鮎川玲治の閑話休題。

趣味人と書いてオタクと読む鮎川が自分の好きな歴史や軍事やサブカルチャーなどに関してあれこれ下らない事を書き綴ります。

埋もれた軍歌・その36 安東市歌

2016-02-15 15:43:36 | 軍歌
今回も『決戦我等の歌』からのご紹介ですが、正確に言うと軍歌ではなく満洲国時代の地方自治体の歌です。こういった歌が載っているのも、「安東文化協会」をはじめとする地方の団体による出版物における一つの特色といえるでしょう。
安東市は満洲国の南端、日本領朝鮮の新義州府(現在の朝鮮民主主義人民共和国新義州市)と国境を接していた、安東省の主都であった街で、現在の中華人民共和国遼寧省丹東市にあたります。その立地上、安東市は海運や鴨緑江による水運、また京義線や安奉線などの鉄道路線の結節点を占めており、大連に次いで満洲国第二の貿易港として栄えていました。1938年時点での人口は25万8000人で、そのうち1万6000人が日本人(内地人)でした。(参考


安東市歌

一 流(ながれ)つきせぬ大江(だいかう)に
  旭の光照り映えて
  日満一体不可分の
  盟(ちかひ)も堅き鉄の橋
  進む協和の道しるく
  歴史は薫る安東市

二 東辺道の空晴れて
  無限の宝庫打ち拓(ひら)き
  産業文化建設の
  歩調(あゆみ)も強き明朗郷(めいろうきょう)
  街に港に溌剌(はつらつ)と
  生気溢るゝ安東市

三 春の晨(あした)の桜花(さくらばな)
  錦織りなす秋の夕
  風光明媚大陸に
  誉(ほまれ)も高き四季の色
  匂ふ興亜の源(みなもと)と
  世々に栄えむ安東市


一番に登場する「大江」とは鴨緑江、「鉄の橋」は鴨緑江橋梁を指すものでしょう。
鴨緑江橋梁はその名の通り満洲と日本領朝鮮の国境にある鴨緑江にかかった鉄橋で、総延長約942m、幅11mという大きな橋でした。橋の中央部には鉄道が通っており、京義線が運行していました。第二次世界大戦後、朝鮮戦争が勃発した1950年に米軍の爆撃によって破壊され、現在では「鴨緑江断橋」としてプロパガンダ用の観光名所になっています。
満洲国当時にはまさしく「日満一体」を体現するような存在であり、また交通・貿易の要衝たる安東市を象徴するものでもあったため、歌詞に織り込まれたものでしょう。