鮎川玲治の閑話休題。

趣味人と書いてオタクと読む鮎川が自分の好きな歴史や軍事やサブカルチャーなどに関してあれこれ下らない事を書き綴ります。

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九州金ぴか文化圏の存在について。

2020-12-08 18:21:43 | 旅行
時間の流れるのは早いもので、もう2020年も残すところあと一か月足らずとなってしまいました。
COVID-19のせいでほとんど遠出できないのもあって、なんとなく今年一年虚無のままに過ごしてきてしまったような錯覚に陥りますね。
え、錯覚じゃない? またまたそんなぁ。

さて、先ほど「ほとんど遠出できない」と言いましたが、言い換えると全く一切遠出できない、というわけでもありません。ちゃんと感染対策をすれば大丈夫…というのが建前であれ真実であれ言われているところでありまして、実際そんな感じで行われているのがいわゆるGoToキャンペーンですね(まあ第三波やらで今後どうなるかわかりませんが)。
そんな訳で私も9月の連休、いわゆるシルバーウィークにCOVID-19に負けず熊本~博多~下関と勝手にGoToキャンペーンをしてきたのですが(特にキャンペーンの恩恵に与ってはいないような気がします。あと9月の話をいまさら記事にするのは単に私がだらけてただけです)、そこで従来全く認識していなかった九州の文化的特徴に気づきました。


九州の石碑類、文字をめっちゃ金ぴかにしますね?


私がこの九州金ぴか文化(仮称)に気付いたのは、熊本城のすぐそばに位置する熊本県護国神社に参拝した時のことです。このブログを見てらっしゃる方はよくご存じだと思うんですが、護国神社の境内にはたいてい戦友会による記念碑とか慰霊碑とかの石碑、石造物が少なからず建立されています。こういう石造物をチェックするのも護国神社参拝の醍醐味の一つですね(不謹慎)







で、熊本県護国神社にある石碑(一部)の写真がこちら。
はい、めっちゃ金ぴかです。
流石に建立されているものすべてが金ぴかなわけではないのですが、それでも結構な数の石碑の文字が金ぴかに彩られています。他の地域でここまで金ぴかな石碑群というのは見たことがなかったので非常に印象深かったですね。

なんでこんなに金ぴかなのか? と護国神社の方にお伺いしたのですが、境内地の石碑については場所を提供しているだけで建立についてはノータッチだとのこと。
ただ、どうやら昭和50年代くらいから一気に金ぴか文字が増えてきたらしいことはお話の中で分かりました。

で、同様の石碑金ぴか文化は熊本のみにとどまりません。
今回の旅行だけでも直方、大宰府、志賀島などで金ぴか文字の石碑が確認できました。内容も史跡を示すもの(「五卿遺跡」碑)や歌の発祥地を示すもの(「炭坑節発祥の地」碑)といったプラス方面のものから、元寇の際に死んだ元軍将兵の慰霊碑(蒙古塚)といったマイナス方面(?)のものまで多岐に渡ります。
面白いことに、関門海峡を渡った下関では金ぴか石碑は一見したところ確認できませんでした。


大宰府の「五卿遺跡」碑


直方の「炭坑節発祥の地」碑


志賀島の「蒙古塚」碑

ネットで「九州 石碑 金色」などと検索すると結構な数のサイトがヒットするのですが、その内容の多くは「九州ではお墓の文字を金色にする」といったもの。ただ、熊本における学校・史跡関係の石碑の金文字を紹介しているサイトもありました(リンク先)。

お墓を金文字にする理由については現状でもよくわかっていないようですが(実態としては「周りが金色だからうちも金色に」という感じが多いようです)、一説には金ぴか文字が多くみられる長崎については中国の風習に由来するものではないかとも考えられるとのこと(リンク先)。
ただ、これだと長崎以外の九州における石碑金ぴか文字の理由がいまひとつよくわからないんですよね。
蒙古塚なんか、昭和2年に建碑された旧碑の方は彩色痕はぱっと見では確認できないのに、平成17年の地震による被害の後に再建された碑の方は金ぴか文字になってますし。なんなんだろいったい。

いずれにしても、九州にはほかの地方では及びもつかないような謎の「石碑金ぴか文化圏」が存在しています。旅行などで訪問される際にはぜひ石碑の金ぴか文字にも注目してみてください(強引に終わる
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バーチャルYouTuberのすゝめ(自分がなる方の意味で)・その2「3Dモデルが動く動画を作ろう」

2020-09-08 21:34:04 | その他サブカルチャー
前回に引き続き、バーチャルYouTuber(VTuber)になる、つまりVTuberとしてのコンテンツをどう制作していくかというお話です。
その1では「名乗ってしまったもの勝ち」の精神で紙芝居動画でのVTuberデビューについてお話をさせていただきましたが、あれはあれで低スペックのPCでコンテンツが作成できるというメリットはあるものの(なにしろどっからどう見ても低スペックであるドン・キホーテの「ジブン専用PC&タブレットU1」でも紙芝居動画なら作れるのです)、それ単独で我はVTuber、と名乗るのが気持ち的に厳しいこともまた事実であろうかと思われます。全身の動きをトレースするとか表情を実際の顔に連動させるとかは別として、とりあえず今回はアバターを静止画ではなく動画として活用する、ということについて考えていきたいと思います。

動くアバターという点ではFaceRigとかを使う方法もありますが、あれはソフト本体を購入しなければならないので今回はパス。無料で導入でき、かつ自分の好みでアバターをアレンジできるという点で、前回に引き続きカスタムキャストを利用した方法をご説明していきたいと思います。というか、自分がそれでやってるので実体験に即した話がやりやすいんですよね。



カスタムキャストを利用する場合、キャラクターの設定なんかは前回ご説明したスクリーンショットの撮影に至る過程とほとんど同じなのでそこは省略します。わかんなかったら他のサイトとかでの解説を参照してください(他力本願
最低限「背景をアバターの色と違うタイプの単色にする」ことと「ブルームを0にする」ことにだけ注意していただければ大体大丈夫です。アンチエイリアスとかグラフィッククオリティとかは各自お使いの端末の性能とご相談ください。
キャプチャの撮影は「配信」画面で行うのがよいでしょう。nicocasアプリを入れていなければ勝手に外部サイトで配信されることはないので大丈夫です。



カスタムキャストのキャプチャを動画として利用する上で注意したいのは、「リップシンクの設定をどうするか」と「フリック設定をどうするか」です。
リップシンクは音声認識と映像認識の二種類がありますが、私は音声認識を利用しています。これは私がカスタムキャストをエミュレータで利用しているPCにカメラを接続していないからという単純な理由でして、どちらを選ぶかはご自分の住環境などに即して決めていただければよいでしょう。音声認識にした場合、動画作成で自分の声を活用したい方は同時に録音まで済ませてしまえば手間が省けます。



フリック設定については、私は正直フリックによる表情/ポーズ変化をほぼ活用していないのでよくわかりません。だってPCでキャプチャしてる時にフリックするとマウスカーソルが録画に入っちゃうし、どの向きにどの表情/ポーズを登録したかとかいちいち覚えるの面倒なんだもの(酷い
後でトリミングするような位置、つまり画面のめっちゃ下の方かめっちゃ上の方で操作すればフリック操作もカメラ操作もできるのですが、いちいちマウスカーソルを撮影範囲外に迂回させて移動するのもプチ面倒ですし、どっちかを犠牲にするとしたらフリックによる変化よりもカメラぐりぐりして体の向きとか変える方が楽なので、私は画面の変化はもっぱらそれに頼っています。スマホ/タブレットで撮影する際にはカーソルがないのでどうとでもなると思いますが、エミュレータかませてPCで撮影する際にはカメラ位置の変化とフリック操作はどっちかだけに限定した方が事故らなくていいような気がします。



ここまで設定したうえで「配信」画面にたどり着くと、アバターの顔がでかでかと画面に貼り付いているのでビビると思います(特にカメラのないPCで操作している、つまり私と同じ環境の場合)。これはジャイロカメラ(3Dモデル)が有効になっているからなので、落ち着いて右上にある半透明の歯車ボタンからカメラ設定を開いて無効にしておきましょう。

自分の音声/口パクやカメラ操作、フリック操作によってアバターが自分の思い通りに操作できるようになっていることを確認したら、画面の動画撮影に移ります。PCでNoxPlayerを利用している場合は公式に画面の動画撮影機能があるのでそれを利用するのが一番簡単でしょう。スマホ/タブレットの場合はAZスクリーンレコーダーなんかのアプリを活用してください。
話す内容は事前に台本化しておくか、そうでなければその場で喋った内容を別に録音しておき、必要に応じて文字起こしするということになります。VOICEROIDなんかを活用する場合は先に台本と音声を作っておいて、聞きながら口パクする(もしくは台本を読み上げる)のも手でしょう。私は音声の最終確認も兼ねてこの方法を採っています。

後は適当な背景に撮影したアバターの動画をオーバーレイして適宜トリミングしてクロマキー処理して追加のオーバーレイ画像や音声や音楽とくっつけて字幕つけて動画にしてアップロードすればOKです。簡単ですね。
…いやまあ、はい。ここを手順としてさらっと流すわけにはいかないですね。ただ、この部分は使うソフトによって機能も使い勝手も(ついでに価格も)千差万別なので、説明しづらいのが事実です。私はCorelのVideoStudioを使っていますが、これは別件で使うために既に持っていたソフトを流用しているからで、VTuberとしての動画を作成するために最適化されたソフトはもっと他にいろいろあると思います。無料ソフトとしてはAviUtl、有料ソフトとしてはFilmora辺りが有名なところでしょうか。ニコニコとかYouTubeとかにもレビューとか使用方法の解説動画とか上がってますし、使ってない私があれこれ言うよりもそういう方の説明を見た方がわかりやすいと思いますのであえてここでは深く触れません。あえてね、あえて。

というわけで、今回はこの辺までにしておきたいと思います。
ありがとうございました。起立、礼、着席。
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バーチャルYouTuberのすゝめ(自分がなる方の意味で)・その1「とにかくVの者を名乗れ、話はそこからだ」

2020-09-07 02:14:55 | その他サブカルチャー
前回の記事で「いつの間にか令和2年に~」とか書いてましたが、気づけばもう秋ですね。
COVID-19のせいですっかり虚無と化した2020年ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は前回の記事を書いた数週間後に家を追い出されてパンデミックが収まるまでアパートでの仮住まいを余儀なくされることとなっております。早く帰りたい。

さておき、ここ数か月でいろんなことが激変しておりますが、それ以前、ここ数年ほど前からネット上で話題になって今やすっかり定着したものがありますね。
そう、「バーチャルYouTuber(VTuber)」です(強引な話の展開)。

VTuber。この言葉がどのような存在を指し示すものであるかという定義はいまだに若干の混乱がありますが、企業Vだの個人Vだの収益化がどうのスパチャがどうのみたいな話はひとまず置いておいて、広義では「投稿者とイコールであるところのバーチャルなキャラクターのアバターを用いて動画コンテンツを作成し、それを公開している人」程度の意味になりますでしょうか。

私、個々のVTuberにはそこまで関心がないというか、認知はしていても配信めっちゃ見る!というような推しはいないのですが、その全体としてのありようは非常に好もしく思っております。
以前からTwitterでは何度か言っていることではあるんですが、人類にとって性別や容姿は生活にとって無視し得ざる重要な要素であるにもかかわらず、その本質的な再配分や再選択は現時点ではかなり困難、というか実質的に不可能です。美容整形や性転換は所与のものとしての肉体に一定の変化をもたらし得るものですが、未だ十全とは言い難いところがあります。しかるに、バーチャルの世界においては自らの疑似的な肉体に相当するアバターを比較的手軽にリデザインし、おおむね自らの思うように構築することができるわけで、そこでは現実における自らの肉体的なあり方に囚われなくてよいわけです。自らの性別、容姿、背景となる設定を自ら作り出し、自由に構成することができる(企業Vとかだと自由の制限はあるでしょうし、使用するアプリやアバターの作成・発注等に係る費用とかの問題もあるでしょうが、現実世界で自分の肉体を変化させるよりは手間はかからないんじゃないでしょうか)。VTuberという存在は人類への光明です。未来への福音です。わかったか。わかったらそこのお前もVTuberになれ。

はい、というわけで今回の記事の本題、「そこのお前がVTuberになるために何をすればよいか・超低スペック版」に入りたいと思います。私は真面目に言っているんだ。

必要なものは次の四つ。

①画面のスクリーンショットが撮れるスマホないしタブレット(Androidエミュレータが動くならPCでも代用可能)
②画像加工ソフト(画像の透過やレイヤー合成がやりたいのでWindowsペイントだと厳しい。GIMPあたり使えば無料で何とかなる?)
③音声合成ソフト(地声でやるならなくてもいい。ボイスチェンジャーでも可。一応無料ソフトもある)
④動画作成ソフト(Windows10標準付属のフォトアプリでいい)

先に述べました通り、今回ご紹介するのは超低スペック版。
「金をかけず、かつ低スペックの機材でVTuberになる」方法です。
人によってはこんなのVじゃねえ!という人もいるでしょうが、そこは「広義のV」で押し通してください。



まず、スマホかタブレットに「カスタムキャスト」をインストールしてください。
アイテム課金制ですが、基本的には無料です。
カスタマイズ画面で好きな感じにアバターモデルを作成してください。この際、各パラメータをどのようにいじったかや、どのパーツを組み合わせたかを記録しておくと、あとで別の端末で同様のアバターを使いたくなった時に便利です。



背景はグリーンバックその他の単色背景に設定します。
また、「設定」で解像度「高」、アンチエイリアス「高」、ブルーム「0」、グラフィッククオリティ「高」に設定しておくといい感じになりますが、ブルーム以外はお使いの端末の性能とご相談ください。重要なのはブルームを「0」にすることで、これをやっておかないと後で背景を切り抜いたときにアバターの輪郭が元のバックの色にぼやけた感じになります。



設定が終わったら、ポーズと表情を変えてスクリーンショットを撮りましょう。
基本的には汎用性の高い立ちポーズと、喜怒哀楽の表情くらいがあればいいでしょう。
ただし、アバターは目パチのアニメーションをしますので、スクリーンショットのタイミングによっては半目とかになりますのでお気を付けください(この画像は悪い例です)。

スクリーンショットを撮ったら、それをPCに移動します(エミュでやってる場合はPCに保存されますのでそのままで大丈夫でしょう)。
そしてこんな感じで周囲の背景色を切り抜いた「立ち絵」を作ります。



次いで、動画の内容となる文章を作成していきます。メモ帳アプリあたりで書いていけばいいですし、最悪その辺の紙とペンでもなんとかなります。
文章が出来上がったら、それを元に動画に必要な画像を作成していきます。
例えばこんな感じですね。





画像加工ソフトで「適当な背景」>「立ち絵」>「テキスト表示ウィンドウ」>「テキスト」の順にレイヤーを重ねるとこんな感じになります。
これを、立ち絵の表情やポーズを変えつつ、テキストの表示に必要な分量だけ同様に作成していく訳ですね。
あとは、動画作成ソフトで画像と別撮りした音声とを組み合わせて動画にするわけです。いわゆる紙芝居動画ですね。

はい、今「こんなのVじゃねえ!」と思った方。いらっしゃると思います。
でもこれ、表示されている立ち絵のアバターが投稿者とイコールである限り、先に述べた広義の定義を満たしていると言える訳ですよ。
VTuberになるということは決して難しくない、動画にする内容さえあれば誰でもVTuberを名乗っていい。
この超低スペック版の方法は、VTuberになる敷居をかなり低くしてくれると思います。
思い立ったらVTuber。この記事をここまで読んだ貴方が、どうぞ素敵なVTuberになれますように。

後半だいぶ失速した気がするけど別に飽きたとかじゃないぞ? ほんとだぞ?
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東條英機とペットな関係、あとミャックスとかシュークリームとか。

2020-03-07 19:55:18 | 歴史
はい、お久しぶりです。
いつの間にか令和2年になっちゃいましたね。新型コロナとか流行ってますけど皆さんお元気ですか。

私も一応匿名で質問を受け取れる例の「質問箱」というのを開設してまして、
まああんまり頻繁にはチェックしていないんですが、
この間久しぶりに開いたら去年の末にこんな質問を頂いておりました。



ふむ、どれも中々面白いですし、かつ短い文章ではお答えしづらい部分のある質問です。
という訳で、掟破りかもしれませんがこちら、ブログの方でお答えさせていただくこととしましょう。
ご回答が遅くなってしまった点については大変申し訳ありませんでした。


1.東條英機はシャム猫を友人からもらって可愛がっていた

一見強面の「カミソリ東條」が実は猫を可愛がっていた、というのはギャップの強さからか面白いエピソードとしていろんなところで言及されています。
平岩米吉『猫の歴史と奇話』(築地書館、1992年新装版)では、次のように言及されています。

「また東条英機が、昭和十六年ごろ、知人から贈られたシャム猫(当時は泰国猫)を飼ってから、たいへんな猫好きになったというのも面白い。
しかし、強気一徹の彼が、猫などに心を惹かれるというのは、いささかきまりが悪かったとみえ、表面は無関心を装いながらも、多忙な官邸の出入りに、
一々、猫の様子を家人にたずね、食物や飲み水にいたるまで、こまかい注意を与えていたという。東条英機は今日のシャム猫流行の先駆者だったのである」(213頁)

東條家がある時期から猫を飼っていたこと、東條英機が家人に猫の食物などに注意を与えていたということについては、
東條勝子夫人の証言(「東條勝子夫人の追憶(談)」上法快男編『東條英機』東條英機刊行会、芙蓉書房、1974年)にもあります。

「趣味と言えるかどうか、英機は犬を好いておりました。
猫は"猫かぶり"等の言葉から気に食わぬと申して嫌っていたようですが、子供達の要望でその嫌いな猫をかうことになりましたら、
かえって『猫にめしはもうやったか、犬はいつもいるから忘れないだろうが、猫にも忘れぬ様にしろよ』と申すようになりました」(690頁)

この証言によれば、東條家で猫を飼うことになったのは「子供達の要望」を受けてのことだったようです。
知人からシャム猫を贈るという話が出て子供達がそれに賛成したのか、子供達が猫を飼いたいといったので知人から猫を貰ってきたのかは分かりません
(この辺りは東條家の人々が書いた本を読めば何かしら載っているかもしれませんが)。

蛇足ながら、著名な軍人のうち、猫を飼っていたことが明らかな人物として斎藤実がいます。
『東京朝日新聞』1911年5月11日付7面の「現代犬猫列伝 海軍大臣の愛猫」によれば、練習艦隊がタイ(当時のシャム)に帰港した際に土産として二匹を持ち帰ったもので、
夫人が喜んで名前を考えたもののあまりいいものが思いつかず「ジロ」「キチ」という平凡な名前にしたとのこと。
斎藤は1936年に二・二六事件で殺害されますが、この当時も「ミイ」という猫を飼っていたようです(樋口正文編『斎藤実追想録』斎藤実元子爵銅像復元会、1963年)。


2.フランスのモーという地名をミャックスといって、それがあだ名になった。

東條英機の「ミャックス」というあだ名については、佐藤賢了『東條英機と太平洋戰争』(文藝春秋新社、1960年)の冒頭で言及されています。
ちなみにこの本は表紙などでは旧字体が使われていますが、本文扉では「東条英機と太平洋戦争」と新字体になっており、本文でも「東条」の表記が用いられています。

「ミヤックスというのは、戦史教官東条英機中佐のアダ名であった。そして私が、東条さんを知ったのも、この陸軍大学校時代である。
東条中佐は、三年学生のわれわれに、欧洲戦史の講義をしていた。東条さんは、学生時代ドイツ語をまなんだが、フランス語はやらなかった。
それで、フランスの地名もすべてドイツ読みをした。MEAUX(モー)をミヤックスと発音するのである。しかも、その地名が講義中何回となく出てくる。
そのたびに学生はクスクスと笑った。が、いくら笑われても平気で、とうとうそれで押し通した。それ以来、学生はこれを東条教官のアダ名として奉ったのである」(9-10頁)

同様のエピソードは、1925年に同じく陸大の三年学生として東條に接した稲田正純の証言(「稲田正純の証言」上法快男編『東條英機』東條英機刊行会、芙蓉書房、1974年)にもあります。

「頑固な一例をあげれば、地名一切をドイツ語読みで押し通し、それが東條さんの仇名になっていた。
Saint Quentin(サン・カンタン)をセントクエンチン、Meaux(モー)をメアウツクスはまだしも、
有名なシャンパン酒の生産中枢Reims(ランス)をレイムスと読み上げて、学生が笑おうが一切知らん顔の半兵衛なのであった」(635頁)

まあ、東條は漢字についても誤読を平気でやっていたという西浦進の証言(西浦進『昭和陸軍秘録』日本経済新聞出版社、2014年。なおこの元となった速記録では「百姓読み」とされていた模様)もありますし、その辺は気にしない人だったんでしょう。


3.東條英機はシュークリームが好きだった。

これについては、大森洋平『考証要集 秘伝! NHK時代考証資料』(文春文庫、2013年。私はKindle本で買ったので頁数を示せません、すみません)の「好物」の項目に
「⑤東條英機:シュークリーム(吉松安弘『東條英機暗殺の夏』新潮社)」とあるのが確認できますが、吉松の本を私がどこかにやってしまったために現時点ではそれ以上のことは分かりません。
確認でき次第追記します。

土屋道雄『人間東條英機』(育誠社、1967年)によれば、「東條は甘いものが好きで酸いものは嫌ひであつた」(201頁)そうで、
「里芋、さつまいも、甘栗、鰻の小串、秋刀魚の塩焼などを好んで食べた。また、すき焼や柳川鍋が好きだつた。漬物類は、奈良漬以外は滅多に口にしなかつた」(202頁)といいます。

また、シュークリームが戦前においてどの程度認知されていたかという点については、『朝日新聞』のデータベースが参考になるでしょう。
「シュークリーム」で検索すると、1924年2月に中牟田子爵家でシュークリームを食べた一家四人が付着していた緑青による中毒を起こしたという事件が報道されており(「菓子中毒は緑青から シユークリーム騒ぎの原因」『東京朝日新聞』1924年2月15日付朝刊7面)、同年4月にも小学校教員の一家がシュークリームで中毒になったという記事が掲載されています(「またシユークリームで教員一家が中毒 二日にたべて未だ臥てゐる」『東京朝日新聞』1924年4月5日付夕刊2面)。
戦前のシュークリームに関する記事はどうにもこうした中毒関連の記事が多いのですが、数を見てみると1912年に1件、1924年に6件、1925年に4件、1926年に8件(うち1件は広告)、1930年、1931年、1932年に各1件ずつ、1935年に2件、1938年、1939年、1940年、1941年に各1件ずつの「シュークリーム」の文言を含む記事が掲載されています。少なくとも、昭和戦前期において誰も聞いたことがないようなハイカラなお菓子、というような存在ではなかったようです。



値段については、1926年2月18日付『東京朝日新聞』夕刊2面に掲載された、日本橋白木屋の広告が参考になります。1つで6銭、10個の箱入りで60銭なのは安売り特価で、通常は「市価一個八銭」だったようです。
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満洲国皇帝の即位詔書について、あるいは夏コミ原稿の補遺。

2019-07-04 20:38:39 | 歴史
光陰矢のごとしとはよく言ったもので、気がつけばあれだけ日本中が沸いた令和改元からもう二ヶ月が過ぎてしまいました。その間一回も更新していないこのブログもどうかとは思いますが。

さて、令和改元においては実際に改元が行われる一ヶ月前に新たな年号(=元号。以下、煩瑣を避けるために「年号」で統一します)の「事前発表」が行われたことで、一部保守派とか面白右翼おじさんたちの反発を惹起したことは記憶に新しいところです。確かに日本においては改元前に年号が発表されるということは近現代においては無く、結果として昭和改元の際に光文事件が発生するような状況がありました。

ですが、じゃあ改元前の年号発表の例は全く無いのか? というとそんなことはありません。1934年、満洲国において執政溥儀の皇帝即位に伴って行われた大同から康徳への改元は、事前に次の年号が発表され、しかも途中でその予定された年号自体が変更されたりしているのです。

とはいえ、私がここでお話したいのは改元そのものの話ではないのでその辺りの詳細は省略。今年の夏コミで頒布予定の『曠々満洲』第10号に掲載されるはずの拙稿「満洲国皇帝の即位儀礼―明清代との比較を中心として―」をご参照いただければ幸いです(露骨な宣伝)

違うんですよ。私がお話したいのはその改元が行われた根拠となるもの、すなわち康徳皇帝溥儀の即位詔書についてなんです。



2019年7月4日現在、Googleで「満洲国 即位詔書」と画像検索するとこのような結果が出てきます。一番最初に出てきてる満洲国臨時政府の皇帝即位詔書はまあどうでもいいとして、問題は三枚目のこれです。



これは瀋陽(旧・奉天)の「9.18歴史博物館」に展示されているもののようですが、同様のものは長春(旧・新京)の「偽満皇宮博物院」でも展示されているようですし、またインターネット等を通じて古物取引もされているようです(押捺されている印が異なるため、厳密には同じものとはいえないのですが、まあ同様の様式によるものだとはいえるでしょう)。ついでに言うと、検索結果の二番目に出ているおじさんが広げているものも同じです。

私はこの様式の満洲国皇帝の即位詔書とされるものを「横書式即位詔書」と呼んでいるのですが、この横書式即位詔書、私は満洲国当時に公的に頒布されたものであるかどうかは極めて怪しいと思っています。
なぜ怪しいと思うのか、以下に三つの理由を申し上げましょう。

(1)なんで横書き?
一般的に言って、満洲国当時における出版物、印刷物における文章は縦書きなのが普通です。新聞やポスターなどで横書きが見られないわけではないのですが、これらは基本的に短いスローガンや見出し、あるいはデザイン上の必要があってのものです。


満洲国ポスターデータベースより。これでも横書きなのは見出しだけで、下部の「執政宣言」は縦書きになっています。)


横書式即位詔書の場合、そういった必要があっての横書きではないように思えます。中国語の印刷物において横書き(横組)が全面的に採用されるようになったのは中華人民共和国が成立してからしばらく後の1956年のことで、それまでは基本的に縦書きでした。1934年当時の満洲国でも同様に縦書きが基本だったことは、当時の新聞(『盛京時報』)や出版物(『即位大典慶祝大会紀念録』)などからわかります。

 

(右:『盛京時報』1934年2月28日付 左:『即位大典慶祝大会紀念録』1934年刊行)

もしこの横書式即位詔書が1934年当時に頒布されたものであった場合、そこには横書きをせざるをえない理由がなければならないのですが、そのような理由は私には思いつきません。

(2)「康徳御印」ってなに?
横書式即位詔書には、下部の「御名」と「御璽」の間に「康徳御印」(もしくは「康徳禦印」)という印が押捺、あるいは印刷されています。


Wikimediaコモンズより。これはどうやら長春の偽満皇宮博物院の所蔵らしい)


 

(中華古玩網より。これは「禦印」。また、左上にはなぜか溥儀の紫禁城時代の鑑蔵印「無逸齋精鑒璽」が押捺されている)


そもそも「御璽」という文字自体が原本に鈐された満洲国皇帝の御璽の代わりなのに、なぜそれに加えて印を押捺する必要があるのでしょうか。
また、この「康徳御印」は満洲国皇帝の正式な印璽ではありません(詳細については再度の宣伝となりますが拙稿「満洲国皇帝の即位儀礼―明清代との比較を中心として―」をご参照いただければ幸いです)。溥儀が満洲国皇帝時代に私的に用いていた印もいくつか確認していますが、当時の新聞や雑誌に掲載されていたり、あるいは溥儀と直接の関係があって贈与されたりした等の出所が明らかな書画類に用いられた印には、現在までのところこの「康徳御印」は確認できていません。



中国の書画販売サイトなどに掲載された、溥儀の書画とされるものにはこのように押捺されているものをまま見かけますが、そうした書画の中には例えば「大同二年」、すなわち1933年の作品とされているにもかかわらず「康徳御印」が押捺されていたりするものがあります。



これなどは印影自体もぎこちなく、偽作、あるいは偽印の可能性が大いにあるといってよいでしょう。仮に「康徳御印」が溥儀によって実際に用いられていた印であったとしても、それが後に誰かの手に渡って利用された、あるいは偽造された可能性は排除できません(「禦印」に至っては現状、横書式即位詔書以外の用例が見当たりません)。

(3)詔の内容に誤りがある
満洲国皇帝の即位詔書はその重要性から、満洲国当時に発行されたいくつもの文献に(当然ながら縦書きで)全文が収録されており、原文である中国語(満文)版、訳である日本語(日文)版を確認することが出来ます。
これら他の文献史料で確認できる即位詔書の全文(満文版)は、以下のようになります。



奉天承運皇帝詔曰
我國肇基國號滿洲。於茲二年。原天意之愛民。賴友邦之仗義。其始凶殘肆虐安忍阻兵。無辜籲天。莫能自振。
而日本帝國。冒群疑而不避。犯衆咎而弗辭。事等解懸。功同援溺。朕以藐躬。乃承天眷。
假我尺柄。授我丘民。流亡漸集。興其謳歌。兵氣濳銷。化爲日月。夫皇天無親。惟德
是輔。而生民有欲。
無主乃亂。籲請正位。詢謀僉同。敢不敬承天命。其以大同三年三月一日。卽皇帝位。改爲康德元年。
仍用滿洲國號。世難未艾。何敢苟安。所有守國之遠圖經邦之長策。當與日本帝國。強力同心。以期永固。
凡統治綱要成立約章一如其舊。國中人民。種族各異。從此推心置腹。利害與共。或渝此言。有如皦日。
無替朕命。咸使聞知。
  御名御璽
    康德元年三月一日
              國務總理大臣
              各 部 大 臣
                       (『[満洲国]外交部公表集』第3輯より)

さて、ここで問題となるのが「原天意之愛民。賴友邦之仗義」の部分。日文版だと「天意ノ愛民ニ原ツキ友邦ノ仗義ニ賴リ」となる箇所ですが、ここが横書版即位詔書では「原夫天意之愛民」となっているのが下の画像でお分かりになるかと思います。



この「夫」はアジ歴で公開されている帝政実施前の「即位改元詔」案文から即位後の『[満洲国]外交部公表集』『即位大典慶祝大会紀念録』に至るまで、出所の明らかな公的史料からは確認できません。明らかな誤植です。
他のどうでもいいような(?)文章ならいざ知らず、皇帝の即位詔書という重要な文章で誤植をして、それがそのまま表に出たというのはもしこれが公的に製作されたものなら考えづらいことです。『政府公報』(日本の『官報』に相当)のような逐次刊行物ならいざ知らず、横書式即位詔書のような凝った印刷物だとそれはちょっとどうなんだい? という感じです。

とまあ、以上の三点がどうもこの横書式即位詔書が「怪しい」という理由です。
ついでに怪しいのが、横書式即位詔書がどのように発見されたか。

先ほどのGoogle画像検索の2枚目は2009年4月8日に報道されたエキサイトニュースの記事にあるものなのですが、これは元々サーチナの記事だった様子。
サーチナでは見られないようですし、エキサイトニュース版にしても古い記事ですからいつ消えるとも分からないので、以下に画像ともども転載しておきましょう。サーチナとエキサイトニュースさん許して。



>【中国】清朝最後の皇帝の即位詔書が公表される
>サーチナ 2009年4月8日 11:23
>4月7日、河南省開封市に住む民間の収集家、廖大林さんがメディアに清朝十二皇帝の最後の皇帝となった宣統帝溥儀の即位詔書を公開した。
>この詔書は1934年3月1日に発行されたもので、横58.5センチ、縦42センチである。詔書には旧満州国の紋章と国旗がプリントされており周囲には金箔装飾のコーリャンがあしらわれている。
>詔書は全部で269字からなり旧満州国の元号「康徳」の御璽が押されている。(CNSPHOTO)

んー、そもそもこの記事の時点で色々と表現が不正確ですね。これは「清朝最後の皇帝」である「宣統帝」の即位詔書じゃないですし、「1934年3月1日」に発行されたものであるかどうかもよく分かりません。
「1934年3月1日」、つまり康徳元年3月1日はこの即位詔書の文言そのものが発布された日であって、この横書式即位詔書がどこで誰によりいつ印刷され発行されたのかは不明とするのが適当でしょう。

ここで廖氏がカメラに見せているのは、左上に長方形の印が見えるところからすると、上記の「無逸齋精鑒璽」が押捺された横書式即位詔書と同様か、もしくは同一のものと考えられます。
そしてこの「公表」がニュースになったところから考えると、もしかすると横書式即位詔書は2009年に廖氏が公開したものが現代における初出で、他の色々なところで展示されている横書式即位詔書はその複製なのかもしれません。
「禦印」が「御印」になっていたりするので、そこはまた別系統なのかもしれませんが。



中国の個人コレクターが蒐集した文物のニュース、というと思い出されるのが2015年に報道されたこの「岸信介の軍刀」の話
「中国人民抗日戦争勝利70周年」を記念して「明治天皇、載仁親王、岸信介、伊藤博文、川島芳子、土肥原賢二らの軍刀108振りなど、重要な史料」が「愛国コレクターの王雪氏から提供され」て北京市第五中学校を会場として展示されたというニュースなんですが、岸は軍人じゃねえから軍刀は持ってないだろとか散々つっこまれてニューズウィーク日本版でも取り上げられたりしました
もしかするとこの廖氏が公開した「即位詔書」=横書式即位詔書も…なのかもしれません。横書式即位詔書の一部を展示している偽満皇宮博物院にしても、私が観に行った時には記念章の名称を取り違えて展示していたりしていたので…。

とはいえ、一足飛びに結論を出すのは早計に過ぎるというもの。
現時点では、先ほどの三点を指摘し、特に内容に誤りがみられるので横書式即位詔書を史料として用いるのは避けた方がよいのではないか、という程度にとどめておきましょう。




最後に再三の宣伝で申し訳ありませんが、今度のC96、日曜日西D67bで参加する「満洲研究会」の『曠々満洲』第10号にこういう記事を寄せております。
興味を持っていただけたら是非お手に取っていただければ恐悦至極。
コメント (2)
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