鮎川玲治の閑話休題。

趣味人と書いてオタクと読む鮎川が自分の好きな歴史や軍事やサブカルチャーなどに関してあれこれ下らない事を書き綴ります。

「A級戦犯」たちの「最後の一ぱい」――Novitiate Altar Wine

2015-07-30 19:35:29 | 歴史
2015年7月現在、石川県金沢市武蔵町の浄土真宗宗林寺で、東條英機ら「A級戦犯」の絶筆や遺書などを一般公開しています。この寺は「戦犯」たちの教誨師をつとめた花山信勝師の生家だそうで、その関係で遺品が残されていたとのこと。(参考:ヨミウリオンライン

…上記のニュースを目にしたとき、私が次の一文でした。

>公開されているのは、A級戦犯として絞首刑となった7人の署名や遺書の写しのほか、処刑直前に飲んだワインの瓶や、戦犯が拝んだ仏像など

処刑直前に飲んだワイン。確かに、花山の著書『平和の発見』には、

「…コップに一ぱいのブドー酒を口につけてあげて飲んでもらう。
 …東條さんの『一ぱいやりたい』も、どうやらこれで果たされ、大変な御機嫌であった」(昭和24年、朝日新聞社、309頁)

との記述があります。東條らが「最後の一ぱい」として飲んだワインは、果たして何だったのか?
銘柄を知りたい、そして叶うことならそれと同じものを飲んでみたい!
自他共に認める東條ファンの私にとってはめちゃくちゃ気になる事柄だったのですが、残念ながら私の住む埼玉県本庄市から金沢までは到底気軽に行ける距離ではありません。
しかしながらありがたいことに、Twitterで懇意にさせて頂いている@hirataitaisho氏が観に行った際の情報を提供してくださいました。

氏によると、ワインのラベルには次のような文字が書かれていたとのこと。写真は氏が貰った『北國新聞』5月31日付の記事より写真の一部分を拡大したものです。




Novitiate
Altar Wine
Novitiate
CALIFORNIA PORT
PRODUCES AND BOTTLED BY
Novitiate of Los Gatos
LOS GATOS, CALIFORNIA



これを手がかりに調べてみましたところ、このワインはアメリカはカリフォルニア州のロス・ガトス(Los Gatos)という町のノヴィティエイト(Novitiate)・ワイナリーで作られた、聖餐式用の赤ワイン(Altar Wine)だったということが判明しました。つまり、米兵が日常のミサで使っていたワインだったのです。

東條が希望した「最後の一ぱい」は無論日本酒だったのですが、米軍の施設には日本酒の用意はない。そこで、このワインが急遽「最後の一ぱい」として用意されたわけですね。

このワインが造られたノヴィティエイト・ワイナリーは、1888年にイエズス会士の神父らによって建設されたもので、Novitiateとは「修錬院」の意味です。ここでは聖餐式用のワイン以外にもデザート・ワインなどがおよそ100年にわたって生産され、禁酒法時代にも例外的にワインの生産が許されていました。しかしながら残念なことに、1986年にイエズス会はこのワイナリーを閉鎖。東條ら「A級戦犯」が最後に飲んだワインは、これによって幻の存在となったわけです。誠に残念極まりない。

但し、同ワイナリーの施設は現存しており、1993年からテスタロッサ・ヴィンヤード(Testarossa Vineyards)という会社がワインを生産しています。
その中にはピノ・ノワールを使ったワインもあるようなので、これが現在ではもっとも東條らが最後に飲んだ味に近いワイン、ということになるでしょうか。

因みに私も探してみましたが、現在では残念ながら日本でこのNovitiate Pinot Noirを入手することは困難なようです。もし入手経路に関してなにかご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。小躍りして喜びます。

(本文参考サイト:California Life+Styleワイン・カントリー日本語ガイドTestarossa Winery and Tasting Room Los Gatos California


追記:有志の方よりNovitiate Altar Wineの鮮明な写真をいただきました。ありがとうございます。

埋もれた軍歌・その32 つはもの私吟

2015-07-26 23:44:15 | 軍歌
昨日に引き続き、『精神作興 輝く軍歌集』からの、「つはもの私吟」なる歌の紹介です。
製作された時期は昭和4年5月とのことで、第一次世界大戦以後、満洲事変以前の戦間期における軍歌ということになります。


つはもの私吟
         昭和四年五月
         陸軍軍楽隊作曲
一、
オイチニオイチニで 二年(ふたとせ)暮らしゃ
色は黒くなる 骨節ゃ太る
ダガネダガネ 心優しい桜の花よ

二、
今日も朝から 原っぱで演習
一寸(ちょっと)ボンヤリして あれ又元へ
ダガネダガネ 軈(やがて)なります国家の干城(かんじょう)

三、
質実剛健 いざ事変(こと)あれば
何をクヨクヨ 彼など想ふ
ダガネダガネ 浮気で無いぞよ御国(みくに)の為に



…なんと言いますか、個人的な感想としては凄く戦間期っぽい軍歌という印象を受ける歌です。
歌詞の雰囲気としてはまだ大正時代を引きずっている雰囲気がありますし、なんとなく俗謡めいていますね。
こうした歌を陸軍軍楽隊が作曲していた辺りに当時の軍歌の迷走が感じられるような気もします。
まあ、ぶっちゃけ軍楽隊とかは満洲事変以降もわりとろくでもない感じの歌に曲をつけてたりする訳ですが。

ところで、満洲事変はこの歌が作られた2年4ヶ月後の昭和6年9月18日に勃発しています。
歌詞中の「いざ事変あれば…」で「こと」に「事変」という漢字が充てられていることに妙な符号を感じてしまうのは、私だけでしょうか。

埋もれた軍歌・その31 陸軍工員の歌

2015-07-25 23:01:27 | 軍歌
お久しぶりの軍歌紹介です。今年の四月から私も大学を卒業し、晴れて労働者の一員ということになりました。
だからという訳でもないんですが、今回ご紹介するのは「陸軍工員の歌」です。
これは昭和17年に兵書出版社から発行された『精神作興 輝く軍歌集』の増補頁に収録されているものです。作詞、作曲は不明。


陸軍工員の歌

一、
破邪顕正の剣をとりて
東亜を守護(まも)る我が皇軍と
道一筋をたゞ歩み行く
吾等の使命おゝ尊しや
工員々々陸軍工員

二、
守護(まも)る東亜に事ある時は
軍(いくさ)の神に捧ぐる名器
山川震ひ草木なびく
我等の任務おゝ尊しや
工員々々陸軍工員

三、
磨くや技倆(ぎりょう)励むや任務
誓は堅し銃後を守る
皇軍栄えてわれ矜持(ほこり)あり
われ等の名誉おゝかぐはしや
工員々々陸軍工員

四、
時は非常時わが工員よ
こぞる十萬腕を揮ひ
玉なす汗を国に捧げむ
われ等の覚悟おゝ勇ましや
工員々々陸軍工員



増補頁に収録されていることから考えて、恐らく作られた時期は日米開戦後ではないかと思われます。
「陸軍工員」とは陸軍工廠で働く労務者のことで、帝国陸軍の兵器生産は彼等無くては成り立たないものでした。
工員の大部分は基本的には軍属等のうち「軍属にあらざる者」として扱われていたようですが、戦時には例外的に軍属扱いになることもあったようです(参考:リンク先)。
実際にはかなり下級の存在として扱われていた陸軍工員ですが、この歌の中では誇りある技術労働者といった感じで描かれていますね。
実際に陸軍工員として働いていた人物による作詞なのか、それ以外の人物による作品なのかが気になるところです。

本庄市の祇園祭。

2015-07-19 17:41:03 | 我が故郷・本庄






本日、7月19日は前日の18日から引き続いての本庄祇園祭の日となっています。
この祭りは元々本庄宮内少輔実忠が城下町の疫病避けの社として弘治2(1556)年に勧請した八坂神社(本庄市本庄3-7)の祭礼で、毎年7月14日から15日にかけて行われていたものなのですが、時代の移り変わりと共にその日程も変化し、今では海の日直前の土・日曜日に行われることになっています。
この祇園祭では八坂神社において獅子舞が奉納されますが、この獅子舞は寛文3(1663)年に始められたものと伝えられており、本庄市指定無形文化財となっています。

ところで、この本庄の祇園祭で特徴的なものとして、七軒町の「逆さ神輿」が挙げられます。
これは神霊の宿っていない神輿を、その屋根についている宝珠を外して逆さまにし、コマのように回すというもので、あらゆる邪気を封じ込めて磨り潰してしまうとされているようです。いつごろから始まったのかは詳らかではありません(単純に私が調べてないだけ)が、チラシなどには「日本で唯一!」などと書かれています。これも本当なのかどうか、私には判断のつきかねることですが。