◎本年四月十四日、北海道小樽で逢つたのが、野口君と予との最後の会合となつた。其時野口君は、明日小樽を引払つて札幌に行き、月の末頃には必ず帰京の途に就くとの事で、大分元気がよかつた。恰度ちやうど予も同じ決心をしてゐた時だから、成るべくは函館で待合して、相携へて津軽海峡を渡らうと約束して別れた。不幸にして其約束は約束だけに止まり、予は同月の二十五日、一人函館を去つて海路から上京したのである。
◎其野口 . . . 本文を読む
優れた作品を書く方法の一つとして、一日に一度は是非自分がその日のうちに死ぬと思うこと、とジッドはいったということであるが、一日に一度ではなくとも、三日に一度は私たちでもそのように思う癖がある。殊に子供を持つようになってからはなおさらそれが激しくなった。親としての作家と、作家としての作家と、区別はないようであるけれども、駄作を承認する襟度に一層の自信を持つようになったのは、親としての作家が混合し . . . 本文を読む
とんぼが飛ぶ頃になると、時は暑くはなく寒くはなく、よい気候となるのである。頭が大きいのが、その特色である。群れているとか、たびたび見るとかで、わりあいによく印象を受ける虫である。他のもによってよりも、とんぼを思うて、その頃を、考えたりする。私が作った童謡に「赤とんぼ」と題する作がある。次に擧げる童謡である。
夕焼け、小焼の、
赤とんぼ、
負われて見たのは、
いつの日か。
山の畑の、
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遙に此書を滿州なる森鴎外氏に獻ず
大寺の香の煙はほそくとも、空にのぼりてあまぐもとなる、あまぐもとなる
獅子舞歌
海潮音序
卷中收むる所の詩五十七章、詩家二十九人、伊太利亞に三人、英吉利に四人、獨逸に七人、プロ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ンスに一人、而して佛蘭西には十四人の多きに達し、曩の高踏派と今の象徴派とに屬する者其大部を占む。
高踏派の莊麗體を譯すに當りて、多く所謂七五調を . . . 本文を読む
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
谷川の岸に小さな学校がありました。
教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴 . . . 本文を読む
夜半にふと眼をさますと縁側の処でガサガサガタと音がするから、飼犬のブチが眠られないで箱の中で騒いで居るのであろうと思うて見たが、どうもそうでない。音の工合が犬ばかりでもないようだ。きっと曲者くせものが忍びこんだのに違いない。犬に吠えられないように握飯でも喰わして居るのだろう、一つ驚かしてやろうと、考えて居る内、忽ちすさまじい音がして、犬は死物狂いの声を出して逃出したようであった。「誰だ」ト内か . . . 本文を読む
長谷川伝次郎氏の『ヒマラヤの旅』には、二万尺以上の霊峰を跋渉した時の壮快な印象が記されている。古来、現世の罪や穢れを洗い清めるために参詣すべき聖地として印度人に憧憬されていたカイラースの湖畔などは、この世のものとは思われないそうである。そこは、一本の樹木もない茫々たる土塊のなかの水溜であるに関わらず、ただ空気が清澄であるために、天国のような光景を呈しているのだそうである。私にも、その光景が微か . . . 本文を読む