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ムスリムのこと

2006-01-02 | アジアの想い出
9・11以降、ムスリムとは何ぞや?
という議論が為されているが、私の乏しい経験から、少しお話しておこうと思う。

以前にも申し上げたように、私のネパール時代、アシスタントスタッフの一人だったのが、B・アラムというムスリムだ。
そして発掘調査の主たる働き手だったのが、300人ほどのムスリムの地元民だった。
彼らはおしなべて礼儀正しく、人懐こく、私の指示をよく守って、遺跡の調査に参加してくれた。
時により、テロリズムと結び付けられるムスリムだが、彼らの生活は敬謙で、穏やかで酒を飲まず、賭け事もせず(この辺は酒もギャンブルも大好きなヒンドゥーとは大違い)、家族が仲良く暮らしていた。
決してテロに見られるような尊大さ、押し付けがましさ、高すぎるプライドといったものからは、隔絶した生活だった。

異教徒で、ものを知らない私にも実に丁寧に教えてくれたし、貧しい中から私をもてなしてくれた。
私は、あの親切を一生忘れることはないだろう。
私はネパールでクリスチャンであることを表明していたが、それでいやな思いをすることは無かった。
まぁ、ネパールという国は、ヒンドゥーもムスリムも仏教徒もクリスチャン(少ないが)も、うまく同居した、ある意味、理想の多文化共生社会なのではあるが。

ついでに言えば、ヒンドゥーのカーストシステムも、普通に暮らしている限りでは、特にひどい差別や、いやがらせの源としては機能していない。
むしろ職業による区別といった感じだった。
日本の企業内のパワハラ(クライアントに相談された経験からは)の方が、よほど酷いと思う。

話をもどそう。
ムスリムの本質は、信仰心の篤い全ての宗教と同じものである。
弱いもの、幼いもの、貧しいもの、遠くから来たものに親切であるし、正義と秩序を好み、老いた者を尊重し、家族、知人の全てが仲良く助け合って暮らす。
いろいろな慣習はあるが、別に他人に害になることはない。
テロのような攻撃性からは無縁で、むしろ人を傷つけることを非常に恐れる。
ある意味、私達が思い描くイギリス紳士とか、昔の日本の善き農家とかのような雰囲気だった。

だから、自衛隊のイラクにおける紳士的な活動は本当にうれしかった。

どうか日本がムスリム社会の古き善き伝統を傷つけることのないように。
どうかムスリム社会の友情を踏みにじることのないように。
そしてムスリムという文化が日本にも受け入れられるように。

御心の天になるごとく地にも為させたまえ


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