小説の「書き出し」

明治~昭和・平成の作家別書き出し
古典を追加致しました

「聖家族」 堀辰雄

2010-03-23 01:34:27 | 作家ヘ、ホ
 死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。
 死人の家への道には、自動車の混雑が次第に増加して行った。そしてそれは、その道幅が狭いために、各各の車は動いている間よりも、停止している間の方が長いくらいにまでなっていた。
 それは三月だった。空気はまだ冷たかったが、もうそんなに呼吸しにくくはなかった。いつのまにか、もの好きに群衆がそれらの自動車を取り囲んで、そのなかの人達をよく見ようとしながら、硝子窓に鼻をくっつけた。それが硝子窓を白く曇らせた。そしてそのたかでは、その持主等が不安そうな、しかし舞踏会にでも行くときのような微笑を浮べて、彼等を見かえしていた。
 そういう硝子窓の一つのなかに、一人の貴婦人らしいのが、目を閉じたきり、頭を重たそうにクッションに 凭(もた)せながら、死人のようになっているのを見ると、
「あれは誰だろう?」
 そう人々は囁き合った。