当時は思いましたよ「馬鹿だからかな」って。







当時はね!
("当時"がいつかはご想像にお任せします)




時間を戻したくて、でも戻せない、つまり死への恐怖と同じ構造に対して恐れ慄いて泣いてるんのだとしたら

それならまぁ凄く分かりやすいけど、抗うのも無駄だから前を向いてゆくしかないと励ましもしますが、普通は時間を戻したいとも思ってない気がします小中高生なんて。





つまり




泣くほどか?って







あれです、こんなん言うのアレですが
(こんなんしか言ってないからいいか)




結婚式で泣くのも同じで
(主客で違う理由はあるでしょうが)



大人になるまで育つのが困難だったり不安定だった社会でならまだ分かりますが、飽食の時代にぬくぬくすくすくスマホでいつもスケベ動画見てるこの日本で育って泣くことなんてありますでしょうか。


そんな時代の恩恵にあやかれなかったり、何かしらの困難の連続の末にってならまだ分かるのですが、そうじゃなければ何の涙なん?って。



お葬式の涙も

もちろんこれは泣く理由としては分かりやすいですが

私的には当人が居なくなったこと自体には「残念だ、なんまんだ」くらいしかなく、当人が居なくなってマイナスな感情になってる人を見るとツラいですよね。

私が泣くとしたらそこです

泣くとしても1滴、2滴くらいだと思いますが。





嬉しいときに泣いたことないからかなり偏りがありそうで、そっちの可能性の考察が全然手薄ではあります。





"泣ける"って言葉の浸透がいよいよになってきておりますが、その言葉を聞いたり見たりすると毎回思うんです





「泣きたいか?」って。





泣きたいんですか?




例えば泣ける映画のその泣く部分って、対象が結果なり過程なりでツラい状態になってるはずで(そして自分の心境も)、それを見たいって思うの凄いなって。

涙を流すとスッキリしたり充実感を得られるサウナ的効果があるのかもしれません。
(なんとなく想像できます)




が、そのために"他人の不幸"を利用するその構造が豊かさの象徴すぎて



劣悪な労働条件で作られてる製品やその労働者に対して「ひどい!どうにかしないと!」と言いながら使いまくってたり、品切れだと不機嫌になる構造に似てるような…



喜怒哀楽なんて人それぞれなので人それぞれでいいのですが"感情はこうなるべき"という空気
があるところにはなるべくいたくないのが私だったりします。不自由ですので。




泣いてしまうのはもちろん自然なことですが、それを周知か期待するのが不自然に見えるのかな


我慢、離脱と同じく、自分の涙を知るのはだいたいが自分のみで人知れずなんだろう。




定期的に言ってますが、なるべく結婚式と葬式には行きたくないので、よろしくお願いします。


幸あれおっぱい


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