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ベトナム主席閣下及び同令夫人のための宮中晩餐

2014-10-07 | 皇室と憲法
この度,ベトナム社会主義共和国主席チュオン・タン・サン閣下が,令夫人と共に,国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。今夕を共に過ごしますことを,誠にうれしく思います。
閣下には,東日本大震災から3か月後の2011年6月に,ベトナム共産党書記局常務として我が国を御訪問になった際,津波で被害を被った千葉県旭市を訪れ,仮設住宅に住む被災者をお見舞いくださったと聞いております。こうした閣下のお気持ちに対して,ここに,改めて深く感謝の意を表します。
昨年は,日越外交関係樹立40周年に当たり,日越友好年として,両国で250もの様々な文化交流行事が開催されましたが,これは,もともと閣下が御訪日の際,日越友好年という構想を提唱されたことが発端でありました。近年両国間の交流がこのように活発に進んでいることを喜ばしく思います。
貴国と我が国の交流は,古くは8世紀に遡ります。当時の我が国は,奈良を都とし,外国の文物を求めて使節を近隣の国々に派遣していました。東大寺の大仏が造られたのはこの時期であり,大仏開眼の儀式にはインド僧が当たり,今日のべトナムに当たる林邑りんゆう国の僧,仏哲が,舞を奉納したとされています。当時伝えられた林邑りんゆう国の音楽は,千年以上の時を経た今日,大きく変わっていると思われますが,我が国では今日も,雅楽の中の楽曲として演奏されています。
16世紀から17世紀には,当時東西交易の拠点として栄えた貴国の港町ホイアンに,我が国の商人が訪れ,日本人町を形成していたことが知られています。これらの日本人町は,17世紀に始められた,日本人の海外渡航を禁止した鎖国政策により,やがて消滅してしまいます。しかしホイアンには,今も地域の人々に守られて日本橋と名のつく橋や,日本人の墓が残されております。なお,ユネスコの世界文化遺産として認定された,ホイアンの街並みの保存や,伝統的な木造建築の修復には,我が国の専門家も協力したと聞いておりますが,このような形で貴国と我が国との交流が現在にまで引き継がれていることを,うれしく思います。
現代に目を向ければ,1973年の外交関係樹立から40年を経て,ベトナムと日本との間の交流と協力は大いに進み,今や1万人以上の日本人がベトナムに住み,貴国の経済発展に様々な形で参画しております。また,我が国には6万人以上のベトナム人が滞在し,幅広い分野で活躍しています。両国民がこのような交流を通して,お互いの文化に親しみ,友好協力関係が発展していることを,誠に心強く思います。
今,東京は,若葉が萌もえ始める時期を迎えております。桜が咲き,人々が春の喜びを共にする季節です。閣下並びに令夫人には,我が国のこの季節をお楽しみいただきたく思います。そして,閣下のこの度の御滞在が,両国間の相互理解と友好協力関係の更なる増進に資する,実り多いものになることを心から願っております。
ここに杯を挙げて,国家主席閣下,並びに令夫人の御健勝と,貴国国民の幸せを祈ります。

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