小説の「書き出し」

明治~昭和・平成の作家別書き出し
古典を追加致しました

「潮騒」 三島由紀夫

2010-03-23 10:56:23 | 作家マ、ミ
【「潮騒」 三島由紀夫】
 歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である。
 歌島に眺めのもっとも美しい場所が二つある。一つは島の頂きちかく、北西にむかって建てられた八代神社である。
 ここからは、島がその湾口(わんこう)に位いしている伊勢海の周辺が隈なく見える。北には知多半島が迫り、東から北へ渥美半島が延びている。西には宇治山田から津の四日市にいたる海岸線が隠見している。
 二百段の石段を昇って、一双の石の唐獅子に戍(まも)られた鳥居のところで見返ると、こういう遠景にかこまれた古代さながらの伊勢の海を眺められた。もとはここに、枝が交錯して、鳥居の形をなした「鳥居の松」があって、それが眺望におもしろい額縁を与えていた が、数年前、枯死(こし)してしまった。
 まだ松のみどりは浅いが、岸にちかい海面は、春の海藻の丹のいろに染っている。西北の季節風が、津の口からたえず吹きつけているので、ここの眺めをたのしむには寒い。

【「愛の渇き」 三島由紀夫】
 悦子はその日、阪急百貨店で半毛の靴下を二足買った。紺のを一足。茶いろを一足。質素な無地の靴下である。
 大阪へ出て来ても、阪急終点の百貨店で買物をすませて、そこから踵(きびす)を返して。また電車に乗ってかえるだけである。映画も見ない。食事はおろか、お茶を喫(の)むでもない。街の雑沓ほど悦子のきらいなものはなかったのである。
もし行こうとおもえば、梅田駅の階段を地下へ降りて、地下鉄で心斎橋や道頓堀へ出るのは造作もなかった。又もし一歩百貨店を出て交叉点を横切れば、そこはすでに大都会の波打際であり、殷賑(いんしん)をきわめた潮(うしお)は押し迫り、路傍には靴磨きの少年たちが、磨かせてよォ磨かせてよォと連呼していた。

【「金閣寺」 三島由紀夫】
 幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。
 私の生れたのは、舞鶴から東北の、日本海へ突き出たうらさびしい岬である。父の故郷はそこではなく、舞鶴東郊の志楽(しらく)である。懇望されて、僧籍に入り、辺鄙な岬の寺の住職になり、その地で妻をもらって、私という子を設けた。
 成生岬(なりうみさき)の寺の近くには、適当な中学校がなかった。やがて私は父母の膝下(しっか)を離れ、父の故郷の叔父の家に預けられ、そこから東舞鶴中学校へ徒歩で通った。
父の故郷は、光りのおびただしい土地であった。しかし一年のうち、十一月十二月のころには、たとえ雲一つないように見える快晴の日にも、一日に四五へんも時雨が渡った。私の変りやすい心情は、この土地で養われたものでないかと思われる。
 五月の夕方まど、学校からかえって。叔父の家の二階の勉強部屋から、むこうの小山を見る。若葉の山腹が西日も受けて、野の只中(ただなか)に、金屏風を建てたように見える。それを見ると私は、金閣を想像した。