「おい地獄さ行えぐんだで!」
二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛かたつむりが背のびをしたように延びて、海を抱かかえ込んでいる函館はこだての街を見ていた。――漁夫は指元まで吸いつくした煙草たばこを唾つばと一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹サイドをすれずれに落ちて行った。彼は身体からだ一杯酒臭かった。
赤い太鼓腹を巾はば広く浮かばしている汽船や、積荷 . . . 本文を読む
「あの男はどうなったかしら」との噂うわさ、よく有ることで、四五人集って以前の話が出ると、消えて去なくなった者の身の上に、ツイ話が移るものである。
この大河今蔵いまぞう、恐らく今時分やはり同じように噂せられているかも知れない。「時に大河はどうしたろう」升屋ますやの老人口をきる。
「最早もう死んだかも知れない」と誰かが気の無い返事を為する。「全くあの男ほど気の毒な人はないよ」と老人は例の哀れっ . . . 本文を読む
きのうの福岡発信の電報によると、当地で逮捕された兇徒が、裁判のために、きょう正午着の汽車で熊本へ護送されるということだった。熊本の警察官が、この兇徒を引取るために福岡に出張していたのである。
四年前、熊本市相撲町すもうちょうのある家に、夜半、盗人が押し入り、家人らを脅して、縛り上げ、高価な財産を盗んだ。警察がうまく追跡して、盗人は二四時間以内に逮捕されたので盗品を処分することもできなかった . . . 本文を読む
第一章
六月の、雨の夕暮れ時である。
ホテル最上階、十二階の部屋から見渡す街は、しとどに雨に濡れている。ネオンらしいネオンはほとんどなく、街の明かりも少なくて、濡れた路面だけが偽物のベルベットのように、てらてらと光っている。
高層ビルどころか、目立つ建物がひとつもない街である。ホテル前の通りを行き交っている車の量もごくわずかで、歩行者の姿もまばらだ。
薄い水煙に覆われた中、何本かの . . . 本文を読む
毎年春季に開かれる大学の競漕会がもう一月と差迫った時になって、文科の短艇(ボート)部選手に急に欠員が生じた。五番を漕いでゐた浅沼が他の選手と衝突して止めて了ったのである。艇長の責任がある窪田は困った。敵手n農科は殊にメンバアが揃ってゐて、一ケ月も前から法工医の三科をさへ凌ぐと云ふやうな勢である。翻(ひるがえ)って味方はと見れば折角揃へたクリュウが又欠けるといふ始末。併(しか)し窪田は落胆はしなか . . . 本文を読む
仄聞(そくぶん)するところによると、ある老詩人が長い歳月をかけて執筆している日記は嘘の日記だそうである。僕はその話を聞いて、その人の孤独にふれる思いがした。きっと寂しい人に違いない。それでなくて、そんな長いあいだに渡って嘘の日記を書きつヾけられるわけがない。僕の書くものなどは、もとよりとるに足りないものではあるが、それでもそれが僕にとって嘘の日記に相当すると云えないこともないであろう。僕は出来れ . . . 本文を読む
林昌子は、老若男女の中で、女の子――三歳から十歳くらいまでの女の子ほどきらいなものはなかった。昌子が普通に結婚し、子供を産んでいれば、ちょうどその時期の子供がいることになる。それがもし女の子であったとしたら、自分はどうしていただろう、と彼女はよく考えることがあった。
子供ぎらいの青年などが、結婚するとかえって親馬鹿になるともきく。が、女の子に覚える自分の嫌悪感が、もともと乏しくあるらしい母性愛 . . . 本文を読む
ある日あなたは、もう決心はついたかとたずねた。わたしはあなたがそれまでにも何回となくこの話を切りだそうとしていたのを知っていた。それにいつになくあなたは率直だった。そこでわたしも簡潔な態度をしめすべきだとおもい、それはもうできている、と答えた。パルタイにはいるということは、きみの個人的な生活をすべて、愛情といった問題もむろんのこと、これをパルタイの原則に従属させることなのだ、とあなたは説明しはじ . . . 本文を読む
私は戦争中、南房州の漁村に疎開したまま、今は村の中学校の図画教師をやっている画家だ。母との二人暮らしだが、中学校の安月給では、白髪婆さんの母も賃仕事に精を出さなければならない有様で、その私にとって、このところ夏休みになると、日に四千円にも五千円にもなるアルバイトがあるのは有難い。しかも、大したむつかしいことではないのだ。漁船に乗って、一日沖へ出て帰ってくればよいのである。
――私は或る時、製作 . . . 本文を読む
――ミス・ダニエルズの追憶――
中学生のとき、僕は何人かの外人教師に英会話を習った。その一人は女で、ミス・ダニエルズと云った。彼女が初めて教場に姿を見せたとき、僕ら新入学の一年坊主共にたいへんな婆さんが現れたと思った。なかには、
――わあっ、凄い婆さんだなあ。
と、頓狂な声を出すものもあった。紺のスゥツに身を包んだ彼女の頭髪は純白であり、僕らはそんな白毛の婆さんは滅多に見たことがなかった . . . 本文を読む
木理(もくめ)美(うるわ)しき槻胴(けやきどう)、縁にはわざと赤樫(あかがし)の用いたる岩畳(がんじょう)作りの長火鉢に対(むか)いて話し敵もなく唯一人、少しは淋しそうに座り居る三十前後の女、男のように立派な眉を何日(いつ)掃(はら)いしか剃ったる痕の青ゝと、見る眼も覚(さ)むべき雨後の山の色をとどめて翠(みどり)の匂い一トしお床(ゆか)しく、鼻筋つんと通り眼尻キリリと上り、洗い髪をぐるぐると酷 . . . 本文を読む
身にはまっくろなしきせ縞を纏(まと)っていた。帯は更紗(さらさ)の唐草が薄切れしていた。その帯の腰へ、その着物 の膝へ、楯の如くギブスの如く遮断扉の如く、ぎりっと帆(ほ)前掛(まえかけ)がかかっている。三十四歳、私は新川(しんかわ)の酒問屋の御新(ごしん)様(さま)から、どしんとずり落ちるやとたんにしがない小売問屋の、それも会員組織といえば聞えがいいが謂わばもぐりでしている、常規の店構えさえない . . . 本文を読む
「武蔵野の俤(おもかげ)は今纔(わずか)に入間郡に残れり」と自分は文政年間に出来た地図で見た事がある。そして其地図に入間郡「小手指原(こてさしはら)久米川は古戦上なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦ふ事一日か内に三十余度日暮れは平家三里退て久米川に陣を取る明(あく)れば源氏久米川の陣へ押寄ると載(の)せたるは此辺なるべし」と書込んであるのを読んだ事がある。自分は武蔵野の跡の纔(わずか)に . . . 本文を読む