新橋しんばしを渡る時、発車を知らせる二番目の鈴ベルが、霧とまではいえない九月の朝の、煙けむった空気に包まれて聞こえて来た。葉子ようこは平気でそれを聞いたが、車夫は宙を飛んだ。そして車が、鶴屋つるやという町のかどの宿屋を曲がって、いつでも人馬の群がるあの共同井戸のあたりを駆けぬける時、停車場の入り口の大戸をしめようとする駅夫と争いながら、八分ぶがたしまりかかった戸の所に突っ立ってこっちを見まもっ . . . 本文を読む
三度目に妻が遁(に)げ出した時、もう無駄だと思った。幾歳(いくつ)になってもあの癖は直らない、私は直接男に手紙をやって、今度はもう帰って来られないやうに埒(らち)を作った。
私は名論卓説に耳を傾けるのが嫌になった。役所で其(その)向(むき)の議論が湧いて面倒になる事があっても、黙ってゝ済む事なら、打捨て置いた。さうすると大概は夫(そ)れで片付いて終(しま)った。殊に問題が人生観などといふ雑談に . . . 本文を読む
【「江口の里」 有吉佐和子】
グノー神父にとって、日曜日は決して聖なる主(しゅ)日(じつ)ではなかった。六時半と九時の二回のミサの後は、青年会の集まり、聖マリア会の集まり、教会委員の集まりが、時間を区切って行われ、そのどれにも顔をださねばならぬ神父は、朝食を摂る時間がなくなるばかり か、下手をすると昼食も断念しなければならなくな る。グノー神父の見るところでは、日本のカトリック信徒たちは異様な . . . 本文を読む
【「赤い繭」 安部公房】
日が暮れかかる。人はねぐらに急ぐときだが、おれには帰る家がない。おれは家と家との間の狭い割目をゆっくり歩きつづける。街中こんなに沢山の家が並んでいるのに、おれの家が一軒もないのは何故だろう?……と、何万遍かの疑問を、また繰返しながら。
電柱にもたれて小便をすると、そこには時折縄の切端なんかが落ちていて、おれは首をくくりたくなった。縄は横目でおれの首をにらみながら、兄弟 . . . 本文を読む
縫島の外観から五十間ほど沖の、俎板岩(まないたいわ)の網代に、其の日かかっていたのは、根長島の浅一の舟である。
舟に生簀(いけす)は空っぽであった。尤も(もっと)、餌の小蝦と一緒に、おこぜが一尾、舟底の砂にへばりついていた。おこぜは毒のある背鰭(せびれ)の棘を伏せて、口をへの字に曲げて。うらめし気にじっとしていた。二人の客は然し、おこぜを釣りに来ないはのでない。
肥った、中年の客は、又しても . . . 本文を読む
元慶(がんぎょう)の末か、仁和(にんな)の始にあった話であろう。どちらにしても時代はさして、この話に大事な役を、勤めていない。読書は唯、平安朝と云う、遠い昔が背景になっていると云う事を、知ってさえいてくれれば、よい
のである。――その頃、摂政藤原基経(もとつね)に仕えている 侍の中に、某と云う五位(ごい)があった。
これも、某と書かずに、何の誰と、ちゃんと姓名を明にしたいのであるが、生憎旧記に . . . 本文を読む
或日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
広い門の下には、この男の外に誰もいない。唯、所所丹塗(にぬり)の剥げた、大きな円柱(えんばしら)に、蟋蟀(きりぎりす)が一匹とまっている。羅生門が、朱雀(すざく)大路(おおじ)にある以上は、この男の外にも、雨やみをする市女(いちめ)笠(がさ)や揉(もみ)烏帽子(えぼし)が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男の外 . . . 本文を読む
禅智内供(ぜんちないぐ)の鼻と云えば、池の尾で知らない者はない。長さは五六寸あって上唇の上から顎の下まで下がっている。形は元も先も同じように太い。云わば細長い腸詰めのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下がっているのである。
五十歳を越えた内供は、沙弥(しゃみ)の昔から、内道場供奉(ぐぶ)の職に登った今日まで、内心では終始この鼻を苦に病んで来た。勿論表面では、今でもさほど気にならないような顔を . . . 本文を読む
【「トロッコ」 芥川龍之介】
小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった。良平が毎日村外れへ、その工事を見物に行った。工事を――といった所が、唯トロッコで土を運搬する――それが面白さに見に行ったのである。
トロッコの上には土工が二人、土を積んだ後に佇(たたず)んでいる。トロッコは山を下るのだから、人手を借りずに走って来る。煽るように車台が動いたり、土工の袢纏(はんて . . . 本文を読む